第38話 りりの休日(2)
午後。映画館。
ポスターが並ぶ中、一人が立ち止まり、指を差す。
「何観ようか? 流行りのアニメ……あの鬼のやつ?」
りりは首を傾げる。
「いや、りり。これがいい」
――そこにあったのは、恋愛映画のポスターだった。
「っ……!」
りりの頬は一瞬で真っ赤になる。
(れ、恋愛映画……!? お、お兄ちゃんと……!?)
暗い館内。肩を並べて座る。
りりは映画の内容なんて全く頭に入らない。
彼氏と恋愛映画を観る――ただそのシチュエーションに、心が溢れて止まらなかった。
スクリーンの光に照らされる一人の横顔。真剣な眼差し。
その横顔を盗み見ながら、りりは(幸せすぎて死んじゃうかも……!)と心の中で叫んでいた。
上映が終わり、館内が明るくなる。
「映画、面白かったね」
一人が微笑む。
ストーリーを何も覚えていないりりは、とっさに笑顔で返した。
「だ、だね! ま、また映画行こうよ!」
にやけそうになる顔を必死に抑える。
けれど頬はほんのり赤く、口角は自然と上がりっぱなしだった。
だが、その至福を切り裂くように、一人が何気なく口にした言葉――
「じゃあ、そろそろ帰ろうか」
――心臓が、落ちた。
「え……」
小さな声が喉の奥で漏れる。
視界がぐらりと揺れ、頭の中に冷たい現実が押し寄せる。
(帰る……? もう終わり……? まだ……もっと一緒にいたいのに……)
胸がぎゅっと痛む。
彼にとって自分は――ただの小学生。
ほんの“妹のような存在”。
大人のカフェ、大人の映画。大人のデートに連れていってもらえても――
結局、自分は子供でしかない。
「うん……」
声を震わせまいと、強がって笑う。
けれど、その笑顔は少しだけ歪んでいた。
(私は彼女……私はお嫁さん……そう言ってくれたのに……! でも、まだ私は……子供なんだ……)
胸の奥で小さく砕ける音がした。
りりの初めてのデートは、夢のように甘く、そして残酷に幕を閉じていった――。
映画館からの帰り道。
街灯に照らされる歩道を、二人並んで歩いていた。
一人が笑顔で口を開く。
「今日は楽しかったね、りり。また行こうよ」
けれど、その言葉に返ってきたのは――
「……………………うん…………」
どこか冷めた、気のない返事だった。
(違うんだよ、一人……どうして気づいてくれないの……? 私の気持ち……もう、溢れそうなのに……)
胸の奥で、押し殺していた感情がひりついていた。
一人は足を止め、不安げに彼女を見つめる。
「ごめん。俺、りりになんかしたかな? 機嫌悪いみたいだけど……もしそうなら謝るよ」
その言葉。
何気なく放たれた“謝罪”が、りりの心を真っ赤に燃やした。
「お兄ちゃんは――!! 一人は!! 私のこと、何もわかってない!」
その瞬間、声色は少女のものから、どこか艶を帯びた大人の女の響きへと変わる。
悪魔としての“リリス”の片鱗がにじみ出た。
「ごめん、だって……そんな言葉、余計に傷つくよ! 子供扱いしないでって言ってるのに。なんでなの……途中まですごく、すごくいい感じだったのに……どうして、そんなこと言うのよ……!」
涙を浮かべながら睨む瞳。その視線は、怒りと切なさが入り混じっていた。
「ごめん……」
一人の口から漏れた短い言葉。
だが、それすらもりりには刃にしかならなかった。
「だから! それが余計に傷つくんだよ!」
りりはぎゅっと唇を噛み――やがて決意したように目を細める。
「もういい……こうなったら実力行使だよ」
次の瞬間。
世界が一瞬でねじれ、風景が塗り替えられる。
気がつけば、一人はベッドに倒れていた。
りりの部屋。
壁一面に並ぶぬいぐるみ、ピンク色のカーテン、学習机の上には教科書や文房具。
そして、枕元には――笑顔で肩を並べる、一人との2ショット写真。
「り、りり……! だめだよ、こんなこと。しかもここじゃ……ママが来るだろ」
一人が慌てて起き上がろうとする。
だが、りりはその胸を押し倒すように覆いかぶさり、耳元で囁いた。
「いいの。……ほんとは、りりは二十歳を超えてるんだよ」
甘く、とろけるような声。
「精神系の悪魔は、成長が人間よりずっと遅いの。見た目は子供でも、私はお兄ちゃんよりずっと年上……だから、もう我慢しない」
そう言って、りりは一人の唇にそっと触れた。
最初は軽く、しかし徐々に熱を帯びて――。
「……りり……」
一人が戸惑いながらも呼ぶ名。
その響きすらも、りりには愛の証明のように感じられた。
唇を離すと、彼女は微笑む。
「ママは、この部屋には入らないよ。女同士……そういう約束だから」
小悪魔のように挑発的に笑うりり。
ベッドサイドランプの柔らかい光が、彼女の頬をほんのり赤く染める。
外の夜は静かに更けていく。
部屋の中でだけ、鼓動の音と、抑えきれない想いが重なり合っていた――。
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