第32話 悪魔の家
ここは、愛川りりの部屋。
壁はピンクを基調とした甘い色合いでまとめられ、窓際にはリボンのカーテン。
学習机の上には整然と並べられたノートやカラーペン、そして至るところにぬいぐるみが置かれている。
よく見れば――壁掛けには、まだ幼いりりと一人が並んで笑っている写真。
幼いの少女と、優しげに微笑む少年。
それはまるで、兄妹を超えた「特別」を証明するように、堂々と飾られていた。
黒いドレスに身を包んだ悪魔リリス――いや、かつての愛川りりは、そんな部屋の中心で一人を抱きしめる。
「もう、ここまで来れば大丈夫よ。お兄ちゃん」
その声は甘く、囁きはまるで媚薬のように耳に染み込む。
彼女の髪から漂う芳しい香りに、一人は目が眩みそうになる。
「りりちゃん……どうしてこんなことしたの?」
かすれ声で問いかける彼に、リリスは瞳を潤ませ、少し驚いたように微笑む。
「えっ? お兄ちゃん、私との約束……忘れたの?」
その問いに、一人は言葉を詰まらせる。
心の奥底に眠っていた記憶が、鮮やかに蘇る。
「いや……憶えてる。ぼくに懐いてくれてて、笑顔がとっても可愛くて……すてきな女の子だったからさ。あのノート……ちゃんと覚えてる。約束も」
(でも、まさか本気だったとは……あれは小学生一年生の遊びの延長かと思ってたのに)
だが、そんな彼の逡巡さえ、リリスには甘い蜜にしか聞こえない。
「ふふっ……私が可愛くて、すてきだったって。やっぱり、私たち相思相愛だったんだね。もう恋人だね。いいえ――約束を憶えているなら、婚約者だよね?」
その瞬間、彼女は抑えきれない感情のまま、一人を押し倒し、馬乗りになって唇を重ねた。
熱く、深く。
彼女の心臓の鼓動が、触れ合う胸越しに伝わってくる。
その時――
ガチャリ、とドアのノブが回る音。
「りり、入るわよ」
ドアを開けて現れたのは、りりの母――漆黒のドレスに身を包んだ、妖艶で美しい女。
一目で悪魔の血を引くことが分かる、冷酷さと優美さを併せ持つ存在だった。
「あっ」
「あっ」
「あっ」
三人が同時に声を上げる。
一人は飛び退こうとするが、リリスがしっかりと押さえ込んで離さない。
「ママ……これからいいところなのに、邪魔しないでよ!」
頬を赤く染め、不満げに睨むリリス。
母は軽やかに肩をすくめる。
「ごめんごめん。でも、あなたにお客さんが来てるわよ」
(一人:まさか……永遠と澪?)
「うーん……追い返しといて。これから旦那様といちゃつくんだから」
リリスはあっさり言い放つ。
一人は頭を抱えた。
(えっ……なんで、りりちゃんのママ、この状況を普通に受け入れてるんだ……? 娘が悪魔で、目の前で婚約者だなんて言ってるのに……!)
「僕……もう帰りますね。ここにいると迷惑をかけそうだし」
ようやく声を絞り出すが――リリスがすぐに振り向き、必死に叫ぶ。
「だめだよ! あいつら、お兄ちゃんを性奴隷にしようとしてるんだから! 旦那様を助けなきゃいけないんだ!」
その言葉に、母は艶やかに微笑み、頷く。
「りり、自分の獲物なんだから、自分でカタをつけなさい。それが我が家の家訓だから。ママは手助けできないわよ」
「ママ〜、あいつらごとき、敵じゃないよ」
「そうは言っても、りりは直接戦闘するタイプじゃないわよ。大丈夫なの?」
「仕方ないね……。お兄ちゃんは、ここにいて」
その言葉と同時に、リリスの金色の瞳が妖しく輝いた。
視線を受けた一人の身体がふらりと揺れ、そのまま力を失う。
「えっ……あ、ねむ……」
膝に倒れ込む彼を、リリスは抱きとめて微笑む。
「おやすみなさい、旦那様。目覚めたら、全部片づいてるから」
その言葉を最後に、一人の意識は闇に飲まれた――。
☆ここまで、読んでくださり、感謝いたします。
次回の更新は9月12日 23時です。
評価ポイント、ブックマーク登録 していただければ、励みになります。
今後もよろしくお願いします!