第27話 コマンドー
月曜日の昼休み。
映画研究会の部室に呼び出され、永遠は足を踏み入れた。
「いきなりお昼に呼び出して……何の用よ、魔女。」
永遠の声は冷たい。
だが、澪はご機嫌な様子で、ソファにふんぞり返りながら答えた。
「いい話があるんだよ、アドラステイア・アンブロージア。
あんた、人間の血を吸いたいんだろ? 私が、デイウォーカーのまま吸えるようにしてやろうかと思ってさ。」
挑発とも取れる軽口。
永遠はすっと目を細めた。
「……私のこと、知らないわけないよねぇ。モルガディア・ノクス――アランの弟子。聞いたことあるわ。とんでもない弟子がいるって。」
「へぇ〜、有名人に名前を知ってもらえるなんて光栄だねぇ。」
澪は小さく肩をすくめ、そして声を潜めた。
「それよりさ……実はさ。――一人にね、告白されたんだ。女性として好きですって。」
永遠の眉がピクリと動く。
「両想いなんだよ、私たち。」
澪の声は甘い。蕩けている。
部屋の空気に、妙な湿度が生まれた。
「なぁ、一人の所有……私だけにしてくれないか?
もしそうしてくれるなら――聖女の血を無効化してやる。どうだ? いい話だろ?」
永遠の目が細くなり、血管が浮き上がる。
「…………あ゛? それ、本当なの?」
「もちろん。本当だよ。聖女の血を無効化してやるぞ。」
「そっちじゃない!!」
永遠の声が弾けた。机がガタリと揺れる。
「お前に告白したって話だよ!!」
「ふふっ……もちろん。しかも、一人の方からな。」
澪は頬を赤らめ、両手を胸の前で組み、夢見るように上を見つめた。
「もう、将来を誓い合ってるんだ。彼が高校を卒業したら、一緒に暮らすのさ。だから、聖女の――あれっ?」
気付いた時には、永遠の姿はもうそこになかった。
ドアが乱暴に閉まる音だけが、部室に残響していた。
澪はその場でぽかんと口を開け、ひとり呟いた。
「……あれ、怒っちゃった?」
昼休みが終わり、チャイムが鳴り響いた瞬間。
ガラリと開いた教室の扉から、永遠が勢いよく入ってきた。
その顔は――鬼気迫る形相。
「あんた……どういうつもりよ!!」
永遠は迷いなく僕の席に詰め寄る。机がガタリと揺れ、僕の体は後ろにのけぞった。
「放課後、顔貸しなさい!!」
その叫びは、教室全体を震わせた。
次の瞬間、周囲はざわつく。だが誰も止めない。誰も声をかけない。
――いや、かけられない。
その圧に、全員が沈黙した。
彼女の視線は鋭い刃物のようで、僕を射抜き続けている。
授業が始まっても、時折――いや、ほぼずっと、僕に突き刺さるような視線を送ってきた。
(怖い。怖い、怖い、怖い……!)
逃げたい。どこかへ。
けれど、その視線からは逃げられない。
僕が横目で周囲を見ても、クラスメイトたちは――一様に、僕から目を逸らさない。
まるで「お前が悪いんだ」と言わんばかりに。
胃が縮む。心臓が早鐘を打つ。
息苦しい。
チャイムが鳴り、放課後が訪れる。
教室を出るとき、僕の足は鉛のように重かった。
校門の前。
そこに、仁王立ちする永遠の姿があった。
風に長い黒髪を揺らし、烈火のような瞳をこちらに向ける。
逃げ道は、ない。
僕はその姿を見て――悟った。
(……うん。今日が、命日かな。)
不思議と、心が静かになるのを感じた。
「ここじゃあ、なんだから」
耳元で低く囁かれた瞬間、後頭部に硬い手刀が振り下ろされた。
視界がぐらりと揺れ、意識が深い闇に飲み込まれていく。
――目を覚ましたとき、世界は一変していた。
真下に広がるのは、遥か地上。家も道路も、停まっている車すらも、ミニチュアのように小さい。蟻か砂粒か、見分けもつかない。
風が肌を切り裂く。息をするだけで喉が震える。
「あれっ……あそこ……高校?」
現実を理解した瞬間、背筋が凍る。
僕は、断崖絶壁の上から逆さに吊るされていた。永遠の左手に、足首を掴まれたまま。
「いいか」
永遠の声は静かだ。静かすぎて逆に怖い。
「私は左手のほうが力が弱い。だから答えに気をつけろ。……力が抜けるかもしれないからな」
ギリリ――足首に食い込む指の感触。
「今から質問する。私は、私の聞きたい答えしか聞かない。もし気に入らない答えをしたら……私もただじゃすまないけど、そんなことどうでもいい」
その笑みは狂気の仮面。
僕は必死に喉を震わせる。
「わ、わかったな」
「は……はいっ」
下を見る。
何百メートルもの落差。
血の気が引く。頭が真っ白になる。
「お前、あの魔女に好きだと言ったそうじゃないか? それはほんとか?嘘はつくな。……ほんとのことが聞きたい」
「は……はい」
「はっ」
永遠の唇が歪む。
「じゃあ、私は? 好きだよな。愛してるよな。ここ間違えるなよ」
ギリ、とさらに締め上げられる足首。
痛みと恐怖で視界が霞む。
「は、はい!」
「え? よく聞こえなかったぞ。誰が誰を好きなんだ?」
永遠はわざと僕の体を上下に揺らす。地獄のブランコだ。
「永遠が好きですっ!」
「主語がないだろ。誰が誰をだ」
「ぼ、僕がっ! 僕が永遠を好きです! ほんと……ほんとに好きだから!!」
「好きっていってもな、ライクとか、ラブとか、ファイバリットとか、いろいろあるだろ? はっきり言えよ。通しで」
その口調はまるで愉快犯。けれど、僕にとっては死刑宣告。
涙と鼻水が混じる。喉が焼ける。
「ぼ、僕は……永遠を……愛してますっ!!」
その言葉を聞いた瞬間、永遠の口角がぐっと上がった。
笑顔がこぼれる。
「お前を最後に殺すと約束したな――」
あの映画の台詞そのままに。
「……あれはウソだ」
「な、なにっ!? な、なんの、話……!?」
永遠は笑う。今までで一番楽しそうに。
「うん、よく出来たね。でも――少しお仕置き」
ふふ、と囁きながら――彼女の左手が、ゆっくりと開いていった。
――落ちる。
空気を切り裂き、身体が自由落下する。
胃が浮き、全身が宙に溶ける。
走馬灯が駆け抜ける。
小学校の頃、隣の家に住んでた女の子。可愛い笑顔。
「いつかお嫁さんにする」って約束――守れなかったな。
友達に借りたままの漫画。返してないや。
パッとしない人生だったけど……最後は綺麗な女の子二人に言い寄られた。
それなら、まあ――悪くないのかも。
地面が迫る。もうすぐ――
ドゴンッ!
衝撃。
死を覚悟した瞬間、僕の体は地面に激突する前に、永遠の両腕に抱き止められていた。
アスファルトに、永遠の両足がめり込んでいる。煙が立ちのぼる。
彼女は涼しい顔で、僕を見下ろした。
「反省した?」
「……は、はい」
「ふふ。昔観た映画でね、これと同じことシュワちゃんがしてたんだよね~。……キャッチはしなかったけど」
――僕は、心の底から悟った。
本当に、この人には逆らっちゃいけない。
☆ここまで、読んでくださり、感謝いたします。
次回の更新は、9月11日 朝6時です。
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