エピローグ(2)パラ・ベラム「戦への備えをせよ」
ドラゴニア邸・客間
重厚な扉が閉まった瞬間、空気が変わった。
豪奢な客間。だが、その静けさは安らぎではない。
獣の巣に足を踏み入れたような、張りつめた圧だった。
エマ、亜紀、そして一人――三人が通された先。
そこに、すでに待っていたのはアウレリアだった。
「お待ちしておりました」
柔らかな微笑みと、底の見えない視線。
「皆さん、もう揃っていますよ……さあ、どうぞ」
視線の先。
円卓を囲むように、三人の姿があった。
「やあ。はじめましてだね、エマ」
最初に声をかけたのは澪だった。
青い髪を揺らし、穏やかな――だがどこか距離を測るような笑み。
「会いたかったよ」
「お腹の子、順調そうですね」
続いて、柔らかな口調でりりが微笑む。
「体、大事にしてください。私は、りり。家成りりです」
最後に、短く。
「……私は、知ってるわね」
永遠だった。
視線だけで、エマを射抜く。
(……最悪だわ)
エマは内心で歯を食いしばる。
(番人、始末屋……それに吸血鬼)
(どいつもこいつも、格が違いすぎる……)
だが、それを顔には出さない。
誇りだけは、まだ失っていなかった。
「さて」
アウレリアが、静かに手を打つ。
「全員揃ったことですし……始めましょうか」
「そうね」
応じたのは亜紀だった。
席に腰を下ろし、優雅に紅茶を啜る。
「正直に言うわ」
「本当はね……あんたを殺して、この国ごと滅ぼすつもりだった」
場の空気が凍りつく。
「……でも、気が変わったの」
カップを置き、亜紀は微笑む。
「生かしてあげる」
「それと、この国も――滅ぼさない」
エマの胸に、わずかな動揺が走る。
「……ただし」
亜紀の瞳が、細くなる。
「条件がある」
「条件、とは?」
アウレリアが、淡々と問い返す。
亜紀は肩をすくめた。
「私ね。子供がいないの」
「正確に言うと……出来にくい」
その言葉に、りりが小さく目を伏せる。
「個としての力が強すぎる存在はね」
「子孫を残す“必要”がないのよ」
紅茶をもう一口。
「でも――エマ、あなたは違う」
その視線が、再びエマの下腹部に落ちる。
「あなたには、才能がある」
「子供を宿す才能が」
「高位存在の子供なんて、本来は出来ない」
「だからこそ――」
亜紀は、はっきりと言い切った。
「子供を、よこしなさい」
「それで、全部チャラにしてあげる」
静寂。
次の瞬間、エマが立ち上がった。
「……ふざけないで」
低く、震える声。
「自分の子供を、悪魔に差し出せって……?」
エマの瞳に、炎が宿る。
「それをやったら、私は――」
「ドラゴニュートとしても、母親としても」
「誇りを、全部失う」
亜紀を、真っ直ぐに睨みつける。
「そんなことをするくらいなら……」
「死んだほうが、マシよ」
その言葉が、客間に重く落ちた。
「えっ……そんな話?!」
最初に声を上げたのは、亜紀だった。
「子供を生贄に捧げるなんて……それ、全部を失うのと同じだわ」
エマは一歩も引かない。
「この国が滅んでも、私は構わない」
沈黙。
……の、はずだった。
「ごめん、何言ってるか全然わかんない」
亜紀は真顔で、完全にドン引きしていた。
「え?」
「え?」
空気が一気にズレる。
「それとも、悪魔の手先として魂を集めさせるつもり?」とエマ。
「うーん……残念だわ、この子……」
亜紀は額に手を当て、深いため息。
その様子を横で見ていた一人――いや、サマエルが、愉快そうに口角を上げた。
「いいぜ、それでこそだ」
「誇りを失っちゃ、意味がないからな」
「あ〜、そう取っちゃうんだ〜、うわぁ」
りりは吹き出し、腹を抱える。
「今どき、生贄とか……聞いたことないよ〜」
澪も肩を揺らして大笑いだ。
「ファンタジーすぎるよ、それ」
エマは完全に置いてけぼりだった。
「ち、違うわよ」
亜紀は咳払いして、姿勢を正す。
「勘違いしないで。私の養子として育てるの」
「人間社会で、普通の生活」
「普通の学校に通って、普通の友達を作って」
「結婚して、平凡だけど幸せな家庭を築いてほしいの」
指を折りながら、やけに具体的だった。
「ここじゃ……それ、無理でしょ?」
「私ね」
亜紀は胸に手を当て、妙にキラキラした目で言った。
「専業主婦になりたいの」
「家事と育児に全力投球して」
「運動会とか、学校で食べるお弁当とか作るのが夢なんだよね〜」
「……え?」
エマの思考が完全に停止する。
「ほ、ほんとなの……?」
「あなた、高位悪魔でしょ……?」
「それこそ偏見だよ」
亜紀は肩をすくめる。
「もう戦うのとか、正直いいかな〜って」
「面倒事、こりごりなのよ」
「……」
エマは数秒考え込み、ゆっくりと頷いた。
「……その子を、実子として」
「幸せを一番に考えて育てるのね?」
「もちろん」
「子供ファースト」
「まあ、望めば私の術も教えるけどね」
さらっと物騒なことを言いつつ、亜紀は続ける。
「迎えに行くのは、その子が二歳になったら」
「もらう子は、こちらで決めるわ」
「……では」
アウレリアが優雅に手を打った。
「これで、決まりですね」
その瞬間――
「じゃあ、私が、別な子に戦い方を教えるわ」
永遠が当然のように言う。
「母親として」
「じゃあ、僕は魔導を全部教えるよ」
澪も満面の笑み。
「もちろん、お母さんとしてね」
「私は魔導科学かな」
りりが指を立てる。
「巨神、もう完成してるし」
「大暴れできるよ?」
「ママって呼ばせようかな〜」
エマが呆然としていると、最後の一撃が来た。
「じゃあ、エマ」
アウレリアが無邪気に微笑む。
「頑張って、一人と子供作ってね」
「特製ドリンク用意するから!」
「すっごく飛べるわよ!」
「「えーーーーーーーーーー!!!」」
エマと一人の叫びが、完全にシンクロする。
(種馬と……)
(孕み袋じゃない……?)
二人の心の叫びが、ドラゴニア邸に木霊した――。
こうして、エマは、双子の出産後に、さらに2人産むことになるが…それは別な話…
祓川高校・映画研究部部室
――狂乱、開幕。
その部室は、もはや「映画研究部」という看板を掲げていていい場所ではなかった。
床一面に刻まれた多重魔法陣。天井から垂れ下がるケーブルとフィルムリール。
スクリーンには映画ではなく、無数の世界線ログが投影されている。
静かに、しかし確実に――
世界を喰い破る準備が整っていた。
白雪澪は、机の前に立ち、ゆっくりと魔導眼鏡を外す。
「……ふん。
記憶を消したつもりだろうがな」
彼女の声は、冷静で、そして愉悦に満ちていた。
「ちゃんと別空間にバックアップは取ってあるんだ。
しかも定期的に閲覧してある。」
スクリーンに映し出されるのは、確かに“真実”だった記録。
「思い出は消せても、証拠は消せないんだよ」
「準備はいいよ」
伊空が、淡々と告げる。
その手元には、魔導陣と理論式が重なり合った一枚のシート。
「召喚魔法の術式は完成してる。
干渉誤差ゼロ、座標固定済み。
やつらに―― 一泡どころか、煮え湯を飲ませてやる」
「うん」
りりは静かに頷く。
けれど、その笑顔はあまりに穏やかで、逆に恐ろしい。
「いくら別宇宙の私でもね……
やっていいことと、悪いことがあるよ」
小さく、しかしはっきりと拳を握る。
「これは……お仕置き案件だね」
「……お姉さん」
彩花が、低く、冷たい声で続く。
「裏切りましたね」
一歩、前に出る。
「妹の私を、
ここまで愚弄して――許されると、思いました?」
その背後で。
「はっ」
アウレリアが肩を鳴らし、獰猛な笑みを浮かべる。
「いいぜ。やってやんよ。血が騒ぐぜ」
闘争心が、隠しもせずに剥き出しだった。
澪は振り返り、五人を見渡す。
「いいか、みんな」
その声に、部室の空気が張り詰める。
「あいつらに、目にもの見せてやるぞ」
指先で魔法陣をなぞりながら、嗤う。
「人間様をなめんなよ。
悪魔だか、高位存在だか知らないけど――」
そして。
「メインヒロインが、なんぼのもんじゃ!!」
「ふふふふふふ……」
五人の口角が、同時に吊り上がる。
「かかってこいやぁぁぁ!!」
「サブヒロインの底力、見せてやるわ!」
彩花が叫び、術式の補助符号を書き換える。
「よし、術式始動」
澪が、床の魔法陣に手を翳す。
――魔力注入。
光が、脈動する。
空間が、軋む。
世界線が、悲鳴を上げる。
「……ふん」
澪が、最後の一押しを加えた。
―同時刻・別宇宙―
一人と、その傍にいたエマは、同時に異変を感じ取った。
「……なに?」
床下が、光っている。
「ちょ、ちょっと待って……
この感じ、嫌な予感しかしないんだけど……!」
次の瞬間。
床から立ち上る光柱。
重力が裏返り、空気がねじれる。
抱き合う2人
「召喚……!?」
「嘘でしょ、今ここで!?」
逃げる暇など、なかった。
光が、すべてを飲み込む。




