第96話 コンセクエンス(1)
そして――
最後に、りりが、何気ない調子で言った。
「それとさ」
一人が、顔を上げる。
「君――トカゲと結婚してるよ」
「……は?」
「君の“子供目当て”の」
一瞬、
部屋の空気が、完全に凍りついた。
「…………は?」
その一言が、
これから起こる惨劇の、始まりだった。
「……ごめん。
何言ってるか、全然わからないんだけど」
一人は乾いた笑いを浮かべながら言った。
状況があまりにも現実離れしすぎて、理解すること自体を脳が拒否している。
「トカゲと結婚って……何?
僕、トカゲ飼ってたっけ?」
その言葉が、地雷だった。
りりが、少しだけ視線を逸らしながら説明する。
「えっとね……
ドラゴニュート帝国に、“現地妻”がいるんだよ」
一人の思考が止まる。
「もう、式と披露宴も済ませてる。
……しかも、私より先に」
その瞬間だった。
一人の背後――いや、隣から。
もうもうと、黒い闇の煙が立ち上る。
それは比喩ではない。
空間そのものが歪み、感情が可視化されたような闇。
――亜紀だった。
俯いたまま、動かない。
だが、その沈黙こそが、何よりも恐ろしい。
ゆっくりと、亜紀が立ち上がる。
顔を上げた瞬間、
その瞳から――光が消えた。
いわゆる、ハイライトオフ。
それでも、唇は不自然なほど綺麗な弧を描く。
「……うん」
にこり。
「一人。ちょっと、そこに正座しようか」
声は、優しい。
まるで、言うことを聞けば褒めてくれるかのように。
だが、空気が違う。
逆らえば終わる、と本能が告げていた。
一人は、何も言えず、
言われるがままに正座した。
亜紀は、ゆっくりと自分の手首に触れる。
次の瞬間。
そこに、黒い穴が開いた。
空間を抉るように現れた虚無から、
じゃら……と重い音を立てて、鎖が這い出してくる。
「ふふっ……」
亜紀は楽しそうに笑った。
「まさか、これを“あんた”に使う日が来るとはね」
鎖は生き物のように動き、
一人の腕と胴に絡みつき、逃げ場を奪う。
「……っ!」
声を上げる暇もない。
亜紀はそのまま、キッチンへ向かう。
そして戻ってきた彼女の手には――出刃包丁。
一人の視界に、冷たい刃が差し込まれる。
「これね」
亜紀は、楽しげに説明する。
「魔界の包丁。 切れ味、抜群なんだ」
刃を、軽く傾ける。
「トカゲでも、ドラゴンでも、
簡単に三枚おろしにできる優れモノだよ?」
にっこり。
「……もちろん、人間も」
(一人:こわい、こわい、こわい……助けて)
必死に視線を巡らせ、りりを見る。
だが、りりは腕を組み、困ったように言った。
「うーん……今回は助けられないかな」
淡々と。
「ちゃんと、反省したほうがいいよ」
「ご、ごめ――」
言い切る前に。
亜紀の手が、一人の口を押さえた。
「……あ」
そのまま、囁く。
「謝るのは、まだ早いよ」
口角が、ゆっくりと吊り上がる。
瞳は、完全な闇。
「もう少し、話を聞いてね」
一人は、声にならない呻きを上げる。
「私ね」
亜紀は穏やかな声で続ける。
「自分で言うのもなんだけど……いい嫁なんだ」
一人の口を押さえたまま、語りかける。
「そうなるように、努力した。わかる? あんたに?」
「……っ……!」
「前世のあんたにも従った。他の嫁たちの面倒も見た」
包丁が、喉元に近づく。
「そうして、あんたを支えたんだよ」
一人の喉から、意味を成さない声が漏れる。
「転生後の女癖の悪さにも、呆れたけど……我慢した」
亜紀の声が、少しだけ低くなる。
「……あいつら、めちゃくちゃだったじゃない」
刃が、肌に触れる。
「掃除、洗濯、ご飯。ほとんど私がやったよね?」
一瞬、静寂。
「それはさ」
亜紀は、はっきりと言った。
「私が、あんたの嫁だったからだよ」
「うーーーーー……!」
「黙って、人の話聞け!!」
亜紀の怒声が炸裂する。
包丁が、喉元に突き立てられ、
一人は完全に硬直した。
(……やばい。今日、死ぬかもしれない)
「……あんたね」
亜紀は、震えるほどの怒りを抑えながら続ける。
「その私に、断りもなく――結婚したんだよ」
低い声。
「この意味、わかる?」
「りりはいいよ。元から嫁だから」
ちらりと、りりを見る。
「でもさ」
亜紀の視線が戻る。
「トカゲって、なに?」
声が、割れる。
「記憶がないとか、関係ないからね」
そして――
「てめえ、なめてんのか!!ぶち殺すぞ!!」
完全に、理性が吹き飛んだ。
「……もういい」
亜紀は、ふっと笑った。
「死のう。うん、それがいい」
立ち上がり、腕を広げる。
「……あんた殺して、私も死ぬ」
空間が、再び裂ける。
宙に、黒い穴が開き――
そこから、一本の刀が現れる。
亜紀は、それを掴んだ。
「おい」
鬼の形相で、告げる。
「スパッとやるから、動くなよ」
刀を抜く。
「これはね、“次元刀”」
冷たく、無慈悲に。
「これなら、あんたを切れる」
刃を構え。
「いい?
動くと、変なとこ切って、逆に苦しいから」
「ちょ、ちょっと!!亜紀、落ち着――」
りりの制止は、間に合わなかった。
――一閃。
世界が、断ち切られる。
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