第93話 Born This Way
薄暗い店内。
赤いビロードのソファ、年季の入ったカウンター。
壁には色褪せたポスターと、意味不明な魔除けの札が並んでいる。
そのカウンターの一角で、
ご機嫌に琥珀色の液体を傾けている赤髪の女がいた。
愛川りり。
――いや、今は家成りり。
もっとも、その名が通じるのは魔界限定だが。
「ふぅ〜……やっぱ芋はロックよねぇ」
グラスをくいっと煽り、
すでに頬をほんのり赤く染めたまま、満足げに息を吐く。
「……あんたさ」
カウンターの向こう、
年齢不詳・人生経験過多のママが、呆れ半分に声をかける。
「結婚したんだからさ。
少しは花嫁修業とかしなよ。
そんなんだと、そのうち亭主に愛想つかされるよ?」
「うーん?」
りりは首を傾げ、
ほろ酔いの笑みを浮かべた。
「いいの、いいの〜。
ズボラな私込みで、愛してくれてるからさ〜」
――完全にのろけ。
「……そういう問題じゃないんだけどね」
ママは溜め息をつき、
グラスを拭きながら語り始める。
「夫婦ってのはさ、
どっちかっていうと“戦友”だよ」
「戦友?」
「そう。
背中を預けられるかどうか。
男も女も、それぞれ仕事や子育て、
自分の領分で世間と戦うんだ」
ママは一瞬、遠い目をした。
「家庭は最前線基地さ」
「……うーん」
りりは頷きつつも、
どこまで本気で聞いているのか怪しい。
「わかった、覚えとく〜」
(※なお、翌朝にはだいたい忘れる)
そんな時――
カラン
と、店のドアが軽やかに開いた。
「いらっしゃい〜」
ママの声が店内に響く。
入ってきたのは、
どこか可憐で、どこか場違いな少女。
「……あら。この店、初めて?」
「初めて……って言えば、そうね」
少女は自然体でカウンターを見る。
「ママ。芋のロックで」
「はーい。どこでも座ってちょうだい」
少女は軽く手を挙げ、
「おっす」
と、気さくに挨拶した。
――亜紀である。
りりは、
ゆっくりと横を向き――
「……あ、あんた!!」
素っ頓狂な声を上げた。
亜紀は当然のように、
りりの隣に腰を下ろし、
ため息混じりに呟く。
「探してもいないと思ったよ。
『あいつ』も、『あんた』も」
「でしょうね」
亜紀はあっけらかんに答える。
「こっちも死んだと思ってたし。
……まあ、死んだっちゃ死んだんだろうけど」
「ふふっ」
亜紀は楽しそうに笑った。
「でさ」
りりがちらりと横目で見る。
「なんで勝手に腕輪貸すのさ」
「えっ、そこ?」
亜紀は目を丸くする。
「久しぶりのマブダチに会えて、
嬉しいとかないの?」
「……まあ」
りりは少し考え、
「いいや。どうせ、
かなり前のバージョンだし」
妙に納得してしまった。
「はい、芋のロックね」
ママがグラスを置く。
「ありがと」
亜紀はそれを受け取り、
りりのグラスと――
カチン
無言で合わせた。
言葉はいらない乾杯。
「……でさ」
亜紀が微笑む。
「やっと、揃ったね」
「だな」
りりは短く答えた。
「それで、ここからどうするの?」
「何もしないよ」
亜紀はカウンターに肘をつき、
頬に拳を添えて言う。
「ただ――
『あいつ』のそばにいるだけ」
そして、
意味深に微笑む。
「もうすぐだから」
「……」
りりは、グラスの中の透き通る液体を見つめた。
「あ、そうだ」
ふと思い出したように、亜紀が言う。
「しばらく、泊めてくんない?」
「いいよ」
りりは即答した。
「マブダチじゃん」
その笑顔は、
昔と何一つ変わらない。
――そして。
亜紀は、
決定的なことを忘れていた。
リリス――いや、りりの
壊滅的な生活力のなさを。
数時間後。
そのマンションを目にした瞬間、
亜紀は深く、深く後悔することになるのだが――
湯気の立つ夕食が並ぶテーブル。
白米、味噌汁、焼き魚、そして澪お手製の副菜たち。
――にもかかわらず。
「……」
箸を持ったまま、
一人の手は止まっていた。
(昼のお弁当……二人前……いや三人前……)
胃が、正直すぎる悲鳴を上げている。
「どうしたのさ」
向かいに座る澪が、にこやかに首を傾げる。
その笑顔が、やけに整いすぎているのが逆に怖い。
「食べなよ」
「う、うん……」
もちろん澪は知っている。
昼に“何があったか”も、
“どれだけ食べたか”も――すべて織り込み済みだ。
「そっかぁ〜」
澪は箸を置き、ため息混じりに言う。
「食べられないよね。
かわいい彼女がさ、
おいしいおいしいお弁当、作ってくれたもんね」
――グサッ。
「僕の料理なんて、不味くて食べられないよね」
――ズブッ。
言葉が、
完全に武器として背中に突き刺さる。
「あっ、い、いや、そんなこと……!」
慌てて一人は箸を動かす。
「ほら、ほら、食べようかな。
すごく……おいしそうだよ!」
(※震え声)
「へぇ」
澪は微笑んだまま、さらに続ける。
「君さ、最近モテモテじゃないか?」
――来た。
「トカゲと結婚して、
悪魔とも結婚して、
今日は可愛い彼女。しかも料理上手」
にこにこ。
にこにこにこ。
「いいね〜」
――ザクザクザク。
見えない矢が、
背中に、肩に、心臓に。
(もうハリネズミってレベルじゃない……!)
「昔さ」
澪は、ふっと遠くを見る。
「弟がいたんだ」
嫌な予感が、確信に変わる。
「非モテだったけど、一途でね。
澪が一番だって言ってくれてた」
一人の胃が、きゅっと縮む。
「生涯一緒にいたい、なんてさ。
あの子、今どこにいるんだろうね」
澪は、
真っ直ぐ一人を見る。
「君、知らない?」
――機関銃。
いや、見えない弾丸の集中砲火。
「そ、その……!」
一人は必死に言葉を絞り出す。
「亜紀ちゃんのことは、
僕、ほんとに知らないんだ!
偶然で……!」
「へぇ〜」
澪は小さく首を傾げる。
「会った初日に、もう名前呼びなんだ」
――終わった。
「流石だね。モテる男は違うなぁ。
いつからそんな、女たらしになったのさ?」
(なに言ってもダメなやつだこれ!!)
――そして、その瞬間。
世界が、裏返った。
カチリ。
音が止まったように感じた。
「……君、誰?」
一人が、目を見開いて澪を見る。
「……っ」
澪の表情が、初めて崩れた。
「あれ?」
一人は周囲を見回す。
「ここ……どこ?
なんでご飯食べてるの?」
混乱した声。
「さっきまで、部室に……
みんなと、いたよな?」
「……落ち着いて」
澪は、すぐに立ち上がり、一人の前に回る。
「大丈夫。すぐに、戻るから」
「戻るって……何に?」
一人の瞳は、
完全に“今”を掴めていない。
澪は無言で、
一人の額の前に手をかざした。
――ほのかな光。
「……っ」
一人はそのまま、
椅子にもたれかかり、眠りに落ちる。
静寂。
「……もう」
澪は小さく呟いた。
「封印が、解かれ始めているのか?」
その声には、
苛立ちよりも――焦りが滲んでいた。
その頃――遠く、しかし確かに
同じ“揺れ”を、
所有紋を通して感じ取る者たちがいた。
「そろそろね」
自分の屋敷で、 永遠が微笑む。
「ふふ……」
一方。
「ふーん」
散らかったマンションで、
りりはソファに寝転びながらニヤリとする。
「まあ、いいけど」
――そして。
「……だから言ったでしょ」
掃除機をかけながら、
苛立った声を上げる亜紀。
「覚醒、始まってるわよ。もう再封印は無理」
ゴミ袋を一つ、乱暴に縛りながら。
「それよりさ」
振り返り、りりを見る。
「この部屋、
いい加減どうにかしなさいよ!!」
りりは目を逸らした。
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