第92話 ディス・オールド・ハート・オブ・マイン
お昼休み――静かなる戦場
四時間目終了のチャイムが鳴った瞬間、
教室の空気が一気に緩む。
「昼だー!」
「購買ダッシュ!」
「今日のパン争奪戦だぞ!」
そんな中――
一人の席だけ、異様に張りつめていた。
原因は、言うまでもない。
隣の席の――馬原亜紀。
彼女はくるりと一人に体を向け、
またしても“例の角度”で顔を覗き込んできた。
「教科書、ありがとう」
にこっ。
「それでね……お願いがあるんだ」
――上目遣い。
(あっ、だめだこれ)
(脳が反射で返事しちゃうやつだ)
「う、うん。いいよ」
思春期男子の悲しい性。
「やったぁ!」
ぱあっと花が咲くような笑顔。
「ねえ、お昼ね。
お弁当作ってきたんだ。一緒に食べよ?」
(あっ、これ断れない流れだ)
「……うん、いいよ」
――が、その時の一人は、
まだそれに気づいていなかった。
これが、
地獄のお昼休みの始まりだとも知らずに。
お弁当、開封
「はい、これです!」
亜紀は席に座り、
可愛らしい布に包まれたお弁当箱を机の上に置いた。
――いや。
二つ、ある。
しかも片方は、
どう見ても男子サイズ。
「……もしかして、それ……」
一人が恐る恐る聞くと、
「うん。君の分だよ」
にこやかに、当然のように言い切る亜紀。
(えっ)
(僕の……?)
「も、もしかして……迷惑だった?」
しゅん、と肩を落とす亜紀。
潤んだ瞳。
――庇護欲、直撃。
「い、いや! 全然!いただきます!」
(なんでこうなるんだ、僕の人生)
ぱかり。
弁当箱が開く。
中身は――
綺麗に握られたおにぎり
こんがり焼かれたハンバーグ
ふわふわの卵焼き
タコさんウインナー
ほうれん草の胡麻和え
完全手作り。
冷凍食品ゼロ。
(……普通に、すごくない?)
「ほら、食べてみてよ。自信作なんだ」
亜紀は箸でハンバーグをつまみ、
一人の口元へ。
「あ、いや、自分で――」
「はい、あーん」
(逃げ場が、ない)
ぱく。
――次の瞬間。
「……なにこれ」
「どう?」
「めちゃくちゃ……うまいんだけど」
思わず素に戻る一人。
さっきまでの警戒心、
全部吹き飛んだ。
「でしょ〜?」
亜紀は満足そうに微笑む。
天使。
完全に天使。
(やばい……)
(これは……)
――すると。
「どれどれ……いや、美味しいな」
場違いなほど落ち着いた声が、
空間に割り込んだ。
2人の視線が、一斉に向かう。
そこにいたのは――
澪。
ここは映画研究会の部室。
当然のように、当然すぎるほど当然に、澪がいる。
澪は、いつの間にか一人の弁当を覗き込み、
亜紀のハンバーグを一口。
「ふむ。悪くない。
よかったじゃないか、一人。
こんなに可愛い彼女にお弁当を作ってもらえて」
にこやかに言いながら――
じわり、と一人に顔を寄せる。
距離、近い。
「君が、こんなに食いしん坊だったなんてね。
一緒に暮らしてるのに、知らなかったよ」
(圧が、強い)
「もちろん――
僕が作った分は、全部食べるんだよな?」
低い声。
笑顔。
しかし目が笑っていない。
――
(残したら、承知しねえぞ)
と、全身で語っている。
「やだ〜、こわいよ〜」
亜紀が、わざとらしく肩をすくめる。
「そんなんだからさ〜
悪魔に先越されちゃうんじゃない?」
ぴしっ。
空気が凍る。
一人も、思わず口を
「な、なんで知ってるの? 亜紀ちゃん」
すると亜紀は、
にこっと微笑んで――
「だって私、君のことなら何でも知ってるよ?」
そして。
「嫁だもん。正真正銘のね」
ウインク。
――ドン。
澪の背後で、見えない効果音が鳴った。
「……ふんっ」
澪は顔を背ける
「一番来てほしくないやつが来たね」
ぼそり。
「帰れよ。もう一人は僕のなんだ。
将来を誓い合ってるんだよな? 一人」
鋭い視線が突き刺さる。
「う、うん……」
歯切れの悪さ、最高潮。
「ふふっ」
亜紀は余裕の表情で腕を組む。
「だからさ〜
私は現役の嫁なんだよ。本物の」
(現役って何!?)
一人の脳内が悲鳴を上げる。
逃げるように、
一人は澪の弁当へ箸を伸ばす。
卵焼き。
ぱくり。
「……」
「どうだい?」
澪が、じっと見つめる。
「うん……美味しい」
その瞬間。
「それもいいけどさ」
亜紀が、すっと箸を伸ばす。
「私の作った卵焼きも、食べてみてよ」
箸で卵焼きをつまみ、
もう片方の手で、そっと添える。
――完全に「あーん」の構え。
「う、うん……」
一人は観念して、ぱくり。
次の瞬間。
「あれ……?」
目を見開く一人。
「なんか……
口に、すごく馴染む……」
咀嚼しながら、首をかしげる。
「昔から食べてたみたいな……
なんでだろう」
「でしょ?」
亜紀が、意味深な笑みを浮かべる。
「これが“家成の味”だもんね」
「……っ」
澪が、歯を噛みしめる。
完全に――屈辱の表情。
「か……か、一人」
苦し紛れに声を張る。
「残したら……承知しないからな」
(そこ!?)
こうして――
一人の前には、
特大弁当×2。
逃げ場なし。
休戦なし。
「がんばって♡」
「全部食べなよ?」
左右から、笑顔の圧。
(これ……拷問では?)
しかし――
結果は言うまでもない。
完食。
胃袋は限界を超え、
魂が少し抜けた一人は、机に突っ伏す。
(……もう……何も入らない……)
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