表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

239/263

第80話 マダム ドラゴニア(4)

ホテルのスイートに、深夜の静寂が満ちていた。


 薄明かりのランプが揺れ、

 シーツの上で静かに寝息を立てる一人の胸が、

 規則正しく上下している。



 アウレリアはその横顔を見つめ、

 そっと髪に触れた。



 さっきまで、指に絡まっていた髪。


 さっきまで、腕の中で震えていた身体。


 さっきまで、求める声を漏らしていた唇。


 胸奥がじん、と熱くなる。


「……すごい子ね。

 もう……手放せなくなっちゃったじゃない。」


青い髪が肩から落ち、

素肌にかかる黒いランジェリーがわずかに揺れる。


“夜の国”に来てほんとうによかったと、

彼女は心から思った。


欲望と幸福が混ざり、

アウレリアは思わず一人の頬に指を滑らせる。



(愛おしい……。

 こんな気持ち、いつ以来かしら……?)


 そして胸の奥底から、

 どす黒い“欲”がゆっくりと浮かびあがってくる。


(……なんとか、この子を

  私のものにできないかしら )


 その時だった。

 一人が寝返りを打ち、

 シーツがふわりとめくれた。



 露わになった背中と腰、

 そして——尻の上に刻まれた“紋”が

 アウレリアの目に飛び込んできた。



 美しく、禍々しく、異質な紋様。


 アウレリアは息を呑んだ。



「…………エマ。 」

 即座にインターホンを押す。



 数十秒後、エマが部屋に入ってきた。



「失礼します——…って、ああ。」


 紋に気づくなり、

 エマの顔から一瞬で血の気が引いた。



「……不味いですね、奥様。」


 アウレリアは眉をひそめる。


「これ……所有紋よね?

 私も貴族の生まれだから教養はあるけれど……全部は読めないわ。」



「はい。これは“所有の紋章”。

 魔女と悪魔 の二重です。」



 エマはじっと紋を見て、息を飲んだ。


「悪魔のほうは……私には読めません。

 ですが魔女の側は……はっきりしてます。」



 エマは声を潜めた。


「——゛番人゛の情夫。」



 アウレリアの表情が固まる。

「番人……って、何?」



「ええ。裏社会の“最終防衛”。守護者


 そして悪魔側の紋ですが……

 おそらく リリス 。 」



 アウレリアは思わず喉を鳴らした。


「リリス……誰?」



「はい。裏では知らない者はいません。


゛始末屋゛

 処刑人です。一人は……その2人の 色 です。」




 短い沈黙。


 アウレリアはごくりと唾を飲んだ。


「……エマ、あなた。勝てる?」



「正直、難しいです。


 私は暗殺者の一族の生まれで、

 相当鍛えられてきましたが……あの2柱は、別格です。」



 そして、疑問が口をつく。


「……でも、変ですよね。


 そんな存在の“色”が……

 なんで吸血鬼の眷属なんだろう。」



 アウレリアは額に手を当て、

 ベッドに横たわる一人を見る。



「……このまま彼を連れて

 ドラゴニュート領に戻るのは?」


 エマは即答した。

「バレたら 戦争 です。


 ゛番人゛と゛始末屋゛の相手なんて……

 マフィアのほうがまだ話が通じます。」


 

 アウレリアはふっと笑った。


 狂気じみた、しかし艶やかな微笑み。


「交渉……できる?」


「どうでしょう……。

 “一人を助けた”という事実があるので、

 今は大丈夫でしょうが……」



 エマが言い終わる前に、

 アウレリアは肩をすくめて笑った。


「——まあいいわ。

 明日、遊んでから考えましょ。」


 そのあっけらかんとした言い方に、

 エマは呆れながらも苦笑する。


 そして二人は眠る一人を見つめ、


 決して触れてはならない“火”に

 自分たちが手を伸ばしてしまったことを、

 かすかに理解し始めていた。




 柔らかな朝の光が、

 カーテンの隙間から差し込んでくる。


 一人はゆっくりと目を開けた。

 昨日の出来事を思い出す前に、



 まず視界に入ったのは——

 枕のすぐ隣で眠れぬまま見つめていたのか、

 軽く目を細めて微笑むアウレリアだった。


「——おはよう。 」

 落ち着いた、しかしどこか甘やかすような声。



 一人はびくりと身を縮め、

 少し戸惑いながらも返す。



「……お、おはようございます。 」



 アウレリアは、

 昨日と同じ艶やかな髪を揺らしながら言う。


「昨日は……すごかったわ。

 見かけによらず大胆なんだもの。」


「う……あ、あの……ごめんなさい。

 アウレリアさんに……甘えちゃったみたいで……」



「謝らなくていいのよ。」

 アウレリアはそっと一人を抱きしめ、

 うなじに頬を寄せる。



「ねっ?」

 その声が、やわらかく身体に染みこんでくる。



 そして——



 胸の中に押し寄せる感情に耐えられなくなったように、

 一人はぽつりと呟いた。


「……そ、その……僕……母が……亡くなって……

 家族で残ってるの……いとこだけで……」



 呼吸が震え、

 声の端がかすかに泣き声に変わる。


「ごめんなさい……昨日、甘えちゃって……」

 ぽろり、と涙が頬を伝った。



 その瞬間——


 アウレリアの胸の奥に何かが弾けた。

(……この子……なんて……)



 胸がきゅっと締めつけられ、

 母性とも独占欲ともつかない感情が渦巻く。


「いいのよ。」

 腕の力が少しだけ強くなる。


「甘えたいときは、甘えていいの。

 ……私が抱きしめてあげるわ。」


 一人はその胸に顔を埋め、

 しばらくの間、泣き続けた。



 アウレリアはその頭を、

 静かに、優しく撫でつづけた。


 


 パンの香ばしい匂いと

 淹れたてのコーヒーの湯気が立ちのぼる。



 フルーツの彩りと、ヨーグルトの白。




 だが——



 一人の視線は皿には向かない。


(昨日の……も、今のも……

 思い出すだけで……顔が……)



 真っ赤になり、

 俯いたままパンをちぎる手が震えている。



 アウレリアはその様子を見て、

 たまらなく可愛いという表情を隠せない。



(ふふ……かわいい。ほんとに……いい子ね。

 こんなの、手放せるはずないじゃない。)


 微笑む彼女と、

 気まずさに押し潰されそうな一人。


 そんな絶妙な空気に包まれながら

 朝食の時間はゆっくりと流れていった。




☆ここまで、読んでくださり、感謝いたします。


評価ポイント、ブックマーク登録 していただければ、励みになります。


今後もよろしくお願いします!



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ