第62話 愛川りり(6)
次の日の朝 ― 一人の部屋
ピピピピピ――。
耳元を揺らすアラームに、一人はゆっくりとまぶたを開いた。
朝の光が薄く差し込み、寝起きの頭に静かに沁みていく。
「……なんだろ。
なんか夢を見た気がするんだけど……思い出せないや。」
体がどこか重い。
けれど理由は分からない。
そんな気だるさを引きずりながら、ベッドから起き上がった。
そして、澪のマンションで朝食の時間。
「いただきます。」
2人が手を合わせた、その瞬間――
澪の眉がピクリと動く。
(……魔力の、残滓? 微量だけど……これは)
澪はじっと一人を見つめる。
「一人……昨日、よく眠れた?」
「え? あ、うん。よく眠れたよ。
なんか夢見た気がするけど……内容は全く思い出せない。」
その言葉を聞いた途端、澪は椅子を引いて一人の横へ来る。
「……動かないで。」
「えっ、ちょ、澪?」
返事を聞くより早く、澪は一人の手首を掴んで匂いを嗅ぎはじめた。
さらに腕、肩……と次々に確認していく。
「お、おい澪~……な、なんで匂い!?
え、何? どうしたの?」
「黙ってて。動いたら噛むよ。」
「ええぇ……」
澪の表情はいつになく真剣だった。
そして――
一人の首筋に顔を寄せた瞬間。
「……ッッ!!」
澪の顔色が、サッ、と変わる。
「なんだこれ……っ!!」
バンッ!!!
澪は立ち上がり、食卓が揺れた。
「一人、すぐ服脱げ。」
「はあ!? な、なんで朝から!?
せめて理由を――」
「いいから脱げ!!」
怒号。
澪のこめかみがピクピクしている。
ガシッと掴まれ、上着を引っ剥がされる。
続いてズボンも勢いよく脱がされた。
「ちょ、ちょっと澪!?
落ち着けってば!! 僕パンツ一枚なんだけど!!」
「そのパンツも脱げ。
……お前にも男のプライドがあるだろ。
だから、自分で脱げ。ここで。今すぐに。
さもないと――本気で破るからな。」
(ぜ、ぜったい怒ってる……! ガチのやつだ……!)
「えええええええ……」
仕方なく、一人はそろそろと背を向け――
パンツをおろした。
次の瞬間。
澪「……ッ!? これ……紋様……!? いつの間に……っ!」
沈黙。
そして――
「あーーーーーーーー!!!!!
あいつか!! くっそ、やられた!!!」
澪の絶叫がマンション中に響き渡った。
窓の外では――
驚いた小鳥が、一斉に飛び立っていった。
りりのマンション。
薄曇りの光がカーテンを透けて差し込み、
ベッドの上に眠る女の白い肌を淡く照らした。
やがて夢の底から浮上するように、
りりはゆっくりと目を開け――そして、息を呑んだ。
「……っ、はぁ……」
両手で顔を覆った瞬間、
昨夜の記憶が濁流のように押し寄せた。
熱、肌、息づかい――
そしてあの、甘すぎるほど破壊的な“幸福感”。
「あ……」
声にならない声が漏れ、りりの肩が震える。
頬が見る見る赤く染まり、
胸元に置いた指先が、鼓動に合わせて波打つ。
あまりにも、愛おしすぎて。
「ああ……まずい……これ……ほんとに……だめだって……」
理性が焼け落ちていくのが分かった。
自分でも怖いくらいに。
「どっちが淫魔なのよ……ふふ……
恋に溺れた…小娘みたいじゃない……」
笑いながら震える。
だがその笑みは甘く、同時に壊れていた。
呼吸が浅くなる。
胸の奥から、愛しさと欲が入り混じった何かが込みあげてくる。
「……こんなの知ったら……私……
もう……後戻りなんて……できるわけ、ないでしょ……」
目を閉じる。
夢の中の熱が、いまだ体の奥に残っている。
とろけるような触れ合い。
互いの心が溶けて混ざり合った、あの瞬間。
――あれは夢じゃない。
魂が触れた感覚は、記憶の形で“焼き付いて”いた。
「……ふふ……もう私のものよ……
男なんてね、一人がいれば十分。あとは全部……いらない。」
ゆっくりと身を抱きしめる。
自分の腕の中に、一人がいるかのように。
そのままベッドからスマホを取る。
画面に映る、無防備で優しい笑顔。
その写真に、そっと唇を寄せる。
触れる瞬間、りりの瞳がぞくりと細められた。
「ねぇ、旦那様……
直に会いに行くわ……次はもう……逃がしてあげない。」
スマホに押し当てた唇が小さく音を立てた。
狂おしい。
胸が破裂しそうだった。
「……でも、その前に。」
布団を払い退け、ベッドの上にゆっくりと起き上がる。
長い髪が背中を滑り落ちると同時に、
その瞳には黒い光が灯った。
「魔界へ行かないと……
君を繋ぎ止める“最後の楔”……打たなきゃね。」
口元が、薄く、妖しく吊り上がる。
その笑みは甘く、やさしく――
けれど、底の底で狂気がうごめいていた。
「一人……愛してるわ……壊れるほど……ね。」
そんな朝だった。
世界がまだ何も知らずに静かに動き始める、残酷なほど幸福な朝。
☆ここまで、読んでくださり、感謝いたします。
評価ポイント、ブックマーク登録 していただければ、励みになります。
今後もよろしくお願いします!




