第61話 愛川りり(5)
ーー夜。深夜。
世界のすべてが闇に沈む頃。
その静寂の奥で――
一人の部屋に、そっと揺らめく影が立っていた。
暗闇の中に溶けこむような黒。
そこから現れたのは、まるで夜そのものを纏ったような女。
りり。
彼女は、眠る一人に近づくと、
そっとしゃがみ込み――
触れるか触れないか、羽のように軽いキスを、彼の頬へ落とした。
「……ん……?」
気配に気づいた一人が、ゆっくりと目を開ける。
「りりさん……?
な、なんで……僕の部屋に……?」
驚きと戸惑いが入り混じった声。
対して、りりは暗闇に映える妖艶な微笑みを浮かべた。
「ふふ……来ちゃ、だめだった?」
まるで甘く誘惑するように。
薄闇に浮かびあがるその姿は――
黒のキャミソールに、黒のショートパンツ。
光を吸い込むような布地が、ありえないほど大人びた雰囲気を醸し出す。
一人は慌てて顔をそむけ、
掛布団を握りしめ、声を震わせた。
「そ、そんな格好で、男の部屋に来ちゃ……
だ、だめですよ……!
お……襲われ……ちゃいます……」
その弱々しさが、逆にりりを満足げにさせた。
「それは違うわよ?」
ひらり、と髪をかき上げる。
そして――
りりはそのまま、一人の腰の上にまたがった。
シーツがわずかに沈み、
一人の呼吸が止まる。
「今、襲われているのは……
君の方、でしょう? ねぇ……ふふっ」
りりの指が彼の頬に触れ、
そのまま、そっと押し倒すように顔を近づけ――
唇が重なる。
「っ……ん……」
短い、しかし抗いようのない深い口づけ。
一人はそのまま、意識がふわりと遠のいていった。
力が抜けていく彼を見下ろしながら、
りりは腰に手を添え、ゆっくり息を吐いた。
妖しく、甘く、そしてどこか満足げに。
「さて……
ここからが“ほんとう”の本番よ?」
暗闇の中で、
りりは一人の額へ、自身の額をそっと重ねた。
その瞬間、
夢の世界に見えない波紋が広がる――。
暗い深淵へと――落ちていく。
いくつもの記憶が、走馬灯のように駆け巡る。
澪との生活。
この世界へ来た日の混乱。
さらにその前……もっと大事な“何か”。
しかし、その核心に触れようとした瞬間、
鈍い痛みとともに、見えない封印がせり上がる。
深く
もっと深く
──さらに、その底へ。
そこに“それ”はあった。
黒い檻のような結界。
幾重にも重なった魔法陣が、ほのかに灯り、
まるで生き物のように呼吸をしている。
「ふーん……ずいぶん厳重にしてあるじゃない。
でも、話くらいはできそうね。壊すのは……まぁ、無理か」
りりは薄く笑い、闇の結界へ声を送った。
「聞こえてるでしょ? こっちに出てきてよ?」
ゆらり。
檻の奥から、人影のようなものが近づいてくる。
それは黒い霧。
闇の塊。
一人の“影”のようであり、
まったく別の“何か”のようでもあった。
「……なんの用だ」
声は確かに一人の声。
けれど、氷の底で響くような低さ。
りりは眉ひとつ動かさず、見つめ返した。
「あんた、誰?」
「さあな……今はただの“人間”だ。
ここから出せるか?」
「すぐには無理ね。でも……同族みたいに見えるわ。
……もし出したら、世界でも滅ぼすつもり?」
「どうだろうな。
今はただ――自由になりたいだけだ」
その“闇”は檻の奥で、わずかに揺らめいた。
まるで息を潜める猛獣のように。
「魂の姿、よく見せてよ……?」
りりが一歩近づいた、その瞬間――
「……っ!」
一人はベッドの上で跳ねるように目を開けた。
胸が速く脈打つ。
さっきまでの光景が、霧のように頭の奥で揺れている。
そして――
すぐ横に、りりがいた。
彼の枕元に身を寄せ、
恋人を見るような、しかしどこか“所有する者”の微笑みで。
「ふふ……やっぱりね。
私の王子様は、君だったんだね。」
柔らかく、甘く、決定的に妖しい声。
次の瞬間――
りりはベッドに手をつき、一人に覆いかぶさる。
眠りの余韻が残る部屋。
ほのかな電灯の光が、2人の肌を淡く照らし、
陰影をつくり――まるで夢の続きのように妖艶に輝いた。
「ねぇ……この前の続き、しよ?」
囁く息が耳に落ちる。
逃げ場は、もうどこにもない。
次の日の朝 ― 一人の部屋
ピピピピピ――。
耳元を揺らすアラームに、一人はゆっくりとまぶたを開いた。
朝の光が薄く差し込み、寝起きの頭に静かに沁みていく。
「……なんだろ。
なんか夢を見た気がするんだけど……思い出せないや。」
体がどこか重い。
けれど理由は分からない。
そんな気だるさを引きずりながら、ベッドから起き上がった。
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