閑話休題 夢 幼き日の思い出(2)
次の日の夜―― 一人の部屋
夢を見た。
それは、本来あるはずのないはずの夢。
けれど胸の奥が懐かしさでじんと温まり、
“確かに存在した記憶”として蘇ってくる。
「ピンポーン!」
家成家の隣、愛川家のインターホンが響いた。
ガチャ、と玄関が開く。
そこには幼い頃の一人が、息を切らしながら立っていた。
小さな両手には、茶色の紙。
「ねえちゃん、はい!これ!!」
まるで自分の使命を全うする騎士のように、胸を張って差し出す。
玄関に現れた少女――小学校高学年のりりは、少し驚いた顔をしたあと、やわらかく微笑んだ。
「ふふ……ありがと。
そうだね、一人が大きくなってイケメンになったら……もらってあげるよ。
だから、いい男になれよ?」
からかうようでいて、どこか優しく包み込む声音だった。
途端に、一人の顔は真っ赤に染まる。
「……っ!」
奥から足音が近づき、りりの母――端整な美人が顔をのぞかせた。
「ふふ、仲がいいのねぇ。二人とも」
りりは紙を揺らしながら、肩をすくめる。
「ママ聞いて。最近ね、この子が言うんだよ。
“大きくなったら、りりをお嫁さんにする!”って。
ほんとませてるんだから」
りりの母は紙を覗き込み、意味深に眉を上げた。
「……まあ、契約みたいなものね。いいの?」
「大丈夫だよ。懐いてくれるの、この子だけだし」
りりは軽く笑って続ける。
「でもまあ、子どもだしね。大きくなれば気も変わるでしょ」
その言葉に、一人は全力で首を横に振った。
「変わらない!!
姉ちゃんのこと、大好きなんだ!!
僕、大きくなったら絶対、お嫁さんにするから!!」
幼い声なのに、言葉だけは真剣そのもの。
その勢いに、りりは少しだけ驚き――そして、ふわりと微笑んだ。
あの頃の夕暮れ。
あの頃の約束。
あの頃の恋心。
すべてが、夢の中で鮮やかに息を吹き返す。
――そして。
夕暮れの路地の奥。
その光景をじっと見つめる影がひとつ。
風に揺れる赤い髪。
細いシルエットが影を落とし、ゆっくりと口角をあげた。
夢を見ている一人に、決して悟られぬように。
その笑みは、どこか歪んでいて――
どこか、執着の匂いを帯びていた。
ー澪のマンション 一人の部屋ー
ピピピピピ――
耳元で鳴り響くアラームに、一人はゆっくりとまぶたを開いた。
カーテンの隙間から差し込む朝の光が、まだ冷たい空気を淡く照らし、
現実へと静かに連れ戻してくれる。
けれど、その胸の奥には――
さっきまで見ていた夢の温度が、まだ残っていた。
一人は布団の中でぼそりとつぶやく。
「……そうだ。あの時、告白したんだ。
婚姻届まで出して……なんで今頃……思い出すんだよ……」
自嘲するような笑みがこぼれる。
「もう、昔のことだし……
ねえちゃんだって、忘れてるよな……きっと」
言い聞かせるように呟きながら、ゆっくりとベッドから出る。
その瞬間――
布団の中から、かすかに“媚香”のような甘い香りが漂った。
一人が部屋を離れるにつれ、その香りはゆっくりと薄れていく。
まるで、
“悟られまい”
“気付かれまい”
とでも言うように。
静かに、静かに、朝の空気へ溶けていった。
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