第57話 愛川りり(1)
バイクが急停止し、エンジン音が静かになった。
一人は震える手でヘルメットを外す。
見上げた先には、見覚えのない高層マンション。
「え、あれ……?ここ、僕の家じゃないですよね?」
横でヘルメットを脱いだりりは、濡れたように艶やかな赤い髪を揺らした。
「うん。シャツ、置いてあるからさ。
ちょっと上がってって。ほら、早く」
りりは無造作に一人の腕をつかむ。
(えっ……あれ?腕の距離近い……いい匂い……いやいやいや!)
エレベーターが無機質に鳴り、静かに上昇していく。
りりの体温がすぐ隣にあって、心拍数が上がる。
「ほら、着いたよ」
カチャ、とドアが開く。
次の瞬間——
異臭が鼻を刺した。
「りりさん……これ……」
言葉が続かなかった。
視界に広がったのは“カオス”だった。
積み重なった服の山。
崩れかけたコンビニ袋。
ペットボトル、食べ終えた弁当の容器。
大小さまざまな空き缶が転がり、酒瓶が倒れ、
カーペットの上は踏み場さえ危うい。
部屋の温度が妙に高く、湿気が絡みつく。
小さな黒い影——コバエが数匹、ゆらゆらと飛んでいた。
「り、りりさん……」
「ん?気にするなよ。男なんだし、細かいことは言わないの」
いや、細かいのレベルじゃない。
「ほら、こっち」
りりの指先が一人の服の裾をつまんだ。
(ひっ……! 距離近い……!)
ぐい、と引かれ、
崩れかけた服やゴミの山をかき分けながら、奥の部屋へ案内されていく。
りりの背中を追うたび、すれ違いざまにツナギの腰のラインが目に入る。
その度に胸がどきりと跳ねる。
「ほら、ここ。私の部屋」
そう言って扉を開けた瞬間、
りりの髪からほのかな甘いシャンプーの匂いがふわりと漂い、一人の鼻先をかすめた。
「あ……」
「どしたの?顔、赤いよ。……照れてるの?」
にじり寄るりりの唇が、やばい距離まで近づいてきた。
(ま、まずい……! たぶんここ……危険な場所だ……!)
緊張と、どこか抗えない吸引力に、
一人の喉がごくりと鳴った。
りりに手を引かれて進んだ奥の部屋には、
無造作にシーツが乱れたダブルベッドが置かれていた。
「まあ、そこに座ってて」
りりは軽くベッドを叩く。
一人は心臓が跳ね上がりながらも、ぎこちなく近寄る。
「え、ええ……」
腰をかけようとした瞬間——
手に触れた布切れに違和感を覚える。
つまみ上げてみると、それは黒いショーツだった。
「っ……!!」
一人の顔が真っ赤になる。
「あ、あっ、ごめんなさい!」
彼が慌てて手を離すと、
りりは口元に指を当て、蕩けるように微笑んだ。
「ふふ、ごめんね。散らかってて」
その笑みに一人の喉がつまる。
どこか甘く、危険な匂いがした。
りりはそのまま、すっと一人の横に腰掛ける。
肩が触れ合うほど近い。
「り、りりさん……?」
「ん〜?なぁに?」
艶っぽく首を傾げ、細い指が一人の腰に絡む。
「シャ、シャツを取りに来ただけ、じゃ……?」
「だね。でも……それだけじゃないの」
りりは一人の顔を覗き込み、息がかかる距離まで近づいた。
「教えてほしいんだ。
……君は何者なの? 本当に“家成 一人”なの?」
「え……僕は普通の……」
「ふーん。まあいいわ」
りりの瞳の奥が妖しく揺れる。
その瞬間、空気が変わった。
りりが一人の頬に手を添え、囁く。
「じゃあ……確かめさせてもらうね。
“あなたはわたしのもの”じゃない?」
ビクリ、と一人の身体が震えた。
瞳が一瞬、虚ろに沈む。
「……は、はい……ぼくは……りりさんの──」
しかし次の瞬間、
「えっ……えーーーーー!?
ぼ、僕、まだりりさんとそんな関係に!!」
まさかの抵抗。
りりの目が大きく見開かれた。
「なんで……!?
私、最上位のサキュバスなんだけど!?
す、すご……こんなの初めてだわ……あなた、本当に何者なの……っ」
「ええっ!!り、りりさんサキュバスなんですか!!」
混乱する一人。
だが——りりはもう止まらなかった。
そのまま彼の両頬を包み込むように掴み、
唇を重ねた。
「……んっ……」
甘く、深く。
一人は息が吸えないほどの熱に溶かされ、
そのまま糸が切れたように力を失う。
ぐたり、と彼の体がりりに倒れかかる。
りりは口元を拭い、ゆっくりと口角を吊り上げた。
「ふふ……やっぱりね。
普通じゃない……
“君の中身”、確かめさせてもらうわ」
りりの指先が、ゆっくりとツナギのジッパーにかかる。
「もう逃さないから……待っててね、一人……
私が全部、暴いてあげる……ふふっ」
薄暗い部屋に、りりの笑い声が絡みついた。
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