第21話 最強のふたり(1)
――その週、木曜日の夜。
澪先輩から唐突にRINEが届いた。
澪:明日、夕方、迎えに行くからな。用意しておけよ。
「はい」と返したものの、まだ家族には何も言っていない。
そのことを恐る恐る伝えると、即座に返答が飛んできた。
澪:あゝ、そこは大丈夫だ。合宿と伝えてある。
『そのまま貰ってもいいですか?』って聞いたら、
『どうぞどうぞ、引き取ってください』って笑って言われたぞ。
だから『ありがとうございます』って返しといた。
(……既視感あるな。永遠の時も、こんな感じだったような。いや、むしろエスカレートしてないか?)
とりあえず逆らうのが一番危険だ。僕は最小限の返事で「はい」とだけ送った。
そして翌日、金曜日の夕方。
ピンポーン。
玄関を開けると、澪先輩が仁王立ちしていた。
「迎えに来たぞ!! 行こうか」
言うが早いか、僕の腕を軽々と掴んで歩き出す。
そのまま電車に揺られ、たどり着いたのは住宅街の一角に建つ五階建てのマンション。
しかし、様子がおかしい。ポストに郵便物はほとんどなく、人気も感じられない。
「このマンションの一番上だ」
案内されながら上へ向かう。
階段もエレベーターも静まり返っていて、まるで廃墟のような気配さえ漂っていた。
「……なんか、人が住んでないような」
恐る恐る口にすると、澪先輩は悪戯っぽく笑う。
「そうだな。このビル、私以外は誰も住んでない。というか、このビルそのものが私のものだから」
(サラッと恐ろしいこと言ったぞ、この人……)
荷物を置くなり、「スーパー行くぞ」と澪先輩。
自然な流れで手を繋ぎ、歩き出す。
しかも途中で、当たり前みたいに「恋人つなぎ」に変わった。
「……」
顔が熱い。けど、彼女は上機嫌で何事もなかったように歩いている。
「今日はあんまり時間ないから簡単なもんにするけど……明日からは何食べたい? 作るぞ」
「なんでもいいです」
「いや、それが一番困るんだよ。男子が喜ぶ料理とか、あるだろ」
つい、茶化してしまった。
「え〜澪さん、ほんとに作れるんですか? 胃腸薬、いるんじゃ」
「……あゝそうさ。お前の胃腸を壊してやるのさ。――って、違うわ! 何言わせるんだ」
互いに笑いながら交わす会話は、もう完全に同棲カップルそのものだった。
手を繋いで歩くだけで、こんなに楽しいなんて思わなかった。
けれど、その時間は長くは続かない。
このあと――二人を待ち受けていたのは、修羅場だった。
――マンションに戻った瞬間だった。
澪先輩が、ふと立ち止まり僕を鋭く見つめた。
「そういえば……お前、あいつのとこで何したんだ?」
(……“あいつ”って永遠のことだよな)
脳裏に蘇る、あの夜の睦事。彼女の笑顔、吐息、熱。
一瞬の逡巡のあと、僕はとっさに誤魔化した。
「あっ、えっと……映画とか」
しかし――僕の声は、どうやら彼女に届いていなかったらしい。
「……まさか、一日中……いや、そんな……」
澪先輩は頭を抱え、目を泳がせる。
その表情は、明らかに様子がおかしかった。
「お前、まさか……あいつに心奪われ……?」
次の瞬間、彼女の顔が強張る。
「うそだろ、うそ……うそ、違うだろ……そうじゃないだろ」
低く呟きながら、僕の両肩をがっちりと掴み、顔を近づけてきた。
その眼差しは、まるで鬼に憑かれたかのように鬼気迫る。
「お前……あいつが好きになったのか? 私というものがありながら……
なんで? どうして? ねえ、ねえ、ねえ……なんか言いなさいよ! 言ってよ!」
息が詰まる。瞳孔が開き、熱に浮かされたようなその迫力に、背筋が凍りついた。
「あ、あの……すみません、澪さん。どうしたんですか? 怖いです」
僕の声で、ハッと我に返ったのか。
彼女は肩を震わせ、急に目を伏せた。
「あっ……ごめん。取り乱したりして」
その声はか細く、落ち込んでいるように聞こえた。
次の瞬間、ぽろぽろと涙がこぼれる。
「だって……だってさ。先週末、どんな気持ちでお前のこと思ってたか、わかる?
わからないよね……。わかったら、少しはすまなそうにするもんね。
きれいな彼女と過ごせて楽しかったよね? こんな嫉妬深い嫌な女じゃなくてさ……ねえ、ねえ……」
「……すみません。あの、落ち着いてください」
必死で宥める僕に、彼女は顔を歪めた。
「うぐっ、うぐっ……なにが“すみません”だよ。逆に惨めになるじゃないか。
笑いながら言えよ……『彼女とは遊びです』って! このヘタレが……うっぐ……」
涙で濡れた顔で、罵倒とも懇願ともつかない声を吐き出す。
痛いほどの感情が、刃のように突き刺さってくる。
――これ以上ここにいるのは危険だ。そう思った僕は踵を返し、出口へと向かった。
「すみません……嫌な気分にさせてしまって。もう帰りますね。失礼しました」
ガチャリとドアノブを掴んだ、そのとき――。
「ごめん、ごめんなさい……もう言わないから、ごめん……うぐっ、うぐっ……」
後ろから、熱を帯びた腕が僕の背中に絡みつく。
その声は涙で震えていたが、抱きしめる力はやけに強かった。
振り返ると――そこには、涙で頬を濡らしながらも必死に笑おうとする澪先輩の姿。
彼女は僕を引き寄せ、何かに縋るように口づけをした。
その唇は、悲痛と嫉妬と愛情が入り混じった熱を帯びていて――僕の心臓を一瞬で支配した。
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次回の更新は9月8日 23時です。
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