第53話 休戦協定…それぞれの思惑
ーーシャワー室。湯気の向こうで。
シャワーの水音が、狭いタイル張りの空間に規則正しく落ち続ける。
その中で、澪は壁に片手をつき、濡れた前髪から滴る雫を睨むように見つめていた。
(……まずいな。 ほんとに不味い。 永遠と、りり。
あの二人を同時に相手にするなんて……くそっ。
なんでこんなタイミングで現れるんだよ、最悪だ。)
湯気の中、澪の中で“声”が分裂する。
「関係ねぇよ! 二人まとめて相手してやんよ!」
怒りの澪が、拳で壁を叩く。
「……無理だよ。りりは最強だよ。失楽園の悪魔だよ……」
弱気な澪が、蒸気に紛れて震える。
「1対1なら……勝算はある。永遠ならね。
でも問題は“りり”だ。あいつだけは……」
冷静な澪が、現実を分析するように呟く。
そして、暗い光を宿した“統合された声”が浮かぶ。
「永遠の提案……受け入れる。
けど、機会があれば――排除。」
(永遠も同じことを考えてるはずだよ。)
澪の目が細まる。
「想定の範囲内……問題は“りり”と“あいつ”……」
数時間前――映画研究会・部室
午後の光が差し込む薄暗い部室で、永遠はカップに口をつけていた。
その動きは優雅で、無駄がない。
そして、ゆっくりと身を乗り出し――澪の目の前、数センチの距離まで顔を寄せてきた。
「ねえ、澪。
ひとつ――提案があるの。」
永遠の口角が、蛇のようにゆっくりと上がる。
「……聞くよ。」
澪は不機嫌そうに腕を組んだ。
永遠は、軽く囁くように言った。
「一人を、二人で“分け合わない”?」
澪の眉がピクリと跳ねた。
「だめだ。
一人は僕だけのものだ。
運命の巡り合わせで手に入れた、僕だけの……ものなんだ。」
永遠はクスッと笑う。
「ふーん、そう。
でも――いずれ“あっちの宇宙”から来るわよ、あいつが。」
「誰が来ても関係ないね。」
澪は椅子にもたれ、余裕の笑みを見せた。
「来たら、潰すだけさ。」
永遠の瞳が、氷のように冷えた。
「……私を潰せないあなたが?
いろんな意味で、あいつは“最強”よ。 いいの? 本当に?」
澪は鼻で笑う。
「へえ。 優しいこと言うじゃないか。
でも、本当は“所有権”の問題でしょ。
向こうじゃ持ち分が1/6。こっちなら1/2、
あわよくば――全部、自分のものにできる。」
永遠は黙っていない。
「そうよ。
こっちは退屈しなさそうだし。
それに……“目覚めない限り”連れて帰れない。
人間の精神は “別宇宙” を越えられない。
だから、しばらくはここにいるわ。」
「で……なんであんたは越えられるわけ?」
永遠が眉をひそめた。
澪は小さく笑った。
「ふふ。それは秘密。僕は“特別”なのさ。」
永遠は深く息をつき、
そして、最も危険な微笑みを浮かべる。
「じゃあ――こうしましょう。
学校内では私が優先。 それ以外はあなた。
これで休戦。
そうしないと……私、何するかわからないわよ?」
澪が返す。
「ふん。お断り……って言いたいところだけどね。
……まあ、考えておくよ。」
そして真顔になった。
「ただし。一人… あれは――僕の“男”だ。」
永遠の目が一瞬だけ細まり、
そして艶やかな笑みを浮かべた。
りりのマンション ――
玄関を開けた瞬間、鼻をつくアルコールとカビの混じった匂いがゆっくりと部屋を満たす。
脱ぎ散らかされた服は山となり、コンビニ袋はふくれたまま床を漂い、転がる酒瓶が転げるたびに微かな音を立てた。
りりは裸足でそのカオスを歩きながら、片手にビール缶を持っていた。
「おっ――あったあった、よ。」
ごそりと服の山の下を掘り返し、ホコリまみれの黒く焦げたアルバムを引っ張り出す。
表紙は焼け跡で溶け、角は炭のように崩れかけていた。
ビールを一気に飲み干し、空き缶を床に投げ捨てると――
グラスにウイスキーを注ぎ、ゆらゆらと琥珀色が揺れる。
りりはソファにもたれ、膝に焦げたアルバムを広げた。
薄い煙のような焦げ跡の間から、昔の写真が姿を現す。
そこには――小さな子どもと、まだ小学生のりりが並んで写っていた。
りりはその写真をつまみあげ、じっと、まるで獲物を見つけた猛獣のように見つめる。
「……そうだね。約束――だよね。
覚えてるよ。君だったんだね。」
指でそっと写真を撫でる仕草は、優しいようで、どこか執着を孕んでいた。
そして、アルバムの奥に挟まっていた“紙”を取り出す。
皺だらけで、ところどころ茶色く変色したそれは――
りりの指先に触れた瞬間、まるで大事な宝物のように大切そうに扱われる。
「ふふっ……そうだね。
君は“私のもの”。 私だけのもの。”
悪魔との契約は――絶対だからね。」
紙には、幼い字でこう書かれていた。
いえなり かずと
その横に…
愛川 りり
それは、二人がまだ子どもだった頃――
遊びで書いた……いや、一人にとっては“本気で書いた”婚姻届だった。
焦げ跡の中、署名の部分だけが、まるで運命に守られたかのように綺麗だった。
りりはゆっくりと微笑む。
その瞳は、愛しさと狂気の境界線で揺れている。
「かずと……
約束、忘れてないよね?だって、これは“契約書”。
私のものになるって決めた日なんだから。」
アルバムを閉じると同時に、部屋の照明がゆらりと揺れた。
まるで“悪魔”の影がそこに宿ったかのように。
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