第47話 ローガン(2)
しばらくして、優雅な客間のソファで二人は向かい合った。
一人の手は震えていたが、永遠はティーカップを片手に、相変わらず柔らかい笑顔を崩さない。
「君に危害は加えないよ。安心して」
「そ、そりゃ……ありがたいけど……」
永遠は、カップをそっとテーブルに置いた。
「で、質問をどうぞ。一つずつね」
一人は深呼吸をして、意を決して聞いた。
「君……誰なの? 本物の金髪の月永さんは……どうしたの?」
永遠は、少しだけ視線を宙に泳がせてから答えた。
「私も、月永永遠よ。本物の永遠もちゃんと元気。さっきも言ったとおり、今は……遠いところで暮らしてるだけ。楽しそうにやってるから安心して」
「……遠いって、どういう……」
「説明しても信じないよ。そういう“遠さ”」
永遠の笑みは優しすぎて、逆に怖い。
「君も、吸血鬼なんだよね……?」
「うん、まあね」
「……僕の血、吸うの?」
永遠は、首を傾げながら無邪気な声を出した。
「吸っていいの? いいなら吸うけど」
「ごめん、それは困る……」
「だよね。嫌われたくないし……吸わないよ」
永遠は控えめな笑みを浮かべた。
その仕草が、ほんの少しだけ寂しげにも見えた。
「それにさ……みんなは気づかないの? 金髪の永遠が、黒髪の君に変わったこと」
「もともと金髪の永遠が“魅了”で、みんなの認識を変えてたの。私も同じようにしただけよ。へへん♪」
「……へへんじゃないよ……」
「ノリ悪いなあ、一人は」
永遠は相手の心を弄ぶようなリズムで、靴先をぱたぱた揺らしながら言った。
「じゃあ……僕とはどこで会ったの? さっきから、知ってるような態度だけど」
永遠の表情から、ふっと笑みが消えた。
「——君は騙されてるんだよ。一人」
「……え?」
「あの女にね」
「澪のこと!?」
永遠はまっすぐに一人を見た。
「今は信じられないと思う。でも……私は君の婚約者なんだよ」
「……え…………ええええええええーーーーー!?」
一人の叫びが豪邸に反響した。
だが、その瞬間——
「やめてください!!」
客間の外から、メイドの悲鳴が響いた。
「これで二度目なんだぞ!? 誘拐だ、これは!!」
聞き慣れた、苛立ちに満ちた声。
「——澪!?」
ドアが乱暴に開かれる。
セーラ服姿の澪が立っていた。
鋭い目が永遠を射抜く。
「お前か……」
澪は一歩踏み込み、永遠と対峙する。
永遠は喉の奥でくすっと笑った。
「ようこそ、澪。お茶でも飲む?」
「ふざけるな。教室で起こした騒ぎは聞いたぞ。あれは冤罪だ」
澪は振り返らず、一人の腕を掴んだ。
「帰るぞ、一人」
「……う、うん」
一人はされるがまま引っ張られる。
永遠はその背に、穏やかな声を投げた。
「——また明日ね」
「うん。また明日」
自然に口から出てしまった。
自分でも、なぜそんな返事をしたのかわからない。
澪に手を引かれながら、一人は応接室を後にした。
永遠はソファに座ったまま、どこか満足げに微笑んでいた。
白亜の豪邸の玄関ホール。
シャンデリアの光が冷たく反射し、一人はただ呆然として立っていた。
澪が、掴んだままの一人の手をいったん放すと、くるりと振り返り、鋭い目を向けた。
「——お前は、ここで待ってろ。いいな」
「え……? あ、うん……」
澪はそのまま無言で応接室へ戻っていった。
ドアが閉まる直前、彼女の背中には“圧”があった。
怒りでも嫉妬でもない。もっと静かで、もっと危険な感情——。
応接室の空気は、すでに澪の殺気と永遠の余裕で満たされていた。
入ってくるなり、澪は低い声で言い放つ。
「……何しに来た」
永遠は紅茶のカップを指で転がしながら、ゆっくり顔を上げる。
その唇に浮かんでいたのは、挑発の笑みだった。
「ふふ。それはね——“ここに転校”……かしら」
軽く肩をすくめる永遠。
その態度は澪をあからさまに弄んでいるようだった。
「あいつはどこだ」
「私が来たところにいるわ。……ポジションを交換してもらっただけよ」
その言い方が、澪の神経にさらに火をつけた。
「……いいか。帰れ。そして——」
澪は一歩踏み込み、永遠の顔を真っ直ぐ睨む。
「もう二度と来るな」
吐き捨てるような声音。
澪は踵を返し、応接室のドアを勢いよく閉めた。
バタンッ。
響く音の余韻の中、永遠はドアをじっと見つめ——
「さて。明日は“部室”にでも顔を出そうかな。ふふ……」
小さく、不気味に笑った。
豪邸を出て、道を歩く二人。
澪はずっと手を握ったままだった。
指先が痛いほど強く。
「うっ……澪、痛い……」
言いかけた一人の声を、澪の冷たい声が遮った。
「……あいつが何を話したか知らない」
閑静な住宅街に、澪の声が静かに落ちる。
「でもな、一人。あいつの言ってることを絶対に信じるんじゃない」
一人は無意識に喉を鳴らした。
澪の横顔は、さっき屋敷で見た永遠より——ずっと怖かった。
「お前は……僕だけを見てればいいんだ」
強い。
命令のような口調。
「僕の言うことだけ聞いていればいい。わかったな」
「……う、うん」
答えるしかなかった。
その返事に満足したのか、澪の握る力が少しだけ緩んだ。
だが——その手の温度と引く力が、
どこか“逃がさない”と言っているようで、
一人の背筋にはずっと冷たいものが残り続けた。
帰宅後——
夕食の湯気が静かに上がるテーブルで、澪が箸を置いた。
「……あいつと、何を話したんだ」
低く、重く。
問いというより“尋問”に近い声。
一人は少し肩を震わせながら答えた。
「えっと……永遠が、吸血鬼だってことと……僕の血は吸わないって……それと……婚約者、って」
澪の目が細くなる。
食卓の空気が、一瞬で氷のように冷えた。
「吸血鬼なのは本当だ」
淡々とした声。だが奥に、怒りにも似た警戒がある。
「でもあとは嘘だ。信じるんじゃないぞ」
釘を刺すというより、支配を上書きするような口調。
「……うん。わかった」
一人は返したが、胸の奥がざわついていた。
夕食が終わり、澪がバスルームへ向かう。
「先に入る。勝手に外へ出るなよ」
浴室の扉が閉まり、すぐにシャワーの音が響き始める。
一人はゆっくり立ち上がり、何かに引き寄せられるようにテレビへ歩いた。
指が震えながらサブスクを起動する。
——永遠の声が脳裏に木霊する。
『帰ったら、X-MEN観てみて……そこに答えがあるから。いい、約束だよ』
深呼吸して、“ローガン”を選択。
再生された画面の中——
そこにいたのは、頬の傷跡を撫でるように指でなぞる、中年の男。
ラッセル・クロウ。
「……え……?」
理解が追いつかず、声が漏れる。
「なんで……ラッセル・クロウ……?
ヒュー・ジャックマンじゃ……ない……?」
画面の向こうの“ローガン”は、別の俳優の顔で、知っている物語の台詞を喋っている。
世界の底がゆらぐ。
頭の中の“常識”が軋みを上げて崩れ落ちる。
「……これ……何……?」
指が冷たくなっていく。
そして再び、永遠の声が脳裏を刺す。
『帰ったら、X-MEN観てみて……そこに答えがあるから』
永遠は何かを知っている——
この世界の違和感の“根源”を。
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