第46話 ローガン(1)
放課後のチャイムが鳴ると同時に、教室に張り付いていた視線のトゲがようやく薄れていった。
一人は机に張り付いたまま動けずにいた。背中の汗が制服に張り付き、胸の奥がずっと痛んでいる。
「——じゃあ、うちに行きましょうか」
教室の入口で永遠が柔らかく微笑みながら言った。
その笑みは、昼間の“泣き崩れた少女”の面影からは想像がつかないほど整っていて……その分、恐ろしかった。
「……う、うちって」
「ふふ、そんな警戒しないでよ。大丈夫。ね?」
永遠は一歩近づくごとに、周囲の空気を支配していく。
まるでこの一帯の酸素さえ、彼女の意志に従っているかのように。
校門を出ると、黒塗りの高級車がひっそりと停まっていた。
スーツ姿の無言の運転手が、まるで“当然”と言わんばかりに後部座席のドアを開ける。
一人は一瞬逃げようかと思った。
しかし永遠の白い指が、そっと袖をつまむ。
「行こ?」
その声音はやさしいのに、逆らうという選択肢は最初から存在しなかった。
車内は革の匂いがした。思った以上に広く、豪奢だ。
ドアが閉まると、外の喧騒は完全に遮断され、二人だけの空間が形成された。
エンジン音が静かに震える中、一人は意を決して尋ねた。
「……あのさ。本当の月永さんは、どこにいるの? 君は、彼女になりすましてるんだよね?」
永遠は窓の外に視線を向けたまま、まるで朝のニュースでも語るみたいに軽い声で言った。
「ふふ。彼女なら元気よ。どこにいるか? それを説明したって、きっと信じないわ。……だから言わない」
「っ……」
「私のことは“永遠”って呼んで。呼び捨てでいいよ。私も“かずと”って呼ぶから」
「う、うん……わかったよ。永遠」
永遠は満足そうに頷き、ようやく一人の方を見た。
「ねえ、一人」
「何?」
「今から、“今日一番大事な話”をするわ。ちゃんと覚えておいてね」
永遠の目は、黒曜石のように光り、一瞬だけ“人間ではない何か”の気配を帯びた。
「……それと、この話は絶対に澪には言わないで。約束できる?」
「い、言わないっていうだけなら……」
「うん、それでいい」
そして彼女は急に、日常会話のような軽さで言った。
「私ね、X-MENが好きなの」
「え?」
「特にウルヴァリン。いいよね……あのヒュー・ジャックマンの男臭い感じ。あの声も、オーストリア英語の訛りも、ぜんぶ」
「ああ……僕も好き。ローガンは名作だよね」
「でしょ? ねえ、一人」
永遠は身体を寄せ、シートに肘をついて一人の目を覗き込む。
「帰ったらね、X-MEN観てみて? そこに答えがあるから」
「……答え?」
「そう。“観るだけ”でいいの。何の仕掛けもないわ」
そして彼女は、ぞくりとするほど甘い声でささやいた。
「——約束だよ?」
「……わ、わかったよ。観てみる」
永遠は満足げに微笑む。
その笑みは、美しくて、どこか壊れている。
これから向かう先が“永遠の家”だと理解した瞬間、一人の背筋には、言いようのない悪寒が走った。
黒塗りの車は、住宅街の静寂を切り裂くように走り抜け、やがて一本だけ街灯の光が届く大通りへ出た。
そこをゆるやかに曲がると、突如——白亜の巨大邸宅が姿を現した。
まるで映画でしか見たことのないような、重厚な門構え。
石畳のアプローチには夜景を照らすガーデンライトが並び、静かに噴水が水音を奏でている。
「——着いたわ。私の家」
永遠の声が妙に響いた。
一人の喉が、ごくり、と鳴る。
車が停まると同時に、執事のようなスーツ姿の男が外へ出て恭しくドアを開けた。
「お帰りなさいませ、永遠お嬢様」
屋敷の玄関ホールには、黒髪のロングヘアーを結ったメイドが一礼し、気品のある笑みを浮かべる。
天井は広く、高級ホテルのロビーのようだった。
一人は緊張で足が硬くなりながらも、永遠に手を引かれて奥の客間へと通された。
しばらくして、優雅な客間のソファで二人は向かい合った。
一人の手は震えていたが、永遠はティーカップを片手に、相変わらず柔らかい笑顔を崩さない
「君に危害は加えないよ。安心して」
「そ、そりゃ……ありがたいけど……」
永遠は、カップをそっとテーブルに置いた。
「で、質問をどうぞ。一つずつね」
一人は深呼吸をして、意を決して聞いた。
「君……誰なの? 本物の金髪の月永さんは……どうしたの?」
永遠は、少しだけ視線を宙に泳がせてから答えた。
「私も、月永永遠よ。本物の永遠もちゃんと元気。今は……遠いところで暮らしてるだけ。楽しそうにやってるから安心して」
「……遠いって、どういう……」
「説明しても信じないよ。そういう“遠さ”」
永遠の笑みは優しすぎて、逆に怖い。
「君も、吸血鬼なんだよね……?」
「うん、まあね」
「……僕の血、吸うの?」
永遠は、首を傾げながら無邪気な声を出した。
「吸っていいの? いいなら吸うけど」
「ごめん、それは困る……」
「だよね。嫌われたくないし……吸わないよ」
永遠は控えめな笑みを浮かべた。
その仕草が、ほんの少しだけ寂しげにも見えた。
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