第20話 おっさんずラブ
日曜の朝。
カーテンの隙間からやわらかな陽射しが差し込んで、台所からはコーヒーの香りが漂ってくる。
「いただきます」
「いただきまーす」
二人で並んで朝食をつつく――ただそれだけなのに、妙に胸がくすぐったい。まるで長年連れ添った夫婦みたいに、会話も自然で、沈黙すら心地よかった。
食後はソファに並んで座り、駄弁ったり、くだらないネタで笑い合ったり。映画を観始めても、途中で感想戦が始まって、ストーリーそっちのけで盛り上がってしまう。
そんな、気づけば夕方まで続いた、だらけたようで幸福な時間。
――そして。
「あっ、そういえば」
永遠が何か思い出したように声をあげ、僕の手を引いた。
「ちょっと座って」
言われるがままソファに腰を下ろすと、彼女は僕の足の間にするりと収まり、背中を預けてきた。
「えっ……えっ!?」
予想外の体勢に、心臓が跳ねる。背中がぴたりと触れて、体温が伝わってくる。
しかも……。
「これから映画観るときは、この“私専用座椅子”で決まりだね」
と、得意げに宣言する永遠。
(いやいや、完全に俺の理性を壊しにきてるだろ!)
甘い匂いが鼻腔をくすぐり、スクリーンの映像なんて一切頭に入ってこない。意識はただ、彼女の存在感にだけ奪われていた。
――そこへ、さらに追い打ちが。
「あれっ?」
永遠が小首を傾げながら、腰を少しずらす。
「なんか……硬いとこあるよ? お尻の辺りかな〜。なんでだろ?」
その声音は、わざとらしく無邪気を装った小悪魔のもの。
(こ、この子……完全に気づいて言ってる……!!)
耳まで真っ赤になる僕を、永遠は背中越しに感じ取りながら、くすくすと笑みを零す。
「ねぇ、映画より……別のこと、したほうが楽しめそうじゃない?」
囁きは甘く、挑発的で、逃げ場を与えてはくれなかった。
――ここ数日で、彼女についてわかってきたことがある。
一見すれば清楚で、気品すら漂う美少女。
けれどその実態は―― エログロ大好き。
無邪気に血と死体の話をする時なんか、中身は絶対おっさんなんじゃないかって錯覚するほど。
いや、それ以前に「原初の吸血鬼」って肩書きからして、もう人間的な常識はあんまり当てはまらないのかもしれないけど。
しかも意外と庶民的というか……人間くさい癖も多い。
寝相は最悪で、夜中に何度も蹴られたし、お腹をぽりぽり掻きながら寝ている姿は、神秘性ゼロ。
さらに異世界の言葉で意味不明な寝言を言うたびに、僕の腹の「所有紋」が淡く光る。
(いやいや、マジでなんとかならないかな……これ。バレたら完全にホラーだろ)
「吸血鬼って、棺桶の中で寝るんじゃないの?」と聞いたことがある。
彼女はけろっとした顔で、
「下っ端はね。でも私くらいになると……ベッドのほうが腰に優しいの」
と真顔で返してきた。
なんか想像してたロマン台無しだよ。
さらに昔話になると――。
「若い頃はヤンチャしてたんだ。酒場で生意気な冒険者シメたり、騎士団まとめてボコったことあるんだ。あ、そうそう、貴族の屋敷に火もつけたな。今はだいぶ丸くなったけど」
(いや、十分アウトだから!! しかも“今は”って言ったけど、喧嘩っ早いとこ、ぜんぜん治ってませんから!)
……ただ、家庭的な一面もある。
僕の洗濯物までしてくれて、干してある僕と彼女の下着が並んでいるのを見て、ちょっと照れた。
なんか同棲カップルっぽい。
「……あっ、パンツ欲しい? 男子はそういうのでいろいろ捗るんでしょ!」
にやにやしながら、彼女はあっけらかんと爆弾を投げてくる。
「でもね、人にあげたらダメだからね? 一人専用だから。――あ、ただし一枚につき血400mlね。自分で吸い出してよ。私、一人を傷つけるのはイヤだから」
(いやいやいや……血をどうやって抜くんだよ!? そもそもパンツと血を等価交換するな!!)
……それでも、可愛いから許せてしまう自分がいるのが悔しい。
でも――怒らせると、とにかく怖い。
普段の「月永 永遠」ならまだしも、彼女が「原初の吸血鬼アドラステイア・アンブロージア」として口を開いた時、その言葉は絶対だった。
「いい? 一人。あんたは私のモノ。私が一人を捨てることはできても、一人から私を捨てることはできない。……もし別れを切り出したら、私、何するかわからないよ? 一人の大切なもの、全部壊しちゃうかもね」
笑っているのに、背筋が氷のように冷えた。
次の瞬間、彼女は僕を強く抱きしめ、口づけを落とす。
「……怖がらせちゃったね。でも大丈夫。裏切らなければ、ね?」
僕はただ「うん」と頷くことしかできなかった。
――そして夕方。
彼女は玄関先まで送ってくれて、あっけらかんとした笑顔で手を振った。
怖かったような、楽しかったような。
とにかく刺激的で忘れられない週末が、こうして終わった。