第38話 2人の誓い
ソファの上で、二人は静かに寄り添っていた。
カーテンの隙間から差し込む光が、淡く澪の横顔を照らしている。
その光の下で、彼女は微笑んでいた。やさしく、けれどどこか寂しげに。
「うーん、何から話そうか?」
澪は、ゆっくりと言葉を選ぶように切り出した。
「僕はね、この世界の“秩序”を守る仕事をしてるんだ。……まあ、簡単に言うと、悪いやつからこの世界を守ってたのさ。僕だけじゃないけどね。」
「秩序……?」
隣に座る一人が、少し首を傾げる。その仕草が、どこか昔の記憶をくすぐった。
「詳しい仕事の内容は言えないけど、それで僕を逆恨みした連中が、君を襲おうとしている。」
澪の瞳が、一瞬だけ鋭く光る。だが次の瞬間には、また穏やかな微笑みに戻っていた。
「でも、あの吸血鬼……僕のこと、知ってるみたいだったけど。」
「うん。どこかで会ったことあるんじゃないかな。」
「そうだね……なんだか初めての気がしないんだ。でも思い出せない……痛っ!」
一人が額を押さえ、うめく。
その動作に、澪の指先が自然と伸びた。
「大丈夫?」
彼女の手のひらが、一人の額にそっと触れる。
その瞬間、体温が混じり合い、時間がゆっくりと溶けていった。
「ごめん、続けて……」
「おそらく、こんなことはまた続くと思う。でも――必ず君を守るから。」
澪は微笑みながら、彼の頬に触れた。
「もう、いいつけを破るんじゃないよ。いいね?」
「……うん。」
その声は震えていた。
「君は、僕の言うことだけ聞いてればいいんだよ。僕だけの、ね。」
澪は、まるで自分に言い聞かせるように呟いた。
その声には、姉としての愛情と、抑えきれない別の情が混じっていた。
――けれど一人には、それをまだ読み取れない。
ただ、優しい“澪”のぬくもりに包まれているだけだった。
「姉ちゃん、ごめん。本当にごめんなさい。姉ちゃんの言いつけ守らなくて……しかも、大怪我させて……」
嗚咽が漏れ、涙が澪の膝に落ちた。
澪は静かに息を吐き、微笑んだ。
「ふふ……かわいい弟のためだからね。いいさ。」
その手が、彼の髪を優しく撫でる。
その瞬間、澪の瞳の奥にわずかな紅が差した。
まるで感情の渦が、彼女自身をも呑み込んでいくように。
「……あのさ、昨日、夢を見たんだ。」
泣き腫らした目のまま、一人が顔を上げる。
「夢?」と澪。
「うん。思い出したんだ。あの“災害”があった時のこと。
……その後の病院生活でも、姉ちゃんはずっと傍にいてくれてた。
リハビリがうまくいかない時も、僕が投げ出しそうになった時も、
ずっと、支えてくれてた。」
一人の声が震える。
そして、また涙がこぼれた。
「……僕、ずっと姉ちゃんに迷惑かけっぱなしでさ……今回も……」
「僕、そんな姉ちゃんに……ごめん……ごめん……ううう……」
嗚咽とともに、胸の奥の痛みが溢れ出す。
そのすべてを、澪はただ黙って受け止めた。
「いいよ……家族だろ。絶対見捨てないから――」
澪は、静かにそう言って、一人の身体を抱き寄せた。
その腕は温かく、やさしく、どこか懐かしい。
一人の鼓動が澪の胸に伝わるたび、彼女の心もまた早鐘のように鳴っていた。
けれど――そのぬくもりを、一人はゆっくりと引き離した。
「……あ、あのさ。 」
不意に、彼が真剣な眼差しを澪に向ける。
「姉ちゃんは、いや――澪はさ。いつも冗談か本気かわからないけど……自分のことを、僕の“嫁”って言ってるよね。」
その言葉に、澪の身体がぴくりと反応した。
「う、うん……」
思わず視線を逸らし、耳まで真っ赤に染める。
「それは……まぁ、その……半分、冗談で……半分、本気で……」
「僕はね、澪のこと……正直、女性として好きなのか、わからないんだ。」
その言葉に、澪の瞳が見開かれる。
「えっ……」
息が詰まる。胸の奥がざわつく。
一人は、まっすぐに澪を見つめたまま、続けた。
「でもね、澪のいない生活が考えられないんだ。
朝起きて、隣にいないと落ち着かない。
声を聞けないと、何か大切なものを忘れてる気がして……」
彼の声が震える。けれど、その言葉の一つ一つが真実の重さを持っていた。
「もう……僕の一部なんだと思う。だからさ――」
一人は深く息を吸い、真剣な表情で澪に頭を下げる。
「お願いします。このままずっと……僕の傍にいてほしい。
これから先も!!」
リビングに沈黙が落ちた。
空気が止まり、時間さえも凍りつく。
「……えっ?」
澪の頭の中が真っ白になった。
視界のすべてが遠のき、鼓動だけが響いていた。
顔が真っ赤に染まり、頭が沸騰する。
息が熱い。頬が燃える。
一人が、不安げに視線を落とした。
「だめ……かな? 僕の勘違いだったかな……」
その言葉が引き金だった。
澪は深く息を吸い、決意を込めて微笑む。
「そんなことないよ。」
澪は静かに言い、ゆっくりと一人の手を取った。
「それ……僕へのプロポーズだよね」
一人が驚いたように目を見開く。
澪は少しだけ微笑み、やわらかく続けた。
「答えは――“はい”だよ。
……始めから、そのつもりだった。」
声が震えた。
でも、それは恐れじゃない。嬉しさで、体が震えていた。
「でもね……正式なのは、いつかきちんとしてね」
小さく照れたように言って、澪は一人をそっと抱き寄せた。
二人の身体が触れ合い、鼓動が重なり、呼吸が溶け合っていく。
二人は、そっと目を閉じた。
澪が一人の頬を包み、静かに唇を重ねる。
短く、やさしく、けれど確かに。
それは誓いの口づけだった。
窓の外、朝の光が差し込む。
その温かな日差しが、二人をやさしく照らし出す。
二人の影は、ひとつに重なっていた。
――この世界に、永遠という言葉があるのなら。
それはきっと、今、この瞬間の二人のことを指すのだろう。
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