第35話 トリガー
2人の永遠が消え去ったあと、
夜はすっかり校舎を呑み込み、風だけが残っていた。
冷たい夜風が鉄柵を鳴らす。
澪の足元に、ぽたりと血が落ちた。
「……まずいな。傷が……回復しない……」
膝ががくりと崩れる。
「くそっ……あの武器、デバフ効果が……」
澪の身体が倒れこむように傾いたその瞬間、
結界が解け、一人が駆け寄った。
「澪っ!!」
その声には、焦りと恐怖が滲んでいた。
「大丈夫!? 今すぐ病院行こう!」
「……うん、肩……貸してくれるかい」
差し出された手を、一人は迷わず掴む。
その手の温度が、異様に冷たかった。
「……ありがとう」
澪が一人の肩にもたれかかる。
震える指でポケットからスマホを取り出し、通話ボタンを押した。
プルルルル――ガチャ。
―はい、もしもし。―
「ごめん、しくじった。……そっちで手当てしてもらえない? ちょっと洒落にならない武器を使うやつがいた」
―わかった。迎えに行く。今どこ?―
「……裏門。たぶん尾行はいないけど、認識阻害はかけとく」
―了解。準備しておくわ。無理しないで。―
通話を切ると、澪は息をつき、
「……行こう」と呟いた。
2人は肩を寄せ合いながら、階段を降りていく。
夜の校舎は、不気味なほど静まり返っていた。
裏門を抜けると、そこには黒塗りの車が停まっていた。
エンジン音だけが低く唸る。
「いいわ、早く乗って」
運転席の窓が開き、黒髪の女性が無表情で促した。
2人は無言のまま後部座席に滑り込む。
ーバタン。
ドアが閉まり、車はゆっくりと闇の中へと走り出した。
後部座席で、澪は浅い呼吸を繰り返していた。
「……ごめん、しくじった。甘くみた。予想外に強力な武器でさ……」
無理に笑おうとした唇が震える。
「……痛っ。血、止まらないな……ふふっ、やっぱり……」
そのまま言葉が続かず、額に脂汗が浮かぶ。
「喋らないほうがいいわよ」
運転席の女がミラー越しに目を細めた。
「傷口、広がってるかもしれない。自然治癒が効かないなんて……厄介な武器ね。
それと――隣の子。話、聞かれてるけどいいの?」
澪はうっすらと目を開け、
痛みを堪えながらかすかに笑う。
「今さら……護衛、失敗だよ。全部……見られたしね」
「……ごめん。後で全部話すから」
その声はどこか優しく、一人に向けた最後の安心を装っていた。
車は小さな駐車場に停まった。
ビルの看板に淡く灯る文字――『祓川クリニック』。
3人は静かに中へと入る。
無人の受付を抜け、薬品とアンモニアの匂いが混ざる診察室へ。
「そこに寝て」
女の短い指示で、澪は診察台に横たわる。
「ここで処置するわ。今日は入院患者いないしね」
手際よく器具が並べられていく。
黒髪の女は一人を振り返り、静かに告げた。
「君は待合室で待ってて。ここは安全だから」
「僕は大丈夫……だから、待っててよ。
このクリニックの外には、絶対出ちゃだめだから……」
澪の声はかすれていたが、瞳には確かな意志が残っていた。
「……うん」
一人は唇を噛み、ただ頷いた。
澪の血の匂いが、微かに空気に混じる。
夜はまだ、終わりを告げていなかった――。
―2時間後 祓川クリニック・待合室―
蛍光灯の白い光が、夜の静けさを強調する。
時計の針が「コツ、コツ」と響くたびに、一人の胸の鼓動も僅かに重なった。
扉の向こうでは、誰かの靴音。
やがてカーテンが揺れ、黒髪の女性――先ほどの運転手が姿を現した。
「待たせたわね」
白衣を羽織った彼女は、先ほどよりも柔らかい表情をしていた。
「私は**狐坂陽子**といいます。
彼女――澪は今、施術が終わって眠らせてるわ」
「……施術、って……」と一人が顔を上げる。
陽子は微かに笑い、
「今日は君もここに泊まっていきなさい。病室にベッドがあるから。
後で、軽い食事も用意するわ」
と優しく告げた。
その声には医者らしい穏やかさがあったが、どこか“深く計算された静けさ”を感じさせた。
「それとね――」
陽子は一歩近づき、真っすぐ一人の目を見つめる。
「彼女を責めないであげて。
いい? あの子は、全部あなたのためにしたのよ。」
「……僕の……?」
「ええ。今日だって――」
陽子は小さく息をつき、言葉を区切った。
「二十針も縫うような裂傷と刺し傷。あと数センチずれてたら……致命傷だったわ」
「……そんな……」
一人は言葉を失った。
澪の笑顔と、血まみれで崩れた姿が頭の中で交錯する。
その時――
頭の奥で、鈍い痛みが走った。
「……っあ……」
視界が揺れる。
机の角に手をつこうとして、空を掴む。
「君!? 大丈夫!?」
陽子の声が遠のいていく。
耳鳴りが響き、視界の端が黒く滲む。
世界が、まるで溶けるように遠ざかっていった。
最後に見えたのは、陽子の瞳――
その奥に一瞬だけ、金色の光が宿った気がした。
ーそして、一人の意識は深い闇に沈んでいったー
それは――記憶。
けれど、存在しない記憶。
否。
確かに“あった”はずの記憶。
心の奥底に、燃え上がるような赤だけが刻まれている。
轟音。爆ぜる炎。崩れ落ちる家屋。
世界そのものが、血のような朱に染まっていた。
「母さん! どこっ!? 母さん!!」
少年の声が、火の粉の渦の中で掻き消える。
瓦礫の隙間から吹き出す熱気が頬を焼き、息をするたびに肺が軋んだ。
「一人っ!!」
焦げた風を裂くように、澪の声。
煙の向こうから、泣きそうな顔の彼女が駆け寄ってくる。
「姉ちゃん! 母さんが……この家の下にっ!」
崩れ落ちた梁の奥、炎が竜のように唸りを上げる。
もはや“家”とは呼べぬほど、赤く、黒く、歪んでいた。
「行くぞ! ここにいたら死ぬ!!」
澪が叫ぶ。
だが、一人は振り返らない。
その瞳にはまだ、母の影を追う子どもの必死さが宿っていた。
「母さん!! どこにいるの!!!」
炎の中へ――一歩。
白。
目を開けた瞬間、すべてが白に染まる。
消毒液の匂い。電子音。機械の光。
「……母さん……」
かすかな声が、虚空に滲んだ。
包帯で覆われた頭と目。
ギプスに固定された手足。
動かない身体の代わりに、無機質な心拍音が規則正しく鳴り響く。
その横に、澪がいた。
穏やかな笑みを浮かべ、シーツの皺を丁寧に伸ばしている。
「……いつもありがとう。どうして、そんなに僕の世話してくれるのさ」
虚ろな瞳で、一人が問う。
澪は、微笑みを崩さずに答える。
「僕は、家族だろ。当たり前だよ」
「……そう、なんだ。記憶がね、混乱してるんだ。
いろいろ思い出せない。けど……家族のことは、分かる気がする。
父さんと母さんのことも……君のことも」
澪の手が、僅かに震えた。
「でも……なんか違うんだ。全部が、少しずつ……違ってる気がする」
「もう少ししたら、思い出せるよ」
そう言いながら、澪は窓の外を見た。
夕陽が沈み、病室に長い影が伸びる。
「……あれは、なんだったの? 急に爆発が起きて……」
「うん。コンビナートの事故とか、隕石の落下とか……
いろんな説が出てるけど、原因はまだ調査中だって」
淡々とした声の奥に、どこか痛みが滲む。
「母さんは、今……どうしてるの?」
澪の瞳が一瞬だけ揺れた。
「……詳しくは知らないけど、集中治療を受けてるって聞いた」
それきり、彼女は口を閉ざした。
「……そうなんだ。ありがとう……」
白い部屋の中で、機械の音だけが、まだ現実を刻んでいる。
だが、その“現実”も――
どこか、微かにズレている気がした。
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