第17話 インタビュー・ウィズ・ヴァンパイア
無言のまま、彼女のマンションへ向かった。
夜の街は、人の声も車の音も遠く、ただ僕の心のざわめきだけが耳に残っていた。
玄関の扉を開けた瞬間、努めて明るく振る舞う永遠が振り返った。
「嫌になっちゃうよね。マキが、悪魔だったってさ」
その言葉に、僕は何も返せなかった。
喉が塞がれているわけじゃない。ただ、言葉というものが出てこない。
「気分転換にさ、なんか底抜けに明るい映画とか観ようか?」
明るさを取り繕うような声。だけど僕の沈黙は変わらない。
「………………………」
「うん、そういう気分じゃないよね」
永遠は小さく笑った。けれど、その笑みがほんの少し寂しそうで。
僕は長いソファに腰を下ろす。すると彼女は隣に腰掛け、ふいに視線を外しながら言った。
「あのさ、膝枕いい?」
「うん」
短く答えると、彼女はためらいもなく僕の膝に頭を乗せてきた。
黒髪がさらりと流れて、僕の指先にかかる。
視界にあるのは、髪と、細い背中だけ。
「髪、撫でなさいよ」
「うん」
初めて触れる女の子の髪は驚くほど柔らかく、指の間をすり抜けるたびに甘い香りが広がった。
けれど不思議と、照れや緊張はなかった。ただ、何も考えずに受け入れられた。あんな出来事があった後だからかもしれない。
永遠は、背中越しにぽつりと語り始めた。
「私ね。一人からは考えられないくらい生きてる。……長く生きすぎると、いろんな感情や自我が少しずつ薄れていって、どんどん無感動になるんだ。何があっても、何も感じられなくなる。自分が、少しずつ無くなっていくんだよ」
「…………」
「だから、生きてる実感を得られるのは、生死を賭けた瞬間だけ。その時しか、“生きてる”って感じられないんだ」
僕は髪を撫でながら、ただ「うん」と相槌を打った。
「何も感じないから、どんな酷いことでもできちゃう。……生きてる喜びがないんだ。死んでるのと同じ。だから映画を観る。虚構の中には、生きる喜びがぎゅっと詰まってるから。もちろん昔は娯楽が少なかったって理由もあるけどね」
そこで、彼女は小さく息をついた。
「だからね、些細なことで感動したり、生きてる実感を得られる人間が羨ましい。キラキラ輝いて見えて、嫉妬しちゃうんだ。……そんな姿、幻滅するよね。ごめん。嫌われたくないんだ」
髪の感触を確かめるように撫でながら、僕は気づいた。
この人は、弱さを隠して強がっている。だからこそ、その言葉が痛いほど胸に響いた。
「遅くなったけど、今日は助けてくれてありがとう」
僕はそう告げると、黙ってモニターをつけた。
「これ観ようよ。……あっ、気に食わなくても怒らないでね」
画面に浮かび上がったタイトル。
――『インタビュー・ウィズ・ヴァンパイア』。
「なに、今このタイミングでこれ観るの? デリカシーなさすぎ」
と口を尖らせたが、その顔はどこか柔らかい。
小さな笑みが、膝の上で広がっていった。
――ヴァンパイアになりきれない苦悩を描いた傑作。
彼女が、自分を重ねてしまうのも無理はない。
けれど今、僕にはその苦悩すら、愛おしく思えていた。
映画を観終わった頃には、すっかり夜が更けていた。
スクリーンに映る虚構の吸血鬼の苦悩を追いかけていたはずなのに、気づけば胸の奥が妙に温かい。現実の彼女の存在のせいか、それとも…自分がもう日常から逸れてしまったからか。
「そろそろ寝ようか?」
永遠が、当たり前のように僕を案内する。
彼女の部屋の奥。扉を開けるとそこには――キングサイズのベッド。
あまりに現実離れした光景に、僕は足を止めてしまう。
「も、もちろん、わかってるよね」
振り返った永遠が、わずかに頬を染めながら囁く。
「えっ…いや、その…」
視線が泳ぐ。喉が渇いて、言葉がまとまらない。
「……任せて」
小さな声。吐息混じりに耳元をかすめる。
その瞬間、背筋に電流が走った。
彼女の匂い。体温。息遣い。
頭がクラクラして、思考が全部溶けていく。
ベッドに身を沈めると、シーツがひんやりと肌を撫でた。
だがすぐに、隣から伝わってくる永遠の熱がそれを上書きしていく。
――どこまでが夢で、どこまでが現実なのだろう。
彼女の唇が触れそうで触れない距離。
その曖昧な境界線に、僕はただ身を任せていた。
夜は、静かに、更けていった。
* * *
私の横で、男が安らかな寝息を立てている。
かわいいもんだ、と笑ってやりたいところだが――いや、これはマズイ。
本気になりそうだ。
何だこれは。遊んでやろうと思っただけだったのに。
なのに今、果てそうなのは私の方じゃないか。
今まで、幾度も快楽を貪ってきた。
血を吸うことで、心臓が爆ぜるような昂揚を、肉体の震えを、何度も。
けれどこの男の前では、それらすら霞む。
乙女めいた心地に堕ちていく自分に、気づいてしまう。
――絶対、何かある。
この男には秘密がある。
そしてそれを、あの魔女は知っている。
だから血を吸わせぬよう、誓約を結ばせた。
だが、魔女は知らない。
私が秘術を持っていることを。
暴いてやる。
眠る彼の無防備な横顔を見つめながら、唇をかすかに吊り上げる。
この男――ただの人間のはずがない。
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次回は9月7日23時公開予定としております。
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