第14話 私のものだ
――ガチャリ。
突然、部室のドアが開いた。
空気が凍りついた。
僕の腕は宙で止まり、澪の肩越しに見えるのは――。
「……」
そこに立っていたのは、永遠だった。
冷たい微笑みを浮かべ、こちらを見つめている。
(……終わった)
僕の心の声が、そう呟いた。
部室に残っていた映画のエンドロールが、かすかに流れ続けていた。
淡いピアノの旋律。画面に映る名前の数々。だが、室内に漂う空気は決して穏やかではない。
「迎えに来たよ〜。……えっ、何してるの?」
一人は、凍りついた。
そこに立っていたのは――月永永遠。
教室では常に穏やかな微笑みを絶やさず、清楚で、誰もが憧れる存在。だが今は、その瞳がじっと自分を見据えている。
「……ああ、これは映研の備品だな。私専用の“背もたれ”なんだ。大事なものだから、手は出さないでくれよ。しかも“私専用”だ」
白雪が即座に言い訳をかぶせる。後ろに座る一人の頭に手を添えながら、あたかも当然だというように。
「へぇ〜。じゃあ、私も映研に入るよ。その備品、共用にしてよ?」
永遠はにこりと笑った。しかしその笑みは、教室で見せるものとは違っていた。柔らかいのに、どこか底知れぬ影が差している。
「残念だが、もう部員募集はしてないんだ。来年まで待つんだな」
白雪がさらりとかわす。
「ふーん……まあ、仕方ないね」
永遠は小さくため息をついた。だがすぐに顔を上げると――まっすぐに一人を見据える。
「私も、“自分の私物”に同じことさせよっと」
その視線は、逃げ場のない刃のように鋭かった。
一人は思わず息を呑む。心臓が、痛いほどに跳ね上がった。
「……じゃあ、そろそろ帰ろっか!映画も終わったことだし」
永遠があっけらかんとした声を出す。だがその裏に隠された意図は、痛いほどに伝わってきた。
白雪はわずかに顔をしかめ、一人の耳元で低く囁く。
「――誓約を破るなよ。いいか?」
永遠は首をかしげる。
「そんなのしたっけ?なんだったかな〜」
「ふざけるな! 一人の血を吸わないことだ」
白雪の声が鋭くなる。
「あぁ、そういえばしたね〜。忘れてたよ」
永遠は小さく笑う。だがその笑みは氷のように冷たい。
「でもさ……忘れたらごめんね。吸血衝動って、そうそう抑えが効かないんだよ。人間で例えるなら――水を飲まないって約束だよ。無理筋でしょ?」
その言葉に、背筋が凍る。
永遠の声は甘く柔らかいのに、心の奥底に不安を植えつける。
二人の少女の間に、一人は挟まれたまま。
白雪の背中の重みと、永遠の視線。
どちらにも逃げられない檻の中で、一人はただ、喉を鳴らし――心臓の音がやけに大きく響くのを聞いていた。
――映研の部室は、映画の余韻ではなく、別の緊張で支配されていた。
「だろうな――一人、もう立っていいぞ。」
澪先輩がそう言い、ゆっくりと僕の身体から離れた。けれど、距離が生まれたのはほんの一瞬。次の瞬間には、僕は強く抱き寄せられていた。
右手が僕の後頭部を優しく、しかし逃げられないように押さえ込む。左手は背中に回り、衣服越しに体温が伝わってくる。女の子の柔らかさと、逃げ場を与えない拘束感。その矛盾に心臓が爆発しそうだ。
顎が僕の右肩にかかり、耳元に熱い吐息が触れる。
「……ッ」
そして、何語かもわからない、古代の呪文めいた言葉が、囁きとして流れ込んできた。声が耳朶を震わせ、脳の奥を甘く痺れさせる。
次の瞬間――僕の身体が光に包まれた。
首元に焼き付けられるような熱。痛みと快感が同時に走り、思わず喉が震える。鏡を見なくてもわかる。そこには紋章のようなものが刻まれた。そしてすぐに光は消え、痕跡だけが残った。
「いいか、これは私の所有を示す紋だ」
彼女の声は、優しさと狂気が混ざり合った響きを帯びていた。
「これで何人たりとも、こいつに手出しはできない。傷ひとつ付けられやしない。だが……もし噛むなよ。いいか? もし傷をつけられたら、私が代償を払うことになる。その時は――お前とまた闘争だ」
――所有。僕は、今、名札を付けられた私物になったのか。
「へぇ〜、さすがメンヘラ。やることが違うわね」
「そこまでして彼の血を渡したくない理由、ぜひとも聞きたいわねぇ」
「誰でも、自分の私物には名前を書くものだろう」
先輩は当然のように答える。その顔は真剣で、どこか誇らしげですらあった。
「ふ〜ん……じゃあ、私も書こうっと」
永遠は小さく舌なめずりをして、僕をじっと見つめた。
「おへその下とかにしようかな。それとも……ふふふふ」
視線が、まるで解体前の獲物に向けられるナイフみたいに鋭く僕を射抜く。
心臓が跳ねた。汗がにじむ。
(……そういえば「君の名は」でも、身体に直接書いてたっけ。いや、あれとは次元が違う気がするけど……)
「じゃあ――帰ろっか」
永遠はあっけらかんとそう言って、バッグを肩に掛ける。
振り返ると、窓の外の空はすでに茜色に染まっていた。
夕陽がやけに赤く、世界を血で塗りつぶしたみたいに見えた。
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