第28話 旧校舎にて(2)
そして、認識阻害を解除した瞬間――
二人の前に立ちはだかったのは、**文芸部の“カジノ”**の入り口だった。
まるで秘密結社のような重厚な扉。
奥からは電子音とチップの音、そして――笑い声。
――ドアの前には、黒いスーツを着た二人の男が立っていた。
肩幅の広い体躯。靴音も吸い込むような沈黙。
「待て」
その一声に、一人の肩がピクリと跳ねた。
男たちは視線だけで圧をかけるように、静かに告げる。
「生徒手帳を見せろ」
一人は、ポケットから生徒手帳を取り出す。
無表情の男がそれを開き、ページをぱらりと確認。
もう一人に、わずかに顎を動かして合図を送った。
次の瞬間――軽く首を教室の方へと振る。
「……入っていいぞ」
その一言で、空気が変わった。
まるで、“日常”と“非日常”の境界を越えたような感覚。
教室の扉を開けた瞬間、視界が一気に異世界のように塗り替えられる。
――カーテンの向こう側。
赤と青の照明が交錯し、耳をつんざくようなエレクトロビートが鳴り響く。
机の並ぶはずの教室が、いまや裏路地のナイトクラブへと変貌していた。
黒いベストに蝶ネクタイを締めた男子たちが、流れるようにカードを切る。
その所作はまるでラスベガスの本物のディーラー。
テーブルの上ではトランプが舞い、白いチップがカチリと音を立てるたび、
空気が熱を帯び、観客たちの息遣いが鋭くなる。
「じゃあ、行きましょうか」
亜紀が小さく微笑み、金をチップに換える。
そして、迷いなくブラックジャックのテーブルに腰を下ろした。
一人はその背後に立つ。
亜紀のカードを見守りながら、周囲の視線を静かに感じ取っていた。
黒服の一人が、その様子を奥の部屋へと報告に向かう。
そこには、文芸部の部長――田島と、長い黒髪を流した女がいた。
「また映画研究会の奴が来ただと? 白雪か?」
低い声で田島が呟く。
「いえ、白雪ではなく……その連れです」
黒服が小声で答える。
「連れ?」
女が妖しく笑う。唇の端をなぞりながら、囁くように。
「家成だ。白雪の“イロ”だよ。噂は聞いてる。可愛がってるらしいじゃないか」
その声音には、ねっとりとした悪意が滲んでいた。
「ハメて、漫研に落として……ボロボロになるまでベタ塗りさせてやろうじゃないか。
――日頃の鬱憤を晴らすには、ちょうどいい」
黒髪の女の瞳が細く光る。
その冷たさは、獲物を前にした蛇そのものだった。
「私が出る」
椅子を押しのけ、彼女は立ち上がった。
その一歩ごとに、ヒールが床を叩く。音が、カジノのビートに混ざる。
――テーブルでは、亜紀が静かにカードをめくっていた。
勝ったり負けたり、均衡が続く中、
後半になるにつれて、明らかに流れが亜紀に傾き始める。
ざわ……と周囲の空気が動いた。
そして、タイミングを見計らったように、ディーラーが交代する。
入ってきたのは――白いワイシャツに黒のベスト、
そして、艶やかな黒髪を腰まで垂らした女。
指先でカードを弾く仕草は、どこまでも滑らかで美しい。
その微笑の裏に、冷たい牙が隠れていることを、
亜紀だけが直感していた。
次の瞬間、場の空気が、ぴたりと止まる。
――勝負の幕が、静かに上がった。
「デッキは6つ。デッキが半分になったら、元に戻すから」
女ディーラーは無表情に指示を出す。
(亜紀:カウンティング対策ね……ふーん、まあいいけど)
カードが配られる。最初の数ゲームは、明らかに亜紀の負けが込む。
(ふーん……細工してあるみたいね。デッキを順番通りにシューケースに入れてるの覚えてるみたい。それに目印も……)
だが――その次の瞬間、流れが変わった。
次々に亜紀のカードが21でスタンドし、ディーラーがヒットしても同点か負ける展開。
「ふふ、やるじゃない。なぜ勝てるのかしら?」
黒髪の女、咲夜が笑みを浮かべる。
「まあ、ツイてるのよ」
亜紀の笑みは、不敵で、そしてほんの少し挑発的だった。
「私の名前は黒髪 咲夜。あんた馬原亜紀だろ。なんで家成と一緒にいるの? そいつ、白雪の男だろ」
亜紀は鼻で笑った。
「はっ、何言ってんの。こいつはね、私の旦那だよ。澪の物なわけないでしょ」
「へ〜、家成、随分モテるんだね。知らなかったよ」
そう言いながらも、咲夜は淡々とカードを配る。
だが、テーブルの流れは変わらない――亜紀の勝ちが続く。
――その時――
黒服の男が、一人に向かって声をかけた。
「お客様、少々よろしいですか」
「……ああ、いいぞ」
一人は素直に従い、黒服に案内されカジノの外へ。
そこには、華やかな女性たちが待ち構えていた。
ある女性は黒服のポケットに札を滑り込ませ、手を振る。
「ありがとう〜、うまくいったよ〜。後で遊びに来てね!」
黒服は微笑み、カジノへ戻る。
すると、一人は周囲の女性たちに囲まれる。
「あっ、一人さんだ〜!」
「私、一人さんのファンです! いまからうちの店に来てよ!」
「一人さんならタダでいいよ。課金したい!」
「ずるい! 私も!! 連絡先交換してよ!」
耳や尻尾が揺れる女性たちの手が、わちゃわちゃと一人を取り囲む。
よく見れば、彼女たちの装いは豪華で、仕草も艶っぽい――まさに華道部の“キャバクラ”だった
――カジノ教室のざわめきの中、カードが配られる。
黒髪の咲夜が、無言で思念波を亜紀に送り込む。
(亜紀心の声:そろそろ、精神に干渉して札の認識変えるのやめてよ……)
(あんたが人外なのはわかってたけど、この勝負、先にイカサマしたのそっちだよ。それに、それ証明できないよね)
亜紀は思念波で静かに返す。
黒髪は口を開く。
「じゃあ、ここで手打ちにしてよ。チップはいいよ。それと、なんで映画研究会に入ってんのさ。映画研究会って、白雪しかいないけど、裏で、喧嘩、強請、たかり――なんでもやる文化部の中で一番ヤバいとこだぞ。うちに来な」
亜紀は微笑んで答える。
「いいよ、旦那が映画研究会にいるからね」
「そうか、気が変わったらうちに来なさい。席 用意するよ」
「考えとくよ」
そう言って亜紀が席を立つと、ふと周囲を見る――一人の姿はない。
――その頃――
華道部のキャバクラでは、一人ことサマエルが、耳や尻尾を揺らす人外女子たちに囲まれていた。
グラスにはビールならぬコーラが注がれ、女子たちの熱気と艶やかな笑顔に圧倒される。
「えっ、一人さん、それDVですよ〜。私ならそんな束縛しません。私に乗り換えましょう」
「ずるい! 私も!」
「遊びでいいから、付き合ってよ〜」
サマエルは苦笑し、両手を広げる。
「うん……まいったな。俺、体が一つしかないんだ」
その背後から、凍りつくような低い声が響いた。
「あゝ、じゃあバラバラにしてやろうか……」
振り返った瞬間――亜紀が立っていた。
その冷徹な視線に、人外女子たちは蜘蛛の子を散らすように逃げていく。
サマエルは背中で小さく呟く。
(あっ、やばい……これ、ほんと怒ったときのアグラットだ……あと、頼む)
「えっーーーーーーーー!!」
旧校舎に、一人の悲鳴が轟いた。
そして、それは、校舎全体に不気味に反響する――文化祭の喧騒の中で、最も異様な光景だった。
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