第20話 ボス・ベイビー
その日、僕と澪は彼女のマンションの一室で、一日を過ごすことになった。
休日の午後、テレビの前のソファに並んで腰かける。画面では「ボス・ベイビー」。赤ん坊がエージェントとして暗躍する、ちょっとコメディタッチのファミリームービーだ。
最初は僕の肩に寄りかかっていた澪だったが、次第に体勢を変えて――僕の太ももに頭を乗せ、まるで枕のようにしながら観る。
「……お腹、大丈夫?」
「ん? 別に」
そう言いながらも、彼女はときどき下腹を撫でていた。
映画が終わった後、僕はコーヒーを、彼女は紅茶を啜りながら、しばし余韻に浸っていた。
そんなとき、澪が急に口を開いた。
「――話があるんだ」
「え、急に改まってどうした?」
胸の奥がざわつく。
「出来たんだ」
お腹をさすりながら、澪が小さく呟いた。
「……えっ、もしかして!?」
(サマエル:……おい。お前、今すぐ覚悟決めろ。完全にやったな。避妊どうした?)
(一人:だ、だって……そういうの要らないって、言ったから……)
(サマエル:バカかお前は! それでいいのか?!)
「うん、前にもそれとなく言っただろ?」
にこりと笑う澪。
(一人:……えっ、そんなこと言ってたの!? 気づかなかった……!)
僕は前のめりになり、澪の両手を強く握った。
「わかった。俺、ちゃんと責任取るから! 二人を幸せにする。約束する!」
「……ふふっ」
澪の口元が、少し驚いたように、でもすぐに柔らかくほころんだ。
照れと嬉しさが混じったその表情は、普段の彼女の冷静な仮面とは違って、とても明るい。
「なんの話だ?」
「……えっ?」
「出来たって、赤ちゃんのことじゃないの? 映画が伏線かと思ったんだけど」
「ふふっ……」
澪は頬を赤らめながら、心底楽しそうに笑った。
「それは、それで嬉しい告白だな。……覚えておくよ。絶対に忘れないから」
胸に手を当て、にやけを隠そうともせず、澪は声を弾ませる。
「プロポーズだよな、今の。……でも、私たち元々婚約者だし? 今さらだけど……ふふっ、やばい、嬉しすぎる」
(サマエル:……お前、今までで一番の地雷踏んだな。完全にブラフに乗せられてる)
(一人:でも、逃げたらもっと大事になってましたよ……!)
澪は立ち上がると、棚から何かを取り出した。
「出来たのはこれだよ」
差し出されたのは、円形の木枠に糸を張り巡らせ、中央に小石を組み込んだドリームキャッチャーだった。
羽根や装飾がついていて、どこか民族的な温かみがある。
「これは悪夢を避ける護符。中の石を肌身離さず持っていて……さっき完成したばかりなんだ」
そう言って微笑む澪。
どこか誇らしげで、それでいて愛おしいものを見つめる目。
「最近ね、夢の中に悪い虫が出てきてるみたいだからな。……退治しなきゃ、だろ?」
茶目っ気たっぷりに笑うその横顔に、僕は息を呑んだ。
結局その日は、彼女はずっとご機嫌のまま。
深夜――。
澪はベッドの中で、シーツをぎゅっと握りしめながら天井を見つめていた。
脳内に、あの言葉が何度も何度もリフレインする。
『――うん わかった。俺、ちゃんと責任取るから。2人を幸せにする。約束するよ』
「……っ!」
堪えきれずに足がばたばたと動く。まるで少女漫画の主人公みたいに。
『俺、ちゃんと責任取るから。2人を幸せにする。約束するよ』
「ひゃぁぁぁぁ……!」
顔が熱い。胸が苦しい。けれど苦しいのに、心地よい。
不死化の影響で抑えの効かなくなった感情は、堰を切ったように溢れ出し、止まらない。
数え切れないほど繰り返し、耳の奥で蘇る。
「俺、ちゃんと責任取るから。2人を幸せにする。約束するよ」
――もう、何回目だろう。
そして次に浮かぶのは、あの追い打ち。
『プロポーズだもんな。忘れないから!!でも、元々、婚約者だし今更かな』
「~~~っ!」
たまらず、横で寝息を立てる“最早、夫”に抱きつく。ぎゅっと強く。
それでも彼は目を覚まさない。
「知ってたよ……そんなの。でも……お互いの気持ちをちゃんと確認したのは、今日が初めてだもんね……」
そう呟きながら、澪は自分のお腹をそっと撫でた。
「……出来ても、いいんだけどな」
思わず口元がほころぶ。
不死であるせいか、気持ちが昂ぶると制御が効かない。
喜びが溢れ出して止まらない。
「ふふっ……ふふふ……」
頬が緩みっぱなしで、枕に顔を埋めても笑みが抑えきれない。
――時間は深夜。
澪は布団から身を起こすと、棚の上に置いた護符を手に取った。
円形のドリームキャッチャーに、羽根と小石が揺れる。
「さて……そろそろ、この護符の出番かな」
にやりと口角を上げる。
ーそれからー
枕に顔を埋めても、シーツをかき抱いても、脳内ではあの声が高速回転する。
『俺、ちゃんと責任取るから。2人を幸せにする。約束するよ』
『プロポーズだもんな。忘れないから!!』
「~~~~っ! もう!! ……好き……好きすぎる……」
結局その夜、澪は一睡もできなかった。
感情を抑えられない不死者の心は、嬉しさの渦に呑まれたまま、朝を迎えるのだった。
☆ここまで、読んでくださり、感謝いたします。
評価ポイント、ブックマーク登録 していただければ、励みになります。
今後もよろしくお願いします!