第16話 トワイライト(2)
――ネオンがチカチカ、ジジジと音を立てる悪魔酒場の前。
夜空の下、腕組みする二人の男が対峙していた。
一方は金髪碧眼の吸血鬼、ロベルト。黒のフロックコートが似合う、どこか舞踏会帰りの美青年。
もう一方は――一人こと高位悪魔、サマエル。闇を纏った存在感が場を支配している。
今にも拳が交わされそうなその刹那、永遠が大声で割り込んだ。
「ちょっと待って!!」
二人がそちらを見る。永遠は何を思ったか、店のドアを勢いよく開けると――。
「待って〜、二人とも〜! 私のために争わないで〜♡」と、乙女の演技で声を張る。
その声は店内に届き、中にいた客たちがぞろぞろと集まってくる。
「お、何だよ」「喧嘩か、いいぞ!」「賭けるぞ、金髪だ」「俺は黒髪」――と、場のムードは一気にギャンブルの前夜。
「みんな、あの2人を止めて。私をめぐって決闘を始めて」
その声に観客が湧き、空気は一気に加熱する。
ロベルトは得意げに胸を張り、永遠はわざとらしいくらいニヤつく。
やがて場が静まると、ロベルトが唐突に強気になった。
「こうなったら、殺るしかないな。降参するなら今のうちだぞ」
その勢いに、サマエルも負けじと身構える。
「仕方ねえな。殺るか。気が進まねえけど」――と、人間形態の一人が応じる。
会場は息を呑む。誰もが「さあ来い!」の一瞬を待つ。
だが、よく見るとロベルトの足が子鹿のように震えている。
「え、震えてんの?」と一人が指摘すると、ロベルトはしどろもどろに取り繕う。
「ば、馬鹿なこと言うな。このわ、わたしが、お前が、かか、かかってこい!」
一瞬の空白の後――。
「うん、わかった」一人が静かに応えると、次の瞬間には動きがついていた。
一人がロベルトの横を高速でかすめると――刹那、ロベルトの首が飛んだ。
場内に、どよめきと悲鳴が混ざる。だが――ロベルトはコウモリとなり忽ち空へ舞い、体を再構築する。吸血鬼の特性である“再生”だ。
「ははっ、吸血鬼を舐めるなよ」とロベルトが笑う。気丈だ。
だがサマエルは怯まず、右手を差し出した。掌の上には黒い塊――肉塊に見えたが、よく見ると鼓動する“心臓”であった。赤い筋がかすかに震えている。場の空気が凍る。
ロベルトの表情が一瞬、真剣に焦る。
「……もしや、それは」ロベルトが呟く。
サマエルは淡々と訊ねるように言った。
「握りつぶしてやろうか? それとも杭の方がいいか?」
ロベルトは「くっ、卑怯な真似を!」と叫ぶが、サマエルは平然と杭を生み出す。鋼の杭がきらりと冷たい光を帯び、空気を裂くように手元へ現れる。
ロベルトが慌てて、「ま、待て!ここは引き分けにしようじゃないか!」と土下座ならぬ懇願をする。血と矜持の入り混じったひとときだ。
「なんでそうなるのか、よくわからんが、いい。だが二つ条件がある」――サマエルは言い放つ。
「一つ、今日のここ(酒場)の売上は全部、お前の支払いにすること。二つ、二度と俺の前に現れるな。いいな?」
ロベルトは唇を震わせる。
観衆はざわめくが、一人がパッと大声を出す。
「みんな、今日は俺の勝利で、命を取る代わりに、この男に全部払わせるから! じゃんじゃん飲み食いしてくれ!」
その瞬間、酒場は歓声に包まれる。
「やったー! サマエル様、粋だぜー!」
「素敵ー!」
「情け深い! 情け深いよ!」と人外の酔客たちが湧き立つ。
ロベルトは呆然としながら、強面の店員たちに取り押さえられる。
「さあ、連れてけ。まずは金を回収だ」店長が指示を出すと、リーダー格の大男が頷く。
「もし、金回収できそうにないなら、魔界の巨大カニ漁に連行しろ」店長が追い打ちをかけると、男たちは満面の笑みで「はい!」と応じた。
夜はますます賑やかに。ネオンの光が客たちの期待を照らし、サマエルは冷めた笑みを浮かべたまま人の群れに溶けていった。
店内はすでに満席だった。
「タダ酒が飲める」――その魔力に吸い寄せられた客たちで、酒場は熱気と笑い声で満ちていた。
「いや〜今日は来てよかったな!」
「マスター、おかわり!」
そんな声があちこちから飛び交う。
カウンターに陣取った永遠は、いつも以上にご機嫌だ。
「いや〜参っちゃうよ。やめて〜って言っても、二人とも全然引かないんだもん」
手にしたグラスを揺らしながら、にこやかに語る。
「……あ、ちなみにブラッディマリーのブラッドの方は“本物”だからね? いや〜参っちゃうよ〜」
客たちがざわつき、笑いが弾ける。
「モテるって、つらいよね。うん」
永遠はどこまでも愛想よく、誰とでも軽口を交わしながら杯を傾け続けた。
その姿をジト目で見つめる影がひとつ。
「……」
カウンターの端で烏龍茶を啜るだけの一人。
――悪魔酒場は、その夜も朝まで大盛況だった。
やがて朝帰りの道。
空が白み始め、飲み屋街に差す光がやけに眩しい。
「でさ、あいつ何者なの?」
並んで歩きながら尋ねると、永遠は笑って肩をすくめた。
「ロベルト? 異世界で会ったやつだよ。見た目はあんなでも由緒正しい家柄のお坊ちゃん。完全にボンボンだね」
「へえ……」
「しつこくて面倒だったから、試しに付き合ってみたんだけどさ。付き合って一時間くらいで別れた」
「……は?」
「だって、人の話まっっったく聞かないんだもん」
ケラケラと笑う永遠の声に、隣の相棒は短く一言。
「あゝ……」
すべてを察した溜息であった。
東の空から昇る朝日が、二人の姿を飲み屋街ごと、赤く照らしていた。
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