第1話 原初の吸血鬼
都内のとあるマンション。
夜の帳に包まれたリビングの中央で、百インチの巨大テレビが白い光を放っていた。
カーテンは閉ざされ、外界と遮断された小さなシアター。
ソファに座るのは、一人の少女。
月永 永遠、十七歳。
腰まで伸びた黒髪は夜空の糸を束ねたように艶やかで、瞳は黒曜石のように澄んでいる。
清楚で端麗。けれど表情に時折浮かぶあどけなさは、見る者の庇護欲を否応なく刺激した。
今、彼女が夢中で観ているのは――
七〇年代のカルト映画『未来惑星ザルドス』。
知る人ぞ知る、分かる人だけがニヤリとする奇妙な一本。
画面の中では、永遠の生命を得た人々が、やつれた顔で叫んでいた。
――殺してくれ。
――もう、生きていたくない。
狂乱の地獄絵図。
血も涙もないはずの映像に、しかし少女の口元は弧を描いた。
「……わかるわ〜。わかりみしかない!!」
瞳を輝かせ、まるでコメディ映画のワンシーンを楽しむように。
その姿は、どう見ても“普通の女子高生”とはかけ離れていた。
やがて、映画は幕を閉じる。
スクリーンの光が途絶えると、部屋には静寂と少女の小さな吐息だけが残る。
永遠はソファに沈み込み、独り言のように呟いた。
「……あ〜あ。ほんと、くだらない。あの時、助けなんかしなきゃよかった」
天井を見上げるその声音は、まるで百年を生きた老人のように乾いていた。
「柄にもなく人間の味方なんてするから、このざま。ねえ……」
少女の視線が、闇に溶けていく。
彼女が口にした“後悔”は、ただの思春期の気まぐれではなかった。
――月永 永遠。 不死を背負わされた少女。
物語は、ここから始まる。
――数百年前。異世界。
冬の足音が迫る、冷たい雨の夜。
ざあざあと降りしきる雨音の中、森の奥深くに建つ一軒の古びた屋敷があった。
古城とも見まごう石造りの館。砕けた壁面に絡みつく蔦は黒々と濡れ、門前には誰も立たぬ。だが、確かにその屋敷には人ならぬものの気配が満ちていた。
その扉を叩いたのは、一行の冒険者パーティ。
先頭に立つのは、純白の僧衣をまとった女性――聖女セラフィーナ。
その清楚で端正な面立ちと澄んだ眼差しは、夜闇の中でも燦然と輝いていた。
彼女の背後には、歴戦の戦士。緑の民族服を着た弓使いのエルフ、リュミ。
鋼の鎧を身にまとった屈強なドワーフ。しなやかな体躯の獣人。
そして黒のローブを羽織った魔術師、アラン。
彼らがこの雨夜に訪れたのは、吸血鬼が棲むと噂される館だった。
――そして、現れたのは。
黒髪に黒い瞳。陶磁器のような白い肌を持つ少女。
その外見は人間と見紛うほど端麗で、どこか幼さを残す愛らしさがあった。だが、その奥底には人間にはない暗い光が潜んでいる。
名は、アドラステイア・アンブロージア。
ヴァンパイアの中でも古き血脈に連なる“エルダー”。
「――力を貸してほしい」
セラフィーナは、雨の滴を背に毅然と告げた。
「私たちには、悪魔と戦える力が必要なの」
少女の唇が、ゆっくりと弧を描く。
「……夜にヴァンパイアの屋敷を訪ねてくるなんて。あなたたち、正気なの?」
軽やかな声色でありながら、空気を凍らせる冷たい圧が滲む。
「ここで私に殺される、とは考えなかったの?」
「下っ端の吸血鬼なら、そうしたでしょうね」
セラは臆さずに返す。
「でも、あなたは違う。――アドラステイア・アンブロージア。
高貴なる吸血鬼なら、話が通じると思ったの。まさか“下っ端”じゃないでしょう?」
挑発的な一言に、館の空気が震えた。
エルフのリュミが身構え、魔術師アランが小さく舌打ちする。
だが、吸血鬼は――笑った。
「ふふ……ははっ。面白い。聖女風情が随分と口が悪い」
その笑みは狂気を帯び、しかし同時に歓喜に満ちていた。
「悪魔、か。どのくらいの代物なんだ? 私を退屈させないでくれるなら……愉快だわ」
セラフィーナは一歩踏み出し、鋭く言い放つ。
「レーヴェンソーン――その名を聞けば震え上がるはずの悪魔王。
それを前にして逃げ帰ったのは、あなたの“お仲間”の吸血鬼たちよ。
闇の眷属を名乗るなら、尻尾を巻いて逃げた話をどう説明するの?」
その言葉に、アドラステイアの瞳が赤く輝いた。
「……ああ。確信した。あなたは聖女ではなく、狂人だ」
「狂っているかもね。でも、勝つためには必要な狂気よ」
ふたりの声が雷鳴のようにぶつかり合う。
そして、吸血鬼はにやりと笑みを深めた。
「いいだろう。――ただし、条件がある」
「条件?」
「私にお前の血を寄越せ。高位聖職者の血なら……私は陽の下を歩ける“デイウォーカー”になれるかもしれない」
リュミが鋭く声を上げる。
「くっ……! セラ、そんな取引は――」
アランも制止する。
「やめた方がいい。悪魔を討てても、この吸血鬼が次なる災厄になるだけだ」
しかし、セラフィーナの瞳は揺れなかった。
「……背に腹は代えられない。私は、人を守るために手を汚す覚悟を持ってここに来たの」
長い沈黙の後――
アドラステイアの口元が愉悦に染まった。
「決まりね。報酬は――聖女の血」
こうして、私は彼らの仲間に加わった。
吸血鬼である私が、人間の聖女と血の契約を交わすという、前代未聞の同盟。
――そして私は夢見る。
もしその血が本物なら、私は闇を越え、陽光の下を歩む存在――
“デイウォーカー”になれるのだ。
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