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ディアマンテ王宮恋物語

眠れぬ侯爵様に捧ぐ、猛き竜も眠らす子守歌〜死にたがりの転生悪役令嬢は風の侯爵に拾われ王宮に返り咲く〜

作者: 藤咲紫亜
掲載日:2025/08/29

「フィオレンティーナ……水の伯爵の最愛の者に手を出したことを後悔してもらおうか」


 底知れぬ怒りに満ちた婚約者の声を聞いて、フィオレンティーナは震え上がった。

 こんなはずではなかった。


 恋焦がれた水の伯爵クラウディオとの婚約。だが彼の心は庭師の少女だけを見つめていた。

 令嬢達を虜にする水の伯爵の噂は聞いていた。それでも時間をかけさえすれば、自分は彼の特別な存在になれると信じていた。


 クラウディオが長年懇意にしている娘の存在。その娘が伯爵家に頻繁に出入りしていることを知った時、この世の終わりのように絶望した。何もかもがどうでもよくなって、燃やしてしまえと思ったのだ。


 愛する女性を喪って嘆き悲しむクラウディオの顔を見たかった。私はそれ以上に悲しかったのだと言葉をぶつけてやりたかった。


 伯爵家に忍び込んで、庭師の娘を農具が置かれた小屋ごと燃やした時、そこにクラウディオが駆けつけた。もう少しで奪えた少女の命が、クラウディオによって繋ぎ止められてしまった。


 フィオレンティーナは逃げるように伯爵家を飛び出した。


 もう少しだったのに。

 彼の帰りがもう少し遅れていたら。



 遅れていたら。



(………取り返しがつかないことになっていました)

 ぐったりと自分の部屋の長椅子に横たわりフィオレンティーナは思う。


(あの庭師の子、無事で本当に良かった)



  ☆☆☆



 時は少し前に遡る———

 クラウディオに怒りを向けられ、彼の屋敷を飛び出した後、フィオレンティーナは大通りで誰かにぶつかった。


 その瞬間、全てを思い出したのだ。

 自分が生まれる前にいた世界のことを。前世の自分の人格を。

 あまりに感覚が……価値観が違いすぎて、この世界で生きてきた自分が突然遠い存在に思えてしまった。


 人にぶつかった勢いで大通りにへたり込んだまま、フィオレンティーナはぼんやりしてしまった。


「失礼。お怪我はありませんか?」

 腹の底に響くような、心地良く落ち着いた低い声。ふわりと白檀のような香りがする。

「す、すみません、私も前を見ていませんでした……!」


 フィオレンティーナには誰とぶつかったかなどを考えている余裕は無かった。慌てふためいてその場を離れる。


 何しろフィオレンティーナは前世の記憶を思い出すと共に、この世界がゲームの世界であるということに気付いてしまったのだ。


(どうして、よりによって)

 フィオレンティーナは泣きながら自分の屋敷に帰った。

 前世の記憶は、フィオレンティーナの傷を深めてしまった。



   ☆☆☆



 『ディアマンテ王宮恋物語』という乙女ゲーム。

 フィオレンティーナは前世でこのゲームに癒されていた。仕事で疲れて帰宅しては、夕飯とお風呂を手早く済ませて夜な夜なこのゲームの世界に浸った。


 前世のフィオレンティーナの推しは、今ではもう皮肉でしかないが水の伯爵クラウディオだった。


 最初は余所余所しい攻略キャラクター達の中で、クラウディオだけは最初から主人公(初期設定の名前はアリーチェ)に笑顔を向け、何かと優しい言葉で気遣ってくれるのだ。クラウディオは華々しい女性遍歴の持ち主だが、しばらくするとアリーチェへの恋心が他の令嬢達への恋心と違うことに気付く。


 アリーチェのような存在に自分もなれたら良かった。なりたかった。

(よりによってフィオレンティーナに転生するなんて……)


 フィオレンティーナはストーリー上、クラウディオの婚約者として現れ、彼を殺してしまう令嬢だ。

 プレイヤーがクラウディオを攻略しない限り、クラウディオは助からない。


(悲しすぎる)

 自分がフィオレンティーナだということだけでも精神的なダメージが大きいのに、先程クラウディオに向けられた怒りの表情と言葉が忘れられない。


 アリーチェが見当たらないことは謎だが、ひとまず自分のせいで誰も死んではおらず、推しのクラウディオも無事であることだけが救いだ。


(さようならクラウディオ……貴方に会えただけでも私は幸せでした)

 フィオレンティーナは胸が張り裂ける思いで婚約解消の申し入れを決心した。クラウディオが自分を許してくれるとも思えなかった。



   ☆☆☆



 フィオレンティーナは独断でクラウディオの家に婚約解消を申し入れたのだが、これが両親の逆鱗に触れた。フィオレンティーナはあっけなく王都を追い出された。

「どこか、静かな場所で一人になりたいな……」


 と言っても、フィオレンティーナ一人ではこのままのたれ死にか、獣にとって喰われるかの二つに一つだろう。

(私のような犯罪者にはお似合いの末路です……)


 誰かの死を願ってしまった事への罪悪感や自己嫌悪だけでも潰れてしまいそうだった。

 加えて、想いを寄せていたクラウディオにはこれ以上ないほど憎まれ、家族にも捨てられた。


 フィオレンティーナが、王都から続く道をあてどなく彷徨い、どこかの川にかけられた橋をふらふら渡っている時だった。

 陽の光を眩しく反射する川面を見て、フィオレンティーナは強烈な悲しみと孤独に襲われた。


(もう私には生き甲斐も、生きる価値も無い)


 そう思った時には、足は地面を離れていた。

 全身が水面に強く打ち付けられる衝撃と、ゴボッと言う大きな水音。フィオレンティーナの意識はそこで途切れた。



   ☆☆☆



(……寒い)


 水の冷たさに震えてしまう。

 しかし誰かが、そんな身体を強く抱きしめ、大きな手で手足を温めるようにさすってくれていた。


「……う……」

 こぽ、と嫌な音がして、水を吐いてしまった。

 それでもその誰かは、フィオレンティーナの身体を撫でるのをやめない。


「気をしっかり。もうすぐ着くからね」

 低く穏やかな声が耳元で生まれる。

(違うんです……私は死にたくて)

 水の冷たさも苦しみも私にはお似合いの罰だ。


(水に沈んで死んでしまえるなら、彼も……クラウディオも、私を許してくれるかもしれないから)

「死な……せて、ください……」

 フィオレンティーナの言葉が届いたのか、その人物は動きを止めた。優しく薫ってくる、白檀の香り。

「悪いがそれは聞き届けられないな」


 振動を感じる。馬車の中にいるのだろう。

 フィオレンティーナはすすり泣いた。

「私、なんて……誰からも、必要とされてない……生きていてはいけない人間です……」

 その人はフィオレンティーナの頬を撫でた。


「……ならばその命、私が貰い受けよう」

 そっと、壊れ物に触れるように涙が拭われた。

「これから君の命は私のものだ。覚えておくように」

 そこでフィオレンティーナはやっと、自分を抱えている人物の顔を見ることができた。


 肩口にこぼれる長い黒髪。整った顔立ち。

(この人は)

 ディアマンテ王宮恋物語の攻略キャラの中で最年長の男性。


「君は、これから私だけを見つめておいで」

(風の侯爵ジェラルド・サルヴィ……!)

 ゲームに登場する、火・水・地・風の精霊に愛される四大貴族の家の一つ、風の一族。

 彼は、前世のフィオレンティーナが苦手とするキャラだった。



   ☆☆☆



 王都から程近くの街にある風の侯爵ジェラルドの屋敷に運ばれたフィオレンティーナは、そこで手厚く介抱をされた。


 そう、とても手厚く。

「ジェラルド様……」

「うん? どうかしたかい?」

「あの、自分で食べられますので、こういうのはもう……」


 食事のたび、フィオレンティーナはジェラルドに『あーん(ハート)』をされていた。

(やめてほしい)

 ジェラルドの美貌が間近にあると落ち着いて食べられないし、恥ずかしい。


「私の手からでは嫌だと……?」

「い!! いえ決してそのようなことはありませんが、ジェラルド様もお忙しいと思いますし申し訳ないと言うか……!」


 正直に、心臓が持ちそうにないと言った方がいいのだろうか。

 食事だけでなく、ジェラルドはフィオレンティーナが動けるようになると常にそばにいた。


 彼が書斎で仕事をしている時は「そこで本でも読んで、くつろいでいなさい」と少し離れたソファをすすめられる。


 ある日フィオレンティーナは、ジェラルドに黙って屋敷を出ようとした。

 早朝、屋敷の門をこっそりと出て速足で歩いて行くと、屋敷の角を曲がったところにジェラルドが笑顔で立っていた。


「ひっっ!!」

「フィオレンティーナ、何をしているのかな?」

「あの」

「外に出たいなら、私に相談するよう言ったはずだが」


(どうして私の居場所が)

 その疑問が顔に出ていたのか、あくまで柔和な笑顔でジェラルドは続ける。

「風はいつも君のそばにいる。君のことは風が全部教えてくれるよ」

(そうだった。この方は風の精霊に愛される風の侯爵だった……!)


 ということはこの世界にはフィオレンティーナに隠れられる場所などないではないか。

「さて、約束を守れない悪い子には、お仕置きだ」

 フィオレンティーナはジェラルドの腕の中に閉じ込められた。そのまま流れるような仕草で顎を持ち上げられ、口付けられてしまう。


(……だから!!)

 こんなお人だから前世から苦手なのだ。

「……んっ」

 フィオレンティーナはもがくが、ジェラルドは離してくれない。

 どころか頬を指の背でそっと撫で上げられて、フィオレンティーナはブルブルと震えてしまった。


 怖い。

 相手に拒否されても毛ほども動じないジェラルドの神経の図太さがシンプルに怖い。

 ジェラルドは唇を離すと、フィオレンティーナの瞳の奥を覗き込んだ。


「……君の心の中には誰かがいるね」

 そして、フィオレンティーナの胸を……心臓の近くを、指で指すように優しく触れる。不思議とその指の動きに、下心のようなものは感じられない。


 フィオレンティーナの脳裏に浮かぶのは、自分に怒りを向けるクラウディオの姿だ。

「私以外の人間が心に棲んでいるのなら、追い出してしまわなければ」


 そしてフィオレンティーナはジェラルドの寝室へと誘われた。

(いや乙女ゲームの主人公もびっくりな急展開でしょう……もっと情緒というものをですね)


 もはや自分の人生などどうでも良いと諦めきってしまっていたし、抵抗しても無駄に思えたので素直について来てしまったが、自分も大概自衛が甘い。

 寝室の大きなベッドに座らされ、隣にジェラルドも座る。白檀の良い香りがする。


 ジェラルドが動いてフィオレンティーナはびくりとしたが、彼はフィオレンティーナの太ももの上に頭をのせただけだった。

(何だか、とても……思い上がった勘違いをしてしまったような……)

 ジェラルドも紛らわしいことを言わないでほしい。


(これはこれで色々と思う所はあるのですが!)

「……歌を」

「え……?」

「歌を歌ってくれないか」

 ジェラルドは心地よさそうに瞳を閉じていた。長い睫毛がすぐそばにある。


 フィオレンティーナは迷った挙句、自分が前世でよく歌っていた歌を口ずさんだ。

 仕事で何度も歌っていた、子守歌を。前世では可愛い子供たちのお腹をトントンしながら歌っていた。


「やはり……君の声は、素晴らしい」

 ひとりごとのようにそう呟くと、ジェラルドは寝息を立て始めた。



   ☆☆☆



 彼女の歌声が聴こえる。

 ジェラルドはまどろみの中、彼女と初めて会った日のことを夢に見た。


 王宮庭園にある『聖樹』に風の精霊の力を送ったその帰り、路地から飛び出して来た女性とぶつかってしまった。街灯に照らし出された彼女は、驚くほど繊細な美しさを持つ女性だった。


 相手がこちらを見ないのを良いことに、時間を忘れて見惚れてしまった。

「失礼。お怪我はありませんか?」

 我に返って慌てて尋ねるジェラルドに、その女性もまた慌てたように返事をした。


「す、すみません、私も前を見ていませんでした…!」

 魅惑的なその声。


 後日、王都に向かっている途中で川を流れてきたのが彼女だと気付いた時、もう二度と彼女を自分から離さないようにしようと思った。

 もう二度と死にたがらないよう、心ごと虜にしてしまおう。


(早く、この腕の中に落ちてくればいい)



  ☆☆☆



「おそらく、君の声には特殊な魔力が宿っている」

 ひとときの眠りから覚めたジェラルドは、長い黒髪をかきあげながらそう言った。その仕草がひどく艶っぽい。


「いつだったか、大通りで私がぶつかった令嬢は、君だろう」

(大通り?)

 フィオレンティーナはすっかり忘れていて反応が遅れた。


 そして、あの衝撃的な夜のことを思い出した瞬間ジェラルドの前にバッと平身低頭した。

 あの時ふわりと薫った白檀の香りは、今考えると間違いなく風の侯爵ジェラルドのものだ。


「今の今までぶつかったのが侯爵様と気付かず大変申し訳ありませんでした!! かくなる上は腹をかっさばいて!」

「分かった、まず落ち着こう。私が言いたいのは……あの夜、長年の悩みが消えたんだ」

「悩み?」


「長く、よく眠れない日が続いていてね。薬に頼らなければ熟睡できなかったのが、あの夜だけは不思議なことに、薬を飲まなくても眠ることができた。私自身その理由を考えていたのだが」


「私の声に魔力があると思われたんですか?」

「君がこの屋敷に来てからも毎晩よく眠れている。そうでもなければ、説明がつかない。しかもその魔力は、どうやら歌になることで威力を増す」


 ジェラルドはそう言うと、まだ床に座っているフィオレンティーナの前に膝をついた。

「礼を言いたいと思っていた。そして叶うならこれからも私のそばにいてほしいと」


 フィオレンティーナはたまらず床に額を擦り付けた。

「畏れ多いお言葉です! 私はここに居てはいけない人間なんです!」

「君がそう考える理由を教えてくれないか。君がここに相応しいかどうかは私が判断する」


 ジェラルドが真剣な顔で見つめてくるので、フィオレンティーナは仕方なく、あの夜の出来事を話した。


「つまり浮気癖があると知りつつ男と婚約したら、しっかり本命の彼女までいて怒り狂ったと」

 ジェラルドはすげなく2行でまとめてしまった。


「どこに君の罪がある?」

「ありまくりです! 家の敷地に侵入して、小屋に火を付けたんですよ! しかも女の子ごと!」

「言っては何だが、その本命の彼女には落ち度は無かったのか?」

「……落ち度……?」

 フィオレンティーナは戸惑う。


「君とその男との婚約が成立する前に、本命の彼女の方が行動を起こしてさっさと婚約でも結婚でもすれば良かっただろう。それなのに君との婚約後もだらだらと中途半端な関係を続けていたとしたら、男も、その彼女も、君という人間を馬鹿にするにも程がある」


 ジェラルドの声には苛立ちが混じる。

「そっ……そんな、ことは……」

「自分の行動を反省するのは殊勝な心がけだが、君だけが全ての責任を背負い込む必要はないよ」


 ジェラルドはフィオレンティーナを抱き寄せた。

 白檀の香りに包まれる。

「君は十分苦しんでいる。償うことを考えているなら、死ぬことよりも、その命でこれから何をしていくのかを考えるべきだと私は思う」

 

 ジェラルドは「それに」と冗談を言うような口調になった。


「君の命はもう既に私の物のはず。早くその男など忘れて私のことを考えなさい、お姫様」


 風の侯爵ジェラルド・サルヴィ。人懐っこく爽やかな水の伯爵クラウディオと違って、どこか妖艶で強引な人。

 さっきからドキドキと心臓がうるさい。

 フィオレンティーナは赤らんだ頬を必死で隠した。


   ☆☆☆



 ディアマンテ王国を揺るがす大きな事件が起きたのは、フィオレンティーナがジェラルドの屋敷で暮らすようになってしばらく経った頃だった。


 王都の空に突然、巨大な黒い影が現れた。

 黒竜である。


 その黒竜は王宮庭園に咲いた『聖樹』の花を喰い、我が物顔で王宮で暴れているという。

 四大精霊に愛される四大貴族達は、この竜の討伐を命じられた。


(黒竜は、ディアマンテ王宮恋物語のラスボス)

 馬に乗り王都へ駆けていくジェラルドを見送った後、フィオレンティーナは王都上空を滑空する黒い影を目で追いつつ必死で前世の記憶を辿った。


 ゲームの世界ではどうやって退治をしていたか。

(アリーチェが)

 主人公が『聖樹』の力を借りて倒していた。

 そして同時にこのゲームのバッドエンドも思い出してしまった。


 アリーチェと互いに想い合う特別なキャラクターがいなかった時、『聖樹』はその力を発揮できないまま、主人公達は黒竜に敗れる。

 でも今、この王国のどこにも『アリーチェ』が存在するようには思えない。まるで彼女がいないままゲームが進んでいるような不気味さだ。


(四大貴族達が……ジェラルド様が命を落とす)

 フィオレンティーナは世界が真っ暗になったように感じた。

 何か、ジェラルドを助ける方法はないか。

 フィオレンティーナは必死で考えた。



   ☆☆☆



 王命に応じて王都に集結した、水の伯爵クラウディオ、火の男爵、地の公爵、そして風の侯爵ジェラルドの4名とそれぞれの一族だったが、黒竜の抵抗は激しく、精霊達の魔法はことごとく弾かれた。


「損害が大きい。火と地の一族は一旦退け」

 ジェラルドの声にクラウディオは苦笑する。

 竜に吹き飛ばされ、鋭い爪で服や皮膚を切り裂かれ、この場に留まる人間の誰もが惨い状態だった。


 年長者であるジェラルドの指示に従い、火と地の一族は撤退を始める。

「侯爵閣下も余裕があるようには見えませんけど、ね!」

 軽い調子で言いつつ、クラウディオは片手を上空の黒竜に翳して氷の矢を放つ。黒竜の鱗は硬く、氷の矢を粉々にした。


「火も水も氷も効かない、岩は避けられてしまう」

 クラウディオは苦々しい表情で呟く。

 黒竜はクラウディオに反撃をしようとするが、その身体を竜巻が包み込んだ。


「こちらだ黒竜!」ジェラルドの声がする。

 竜巻の中で体勢を取り戻した黒竜は、ジェラルドに向かって飛びかかった。

(そよ風のよう、か)

 ジェラルドは心の中で忌々しげに呟いた。


 凄まじい威力であるはずの竜巻の魔法すら、黒竜には通じない。

 そして黒竜のスピードはどんどん上がっているようにすら感じる。


(これは死ぬかもしれないな)

 黒竜の攻撃を避けながら、ジェラルドは屋敷に置いてきたフィオレンティーナのことを考えた。


(君はどうか逃げて、生きて)

———「死な……せて、ください……」

 川から助けた直後の彼女の言葉と表情を思い出し、ジェラルドは戦闘中にも関わらず微笑んだ。

(この世界に生きる価値があることを、知るんだよ)


 ジェラルドが竜の爪を避けた時、その爪の衝撃で爆発するように飛び散った建物の瓦礫が彼の身体にいくつも襲いかかった。

「く……っ」


「ジェラルド様!!」


 瓦礫の下敷きになったジェラルドの耳に、信じられない声が聞こえてきた。

「フィオレンティーナ……!」

 どこかから駆け寄ってきたフィオレンティーナは、ジェラルドの上の瓦礫を一つずつ取り除こうとしている。


「どうしてここに」

 焦って黒竜の方を見ると、今は何とか黒竜をクラウディオが引き付けてくれていた。

 フィオレンティーナは瓦礫を細い手で急ぎどかしながら、ジェラルドに答えた。


「ご存知ですよね? 私、死ぬのは怖くないんです」

 冗談めかして言う彼女の顔は、涙と土に汚れている。

「でも、ジェラルド様が先に死んじゃダメです」

 大きな瓦礫を体重をかけてどかすフィオレンティーナ。


 息を切らして最後の瓦礫をどかし、彼女は告げた。

「私の命はジェラルド様のもの、ですよね? ジェラルド様が死んじゃったら私も生きていけないじゃないですか。言い出した者としての責任を考えてください」


 そう語る彼女は、今までで一番生命力に溢れているように見えた。

 だがジェラルドは言い聞かせるように言った。

「今すぐ逃げなさい、フィオレンティーナ」

(君が逃げる隙くらいは作れるだろう)


 ジェラルドの言葉に、フィオレンティーナは首を横に振る。

「嫌です、ジェラルド様。とりあえず今は死ににきたつもりではありません、策があります」

「策?」

「はい」


 フィオレンティーナは黒竜を見上げて言った。

「私の歌を届けられますか? あの竜に」



   ☆☆☆



 フィオレンティーナの歌は風に運ばれ、竜の耳元で響いた。


 子供達を優しく包む歌に、竜はまるで酒に酔ったようにふらふらし、終いには地面に墜落した。

 ジェラルドが歌声ごと切り取るように運んだため、フィオレンティーナの周囲の人間には何も聞こえず、眠りに落ちることもなかった。


 フィオレンティーナが恐る恐る地面に落ちた竜を見にいくと、地響きのような寝息が聞こえてきていた。どうやらぐっすり眠っているようだ。


「フィオレンティーナ……お前が竜を眠らせたのか」

 声をかけてきたクラウディオは信じられない様子だった。

 フィオレンティーナは何も答えられず、クラウディオにただ一度だけ、深く頭を下げてその場を離れた。


(ジェラルド様が怪我をしている)

 手当てをして、他愛無いおしゃべりをして……いつも優しく包み込んでくれる彼の腕の中で休みたかった。



   ☆☆☆



 四大貴族達の怪我が癒える頃、黒竜の討伐を祝って、王宮で宴が開かれた。

 ジェラルドは「嫌です目立ちたくないんです!」と嫌がるフィオレンティーナをパートナーとして連れて行った。


「黒竜を倒したのは君のようなものなのだから、君がいなければ主役がいなくなってしまうだろう」とジェラルドは譲らなかった。


 華やかなドレスに身を包んだフィオレンティーナを、同じく華やかな正装のジェラルドがエスコートしてくれる。

「今日の君は抜群に綺麗だ。自信を持って良いよ」と耳元で囁かれる。


 ジェラルドと何曲かダンスを踊り、宴が中盤に差し掛かった時、フィオレンティーナの隣に水の伯爵クラウディオがやってきた。

「フィオレンティーナ」

「!」

 その声にフィオレンティーナは震えてしまう。


 もう彼の声から怒りは感じられないのに、話しかけられるとあの夜の彼の顔と声を思い出してしまうのだ。

———「フィオレンティーナ……水の伯爵の最愛の者に手を出したことを後悔してもらおうか」


「これは水の伯爵。私のフィオレンティーナに何か用かな?」

(ジェラルド様!)

 クラウディオの姿を遮るようにジェラルドが立つ。


「……『私の』?」

 訝しげに繰り返したクラウディオに、ジェラルドは余裕のある大人の笑顔を見せた。

「ああ。実は近く、彼女にプロポーズをしようと思っていてね」

「「えっ!?」」


 突然の話に、クラウディオとフィオレンティーナの両方が素っ頓狂な声を出してしまった。

「わた、わた、し、ぷ、プロ?」

 フィオレンティーナの舌は驚きすぎて回らない。

「意外だったかい? 私としては、ずっと君に愛を囁いていたつもりだったけれど」

 ジェラルドはフィオレンティーナを見て静かに告げた。

「せっかくだからこの場で問おう、フィオレンティーナ。私との婚約が嫌なら、これから私がすることを拒むんだよ」


 ジェラルドは優雅な仕草でフィオレンティーナの顔を上向ける。

 この展開についていけていなかったフィオレンティーナは、ジェラルドの綺麗な顔が自分に寄せられる所でハッとした。


「いっ、いけません、こんなところで……っ」

 周囲にはクラウディオ含め、沢山の人がいる。

 これから何が起きるのかと注目を浴びている。

「見せつけてやれば良い。麗しい君を袖にした男なのだろう」

 耳元でジェラルドに小声で囁かれ、ぐっと腰を引き寄せられれば抗えない。


 フィオレンティーナはジェラルドにされるがまま口付けを受け入れた。強引で優しい、彼そのもののような触れ方だ。

 その口付けの美しさに、周囲のご婦人達からため息が漏れる。


「ようやくいなくなった」

 短い口付けの後、ジェラルドがフィオレンティーナと額を合わせ、甘い声で囁く。

「?」

「君が私だけを見つめてくれる日を待っていた。フィオレンティーナ」


———「私以外の人間が心に棲んでいるのなら、追い出してしまわなければ」

 いつかジェラルドが口にした言葉を思い出す。

 確かにフィオレンティーナはクラウディオを見ても、以前のように心が喜びで沸き立たなくなった。


 代わりに最近はジェラルドの眼差しに宿る優しさと熱に出会うたび、ドキドキと胸が早鐘を打ち始めるのを感じる。

(ジェラルド様も何というか、最近は声も笑顔も甘すぎる気がする)


「ジェラルド様。私はジェラルド様にとって、睡眠薬のような存在だと思っていました。それだったらそばに置きたがるのも納得だなぁと」

 ジェラルドは吹き出した。そうして笑う顔は少年のように無邪気だ。


「それもあるかもしれないが、私は君を一目見た時から、既に君に心を奪われていたよ。川で拾った時は運命だと思った」


 フィオレンティーナにとろけるような笑みを見せた後、ジェラルドは打って変わって、フッ、とクラウディオの方に勝ち誇ったような笑みを見せた。


「……失礼する!」

 水の伯爵クラウディオは何とも不満げな表情でその場を去った。



   ☆☆☆



 水の伯爵家の庭園からは、今日もおしゃべりが聞こえてくる。

「なぁエル、風の侯爵がフィオレンティーナとイチャイチャするのを見せつけてくるんだけどどうすればいい?」

「あら」


「あいつ絶対、俺がエルと一年間恋人になれないのを知ってる! 風魔法で全部聴いてる!」

「でもそれはクラウディオの素行の悪さがそもそもの原因だから」


 ジェラルドとフィオレンティーナの婚約が正式に発表されたのは、それからすぐのことだった。

最後までお読みいただきありがとうございました。

心ときめく物語をお届けできたでしょうか。


こちらは『導きましょう、死の運命から幼馴染を救う婚約破棄を〜転生した庭師、気まぐれに伯爵様を籠絡してみました〜』の後日談&悪役サイドのお話でもあります。ご興味を持たれましたらこちらもどうぞ。

何か少しでも心に触れるものがありましたら、お気軽に評価やリアクションで教えていただけますと、大変嬉しく思います。

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