第4話 士郎は今日も気付こうとしない
仕事を終えたあと、なぜか自然と並んで帰るようになった二人。駅に向かう道での優しい時間。
昨日のことからも察せられるが、恋雪は士郎との時間を大切にしたいと思っているのだ。士郎も自分と一緒にいたいと、遠回しに表現されているため、答えないわけにはいかない。
だからこそ何も言葉を交わさずに、自然に隣で歩いている。お互いがお互いを求めるようになっている。
(やべぇ、なんも言わずに先輩と帰ってるけど、何この子とか思われてないかな……)
士郎が切り出した。
「そ、そうだ。東雲先輩、来週の出張、同行されるんですね。なんだか心強いです」
「……うん。……なんか、ね……。一緒に行けるって聞いて……ちょっと、うれしかったかも」
「僕もです。先輩がいれば百人力ですから」
「……そうやって、また簡単にそういうこと言う……。私、すぐその気になるのに」
「その気……?」
「んっ! いや……ううん、こっちの話……」
恋雪はふいに士郎の横顔をちらりと見て、ぽつりと呟く。
「……なんでかな……。最近、仕事終わりに結城さんと話してると……帰りたくなくなるんですよね……」
士郎は数回まばたきをして脳内で処理をする。
帰り道、二人でいる時間。それを恋雪が帰りたくないと、自らの心情を呟いていた。
途端に士郎は恋雪を意識する。
「……えっ、それ……」
「……私、さ。家帰ってもひとりで、何もないし。……でも、結城さんが横にいると……なんか、それだけで、全部まるく収まっちゃう感じするっていうか……」
「……それって……僕のこと、特別だと思ってくれてるってことですか?」
「あっ……わかんない。……でも……今日、家ついたら、また明日も会えるかなって思うんですよね。どうせ月曜日には会うのに……」
ふと足を止め、立ち尽くす恋雪。
「……私って、変ですよね……? 年下の後輩さんに、こんなに……毎日気持ち揺らされて」
「変じゃないです。……僕のほうこそ、先輩の言葉一つで、今日一日が最高になるくらい、影響受けてますから」
「……そんなこと言われたら……また、帰りたくなくなる……」
ぽつんとそう呟いた恋雪が、そっと士郎の袖をつまむ。
背筋が硬直した士郎だったが、頬を赤らめている恋雪を目の当たりにし、すぐに和らぐのだった。
柔らかい街灯に照らされて、赤色なのかどうかすらも怪しい。ピンクにも見える。色としては化粧のチークが分かりやすく該当するだろう。
しかし士郎は恋雪の化粧が薄いことを知っている。さらには頬紅を付けていないことも分かっている。
「……もうちょっとだけ……一緒に歩いてくれませんか……?」
「……はい。何時間でも、歩きますよ」
今日も士郎は気付こうとしなかった。
◇◇◇◇
出張先の小さな旅館。二人は部屋の扉の前で立ち尽くしていた。
顔を見合わせ、苦笑いをしながら恋雪が恥ずかしさを紛らわせつつ言う。
「……部屋、となりなんですね」
「はい。何かあったらすぐ駆けつけますから」
「……ほんと、ずるい……。そんなこと言われたら、……わざと何かあったことにしようかと思っちゃう……」
「……それ、誘ってます?」
「……ち、ちが……ああもう……。……結城さんのばか……」
部屋に入る直前、扉の前でぴたりと立ち止まる。
「あの……おやすみって、言ってくれないと……なんか、落ち着かない気がします」
「……おやすみなさい、東雲先輩。また明日も、よろしくお願いします」
「また、明日も……今日も最高の一日でした、って言ってくれるなら……何回でもまた明日って言いますから……」
恋雪は本当にわざと何かしようと思ってしまった。結局その日は夜更かしなどもせず、幸福感を抱いたまま布団の中に入ったのだった。
(何かしらあるかもしれない……。駆けつけるって言っちゃったしなぁ……)
夜更かしどころか、ソワソワして眠れなかった士郎だった。