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いつかまた音に乗せて届けるから  作者: 光瀬
立花はるか
8/37

5.5


 あんな荒れた音を聴いたのは初めてだった。

 いつものように音楽室へ向かう廊下で、響く速弾き。

 小さな手が折れるのではないかと思うほどに感情に任せたような弾き方。

 気が付くと走り出していた。

 あーなんで音楽室こんな遠いんだよ。

 舌打ちをして悪態をつく。

 音楽室が近くなるほどに音は大きくなり、切迫した音の粒がこれでもかと流れ出ている。

 だめだよ、はるかの音をこんな風にしちゃいけない。

 急いでいるはずなのに、遠く感じる音楽室までの廊下。

 やっとたどり着いたがドアの前で開けることをためらってしまった。

 俺に何ができる。

 何を言える。

 何かしてあげられることはあるのか。

 一瞬のためらいを振り切って、今はそんなこと知らねえとドアを開けた。


 俺の顔を見た瞬間に驚いて立ち上がったはるかは、まるで母親に叱られた子どものようだった。

 小さく震えている。

 入ってくるべきではなかったかもしれない、そう思ってしまった。

 でも、不安で潰されそうな音で弾いている姿を想像したら、止められなかった。

 そんな顔しないで。

 怯えなくていい。

 曲で迷っている時のしかめっ面も、ピアノを弾いている時の細めた目も、とても大切そうにピアノに触れる指も、邪魔なはずなのに嫌な顔もしないで追い出さないのも、全部好きだから。

 だから、泣かないで。


 気が付くと彼女の両手を握りしめていた。

 冷たく小さな手。

 俺がくるまでずっと弾いていたんだろうとすぐにわかる。

 勘違いかもしれないが、一番近かったのは俺かもしれないのに。

 はるかのピアノをずっと聴いていたのに。

 気付いてあげられなくてごめん。

 震えている手をなんとかしたい。

 俺なんかの言葉じゃ届かないかもしれないけれど。


「大丈夫だよ」


 どうしても、はるかを泣かせたくなかった。

 悲しい涙は流してほしくなかった。


 うるんだ目がきれいだと思った。

 そんなはるかもかわいいと思った。


 好きだと思った。

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