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いつかまた音に乗せて届けるから  作者: 光瀬
立花はるか
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6


 次の日の昼休み、音楽室に行くことをためらった。

 感情的になっていたのもあるが、自分がとった行動のせいで彼と顔を合わせることが恥ずかしい。

 あまりにも自分らしくない。

 職員室で借りた鍵を持って音楽室へ向かうが、歩みはいつもより遅い。

 お礼を告げて逃げるように帰宅した昨日の自分が恨めしい。

 それでもあれだけ焦っている自覚を改めて受け入れると、曲を決めないわけにはいかない。

 逃げるわけにはいかない。


 どうしてこんな日に限って早く来ているかな…。

 鍵がかかっているため入れない音楽室の前で彼はしゃがみながら鼻歌を歌っていた。

「なんでその鼻歌なの」

 彼がこちらに気付き、鼻歌を止める。

 慣れ親しんだと言ってもいいほどの曲。

「せめて立って待っててよ、たむろしてるヤンキーみたいじゃない」

 呆れ気味に鍵を開けて室内に入る。

「この曲好きなんだよね」

「知ってるのはちょっと意外だったかも」

 先ほどの鼻歌で緊張感が一気に薄れた。

 ひとりで恥ずかしがっていたことがばかみたいだ。

「あんまり詳しいわけじゃないけどね、ただなんとなくこの曲だけは好き。俺もピアノ弾けたらよかったのになーって思うよ」

 会話をしながら、定位置になっている窓辺に移動する。

 なんでもなかったかのように振る舞ってくれているだけなのかもしれない。

 窓辺までの移動の間に、彼がわたしの分のコーヒーをテーブルに置いてくれた。

 自分用に買ったコーヒーを開けて一口飲んでから、いつものように窓の外を見やる。

 昨日と同じコーヒーは甘党なのだろうなというほど甘いコーヒーだった。

 お礼を伝えてありがたくもらう。


「なんであの曲が好きなの?」

 合唱台に座りコーヒーを飲み始めたわたしは先ほどの鼻歌への疑問を投げる。

 声をかけられた彼はんー、と小さく考えるような素振りをしている。

「俺ピアノって全く知らないからさ、周りにもピアノ弾く人っていなかったし。けどはるちゃんのピアノ聴いてから興味沸いてさ。たまたま動画サイトでこの曲知ってから、なんかはるちゃんっぽいなって思ったんですよ」

 確かわたしは彼の前でその曲を弾いた記憶はない。

 昨日弾いた時だって、彼はまだ来ていなかった。

 タイトルからしてもとても夢あふれるような曲ではないが、わたしも好きな曲である。

 ただ選曲で考えた時に簡単すぎるレベルだったため候補に挙がっていなかっただけ。

「専門的な知識ってないから無責任なことは言えないけどさ、はるちゃんが好きな曲で試験受けたほうがいいんじゃないかなって思うよ」

 相変わらず話しかけているのかひとり言なのか、外を見ながら話しかけてくる。

 好きな曲で、という言葉がすっと胸に落ちてくる。


 立ち上がりコーヒーを机に置き、ピアノの椅子に座る。

「言っておくけど、本当に昔に習った曲だから笑わないでよ」

 楽譜がなくても弾ける。

 この曲は小さかった頃に指が届かず苦戦して、それでも音の流れがきれいだからと頑張った記憶がある。

 返事の変わりに目を伏せて彼がわたしの1音目を待ってくれる。

 すう、と息を吸ってピアノに添えられた手が動きだす。


 ベートーヴェン作曲・ピアノソナタ「悲愴」第2楽章。

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