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自分のことのように喜んでくれた彼は、ちょっと待っててと言って音楽室を出ていった。
ぽつんとひとり残された室内で、彼の笑顔を思い出しながら考え込む。
昼休みに感じた胸に刺さる感覚はなんだったのか。
このもやもやした気持ちの正体はなんなのか。
こんな感情今まで味わったことがないから、わからない。
わたしの知らない顔をして笑っている彼の周りの人たちに嫌悪に近いものがあった。
それと同時に、わたしに見せない顔をしている彼に対しても、さみしいと思ってしまった。
「なんでだろ…」
やり場のないこの気持ちの正体がわからないまま、彼を待つしかできない。
どこへ行ったかもわからないうえにかばんまで置きっぱなしになっているので帰るに帰れない。
なんだかなぁとため息が漏れる。
表現のしようがない感情を、どう伝えたらいいのかわからなかった。
自分でも理解していないものを相手に伝えることは難しい。
だから、言葉にできなかった。
静かなこの空間は好きではない。
あまりににぎやかな場所が得意ではないのでいつもであれば好んでこの場所にいることだって多いはずなのに、最近ではこんな静かなことがなかったから。
わたしのピアノの音と、彼の存在。
調和のとれた聴き心地のいい音だった気がする。
それが今は心の雑音ばかり気にかかる。
「おまたせ」
開けっ放しで出ていった彼が戻ってきた。
いつものコーヒーをふたつ持っている。
「お祝いらしいお祝いではないけど、とりあえず乾杯しよ」
そう言って座ったままのわたしに1パック渡してくれる。
そういえばと思い返すと、年上のくせにわたしはもらってばかりだ。
「あ、お金」
「いいよ、はるちゃんのお祝いなんだし。こんなもので申し訳ないけど。改めて、おめでとう」
グラスのようにパックで乾杯をし、彼は気にしないでと飲むよう勧める。
今度違いかたちでお返しをしようと今回は彼の好意に甘えることにした。
「ありがとう。あの時助けてくれなかったら、受験どころじゃなかったと思う」
「ん?なんのこと?」
「わたしが狂ったようにピアノ弾いた日。止めてくれてありがと」
もやもやを打ち消すように笑顔を彼に向ける。
「俺は何もしてないよ。ただ焦っちゃってただけで、そういうのって誰にでもあるよ。たまたま俺が来たってだけ」
「そんなことないよ」
誰が来ても同じということはない。
彼が来てくれたから、彼からの言葉があったから受験に挑むことができた。
そして今日この日を迎えることができた。
「ありがとう」
改めてお礼を言う自分の顔は、誰が見ても照れていたと思う。
「あのさ」
パックに刺さっているストローをいじりながら、彼が言うか悩んでいるように口を開いた。
「あの、俺はるちゃんのこと」




