モンスター襲来?
ファム様とのランチを終えて、教室へと戻る途中、それは起こった。
『マスター、警告です。優先度、高。強い害意が周辺一帯を覆っています。逃走を推奨』
「えっ……」
「どうかなさいましたか、ロモロ様」
「……いや、ちょっと知り合いがいた気がして」
適当に誤魔化して、内心でスターゲイザーに問い掛ける。
あまりにも突然すぎて、思わず声を張り上げてしまうところだった。
(どういうこと?)
『人の害意ではありません。別の生物の害意です』
(モンスターか何か? そんなのが突然、現れたっていうのか?)
『知覚した範囲ではそうとしか言えません』
モンスターというのは、まだまだわかっていないことが多い。
生態や生息分布すらわからず、生物であるかどうかすらわかっていなかった。
モンスターが突然出てくるというのは、あり得ない話じゃないが……。以前、マティアスさんやヴェネランダさんたちと一緒に森で遭遇したこともあるし。
ふと、以前に聞いた王子の側近ビアージョの話を思い出す。
『モンスターがやってきて事故によって死んだとした方がスマートでしょう』
まさか、もう魔法陣を発動させた? いや、あの口ぶりならもっと時間が掛かったはずだ。まして今は毎日のように夜は天眼通で図書館を見張っている。
まだ彼は発動を指示していないし、そもそも魔法陣は完成していない。
(モンスターはどこにいる?)
『北西方向の森の中で、こちらに移動中です』
(狙っているのは学校か?)
北西方向なら、ここからはそんなに遠くない。
「……ニコーラ、何か聞こえない?」
「はて? 私には聞こえませんが……」
「悲鳴が聞こえた気がしたんだ」
嘘だけど、今ここで動くには嘘をつくしかない。
「ごめん。気になるからちょっと行くね!」
「気になるのでしたら仕方ありませんな。何もなければそれでよし。心置きなく授業に臨めるでしょう」
「ありがとう、ニコーラ」
念のため、密かにお姉ちゃんへ通信を飛ばした。
どんなモンスターかは不明だけど、お姉ちゃんならそうそう負けることもないはず……!
お姉ちゃんの力を見せることになってしまうが、学校の安全の方が優先だ。
そして、僕とニコーラは講堂の裏手側までやって来た。
「ここからは『影の樹海』に踏み込むことになりますが……」
「前にニンファたちと見下ろした森だね」
「あれですら『影の樹海』の一端でしかありません。しかし……何か……」
最初は訝しげだったニコーラも、近づくにつれて険しい顔を見せ始めていたので、何かがいるのは察したらしい。
ニコーラは迷うことなく通信魔法を飛ばした。
「……ロモロ様、今すぐお逃げください。通信魔法でテア様に増援を要請しましたが、到着までには少し時間がかかるでしょう。王国軍の出動が必要になるかもしれません。学校の生徒たちの避難をお手伝いくださいませ」
「え……」
「私には悲鳴が聞こえませんでしたが、ここに来て殺意を肌に感じております。向かってきている生物はあまりにも危険です。学校の生徒たちが敵う相手ではございません」
「なら、ニコーラも一緒に――」
「食い止める者が必要です。素通りさせて校内に侵入させたら、どんな被害が出るかわかりません」
だとしても、ここで見殺しにするような真似は――。
しかし、ニコーラは厳しい表情を僕に向ける。
「見くびりなさるな。老いて一線を退いたと言えど、あしらうことは可能でしょう。どんな相手が現れようと十五分は耐えて見せます」
そして、安心させるように笑みを浮かべた。
「……わかった。すぐに戻ってくるから、絶対死なないでね。まだ教わりたいことはいっぱいあるんだから」
「奇遇ですな。私もまだまだロモロ様に教えなければならないことが多いのです。今、死ぬわけには参りません」
十五分耐える――その言葉が事実であれば、なんとかなるはずだ。
その時間でお姉ちゃんはここへ来られる。
ニコーラを救ってくれるはずだ。
そんな期待と不安と悲壮感が入り交じったままニコーラに背を向けた瞬間――。
「む――?」
ニコーラが不思議そうな声をあげる。
それと同時に、頭の中で鳴り響いていた警告が止まった。
「消えた……?」
『イエス、マスター。害意は生命反応ごと消滅。危機は去ったと判断します』
どちらからともなく、僕とニコーラは近づく。
そして、お互い幻惑に惑わされたような表情を向け合った。
「消えましたな」
「そう、みたいだね」
「気配を消したというわけではなさそうですが、はて……不思議なこともあるものです」
おそらく……いや、間違いなく消えたのだろう。
気配を消した程度では、スターゲイザーの網からは逃れられない気がする。
魔力による探索をしているのだから、それを誤魔化す手段が必要だが、そんな手段を持っているなら最初から使うだろう。
そんなことをする必要のない生物だろうしね。気配を消して襲うなど、弱者が生き延びるために獲得する性質のはずだ。
「……一応、危機が去ったことは伝えましたが、テア様は調査のためにこちらに来るようです。少々、ここで待機してましょう」
あっ。僕もお姉ちゃんに伝えないと。
僕も通信魔法を使ってお姉ちゃんにもう危機が去ったことを伝える。
すると、『どういうこと? とりあえずそっちに行くから』と返ってきた。
来ない方がありがたいんだけど。僕がお姉ちゃんを呼んだ理由を探られたくない。
そのことも追加で伝えると、『適当に誤魔化す』とふわふわした返事が来た。
「ロモロ様、いつ通信魔法を覚えましたか? 初等教育ではまだのはずですが」
「……実はお姉ちゃんが使ってて、教えてもらって」
さっきは密かに使っていたが、今回はしっかりと見られてしまっている。
ただ、現時点で僕がお姉ちゃんを呼んだ理由を言わなきゃいけなくなるよりはマシだ。
あの明らかに目立ってしまう強さはまだ隠しておきたい。
「不思議な方ですな。深くは聞きますまい」
「ありがとう……」
「いつか、ロモロ様に本当に信用された時に伺います」
ニコーラの察しが良すぎて、秘密にしているのがバレバレだ。
だけど今は仕方ない。こちらとしても、あまり事を荒立てたくないしね。
申し訳なさを感じていると、テアロミーナ様とお姉ちゃんが連れ立ってやってきた。テアロミーナ様の側近たちも数人いる。
「大丈夫でしたか? ロモロ」
テアロミーナ様がしゃがみ込んで僕を心配そうに見た。
この人はいつも僕の目線に合わせてくれる。
「はい。特に危ない目にあったわけでもないですし……」
「ニコーラも無事ね。まあ、貴方に何かあるとも思えないけど……。それで何があったの? 仔細をお願い」
「ことの始まりはロモロ様が悲鳴を聞いたと仰りまして――」
そこから形式的に事情聴取となった。
とはいえ、新しく出る情報などない。
ニコーラからすれば、危険な生物の殺気をいきなり感じて、それがすぐに消えたというものでしかないだろう。
こっちとしても、スターゲイザーが害意を受け取ってそれを知らせてきたに過ぎないため、その正体は判然としていない。
「悲鳴は聞き間違いかもしれませんし、その生物の鳴き声だった可能性もあります」
「ですが、ロモロ。それが本当に人間だったという可能性もあります。それにニコーラが殺気を感じたというのなら、本当に危険な生物はいたのでしょう。スパーダルドの者を使って少し森を探索させます。学校代表に情報を上げて、必要であれば学校の生徒たちで森の調査を行う必要もあるでしょうね」
「生徒たちで、ですか?」
「もちろんよ、ロモロ。この学校の貴族たちの大半はいずれ戦争に駆り出されることになるわ。その時のために行軍の経験を積むということね。元々、カリキュラムにはあるのよ。本来ならば、時期は違いますけどね」
なるほど。僕らは座学が多いからあまり感じていなかったけど、やはり学校の教育はそういう方向性なんだな。
今、僕らが実習でやってることと言えば魔法に関するものか、体力を上げるための基礎的な運動くらいで、まだ僕自身は武器を実践の授業では扱っていない。
貴族にとって魔法は自らの価値を示す重要なファクターだが、それと同じくらいに武器を扱った強さや兵士の指揮能力も大事なのだ。
テアロミーナ様は再びニコーラと話を始める。
そして、テアロミーナ様は側近たちにテキパキと指示を出した。
「モニカ。貴方はそろそろ授業でしょう? 今のうちに戻っておきなさい。まだ間に合うでしょうからね。ロモロも体調が悪くないなら戻っておいた方がいいわ。モニカ、少しニコーラとここで話すから教室までロモロを送ってあげてね」
「わかりました」
その言葉に頷き、僕とお姉ちゃんは教室へと戻る。
学校でふたりきりになるのは珍しい。
「それでなんだったの?」
「僕にもよくわからないよ。僕に危険が迫ったのは事実なんだけど、その相手も見てないし」
「少し遠くて深くは探れなかったけど、たぶんモンスターだったでしょ」
「でも、いきなり出てきていきなり消えるとかあるの?」
「そんな話は聞いたことがないけど。あ、でも、マティアスさんたちを助けた時のフェンリルなんかはそれに近かったような……?」
確かにあのフェンリルも突然出てきたはずだ。マティアスさんやヴェネランダさんが見逃していたことを訝しんでいたしね。事態は似ている。
突然出てきた危険な生物――それが、僕らの周りで再び起こったのは偶然か?
考えすぎだとは思う。たまたま重なった事件なだけだろう。
ただ、どうにも不安が拭いきれなかった。
この際、自意識過剰でも自分たちが狙われていると考えておいた方がいいかもしれない。




