part3 霊術士のおまじない
探し物を見つけるおまじない。蓬がそんな便利なもので、猫の姿をした神様がこの逆町にいることを突き止めたのなら、もう一度行うことでもっと詳しい位置、言ってしまえばこの町のどこにいるのかがわかるのではないか、と紫苑は考えた。
が、実際はそう甘くないようだ。
「この町に来た時、おまじないをしてみたけど失敗した。多分だけど、猫神様自身がそういった方法で位置を割り出されないようにしているんだと思う」
「探す術があるなら隠れる術もある、みたいなことか」
「そうみたい。試しに一回やってみようか?」
「頼む」
蓬はポーチに手を入れ、名刺サイズの紙とペンを取り出した。紙はともかく、ペンは市販されてるような普通の物だった。
「その紙が霊装具ってやつなのか?」
「そう、これは私がよく使う霊装具の呪符。私はカードって呼んでる」
蓬が差し出してくる呪符を紫苑が受け取る。コピー用紙よりやや厚めの紙の中央に、黒いインクで複雑な模様が描かれていた。大きな一つの円の中は、中心に向かって区切られるように複数の線が引かれ、それぞれの枠内には一文字だけ正月によく見かける漢字が書かれている。
「これって、十二支か」
「霊術的に方角と言えばこれ」
円の外にはぐるりと囲むように、文字通りの動物の簡易的な絵が描かれている。それらは霊術という仰々しいものよりは、確かにおまじないという言葉に似合うような、可愛らしい動物たちの絵だった。呪符とは何だったのか。
「何というか……可愛らしい霊術だな」
「こ、こういうのは使う本人が納得すればいいものだから」
紫苑がじっくりと絵を眺めようと思ったら蓬に呪符をひったくられた。それを蓬はしゃがんで地面に置いた。十二支が描かれた円の中心にペンを立てて置き、右手の一指し指だけでペンの頭を抑える。
蓬が聞き取れない小さな声で何かをつぶやくと、淡い青緑色の光が指先に灯る。明るい昼間だというのに、その光は淡いながらも太陽光に紛れることなく、意識を引き寄せられるような存在感を放っていた。
淡い光はそのままペンを伝って、垂れるように呪符に移っていく。円の中心に着いた光は、周囲に広がっていき、図形に触れた部分から光の色が変化していった。
さっきの火の球を造った光とは別の黒っぽい光だ。
「……それってペンが倒れた方向に探し物がある、とかそういう感じか?」
「そういう感じ。おばあちゃんから一番最初に教わった霊術だから、信頼度はばっちり」
分かれ道で迷った時に棒を立てて倒れた方向に進むとかそういうやつだ。
「私は猫神様を探しています」
そう言うと蓬は指をそっと放した。光を纏うペンは少しの間倒れず立っていたが、バチンという音と共に弾けるように回転しその場に転がった。呪符とペンに帯びていた光はすっかりなくなっている。
「これが、失敗。術自体は発動してるのに、まるで抵抗されたみたいに失敗してる」
「へえ……」
これが霊術……。さっきの火の球の時はよくわからなかったが、今回は蓬の体から出る光に呪符が反応していることがわかった。効果こそ拝めなかったが、不思議パワーなのは間違いなさそうだ。
「今の光って?」
「霊力。霊術を使うために必要な力」
呪符とペンを回収して、立ち上がった蓬が見せてきた手は青緑色の光を放っていた。
「その霊力っていうのは、誰にでもあるものなのか?」
「ううん、普通の人は霊力を持ってないよ。霊力を生み出す体質は珍しいし、そういう人は大抵霊術士に関係する人だから。私も、おばあちゃんが霊術士だったし」
「ってことは持ってなさそうか、俺は」
「さっき握手した時に調べたけど、紫苑に霊力はなかったよ」
しれっとそんなことをやってたのか。どこか抜けているやつかと思ったが、意外としたたかなのかもしれない。
「触るだけでわかるもんなのか」
「普段から霊力を操作することに慣れてたらね」
根本的な問題で紫苑は霊術を使うことができない、ということが判明してしまった。
もしかすると自分も不思議パワーを使えるかもしれないと、紫苑は期待していたがそんな甘い話はないようだ。
体質はどうしようもないな。
「でもおばあちゃんから、普通の人が霊術を使えるようになる方法がある、っていう話を聞いた気がする」
「まじで?」
紫苑にも一筋の希望が。
「確か、霊力を生み出せるように体そのものを改造するとか……」
そんなことはなかった。
「改造手術はなぁ……」
紫苑にもサブカルチャー的な改造人間に対する憧れがないわけではないが、リアル改造人間(本人)は怖いに決まっている。
「とりあえず、霊術で見つけられないなら、物理的に歩き回って探すしかないのか」
「そうするしかないかな」
結局、最後に頼れるものは物理である。
紫苑は逆町で生まれて育っている。当然土地勘は抜群だ。小さい頃は裏葉に引きずられるように走り回っていた。その経験から細かな道も知っている。
とはいえ、紫苑は最近そんなこともしなくなっていた。いつの間にかなくなっている建物とか、新しく建っている家とかを見ると、懐かしいという気持ちよりも、結構変わってきてるんだなと紫苑はどこか寂しく思えた。いわゆるセンチメンタルというやつだ。
「これが俺の探してる猫だ」
少し陰になっている所で紫苑は立ち止まり、裏葉の猫を映したスマホの画面を蓬に見せる。
ペットショップで見かけるような猫種ではなく、どこからどう見ても雑種である。裏葉が中学生に入った時に引き取った保護猫だ。
「蓬が探してる猫神は、何か見た目とか特徴はわかってたりするのか?」
「何もわかってないよ。でも、見た目がただの猫だとしても、中身は神様だし見たらすぐわかるよ。神気を纏ってるかどうかだから」
「神気?」
「神の気配ってやつかな。基本的に神様か、神様に関係するようなものにしかないものだから」
そういえば霊術士たちが探しているのは、自分と違って猫ではなく神だったなと紫苑は思い出す。あくまで猫の姿をしているというだけで。紫苑では見かけても判断がつかなさそうだ。
そこで前方から毛並みが白黒の猫が歩いてきた。裏葉の猫ではない。
「あいつはどうだ?」
「あの子もただの猫」
白黒の猫は、そのまま紫苑たちの横を何食わぬ顔で通り過ぎていく。
何となしに二人でそれを見送った後、二人は猫がいそうなところを探すために歩き始める。
曲がり角に差し当たったところで、前方から今度は茶トラの猫が歩いてきた。
「あれも裏葉の猫じゃないな……」
「裏葉?」
「裏葉ってのは逃げ出した猫の飼い主だ」
茶トラの猫は紫苑たちの横を通りすぎる際、なんだこいつらと言わんばかりに見上げてきて、そのまま通り過ぎていく。
何となしに揺れる尻尾を見ていると、茶トラの猫はさっきの白黒の猫とは別の方向へと去っていった。
気を取り直して、曲がり角を曲がると前方から三毛猫が歩いてきた。
「いや……」
「どうしたの?」
「やっぱり、いくらなんでも猫、多くないか。こんなすぐ猫を見かけるようなことは、今までなかったような」
三毛猫は二人に気付いたようで、逃げるように今来た道を引き返していった。当然裏葉の猫ではないし、猫神様でもないようで蓬は何も言わなかった。
紫苑がちらりと隣に目を向けると、蓬は左手を口元に添えていた。
「もしかして…………猫神様探しが影響してるのかな?」
「それってどういうことだ?」
「猫神様は神託で『戯れ』って言ってたから。猫神様が色んな猫に紛れるために、他の場所から野良猫をこの町に集めてるのかも」
「……数多くの猫の中から猫の姿をした神様を見つける、か。確かにそう言われたら『戯れ』……ある意味、かくれんぼをやってるようなもんか。だとすると、裏葉の猫が家から逃げ出したのも、猫神様探しの隠れ蓑として招集された可能性があるのか」
木を隠すなら森の中、みたいな。
こうやって猫神様を探すために歩き回ってるのも、神様から人間に与えられた試練ということかもしれないと紫苑は考えた。
望みを叶えてほしければ試練を乗り越えろ、とかそういう感じのやつだ。
猫神様ではなく、ただの逃げ出した飼い猫を探している紫苑からすれば迷惑なことだ。
紫苑が猫神様に良からぬ思いを抱きかけた時、不意にささやかな風が頬をなでる。日向を歩いて、紫苑は顔をしかめた。
やはり太陽の下は暑すぎる。
紫苑が太陽を直視しないように手をかざしながら見上げると、その青い空には雲一つなかった。
実に憎たらしい。
紫苑は隣にいる蓬に目を向ける。
長袖長ズボンという、見てる方も暑苦しくなってくる格好をしている。それにも関わらず、キャップで陰になっている顔を覗いてみても、汗一つかいておらず、まるで暑さを感じさせない涼しい顔で歩いている。
そこで紫苑は気付いてしまった。
「なぁ、蓬」
「ん、何?」
「お前の周りだけ、そこはかとなく涼しい気がするんだけど……」
「ああ、それは……これのおかげかな」
蓬はそう言うと、服の中に手を突っ込み白い紙を引っ張り出した。
……ほんの少しだが肌色が紫苑の目に入る。ドキっとしたが、紫苑の眼は明後日の向こう側に猫がいないかを確認しているのできっとバレてないはずだ。
蓬が紫苑に見せるそれは、当然のように呪符だった。何らかの霊術が発動しているのか、薄っすらと青白く光っている。
呪符には水色のインクで様々な模様が描かれているが、紫苑の目につくのは真ん中に大きく書かれている『冷』という一文字。
これは非常にわかりやすかった。
というか、
「それずるくないか?」
自分は気分的に暑さに焼き殺されているというのに。というか実際水分補給や休憩を挟まなかったら熱中症でやられる暑さだろう。
「同じやつがもう一枚予備用としてあるよ。霊力を充電したら、紫苑でも使えるかも」
「ええ? 充電?」
紫苑の耳にオカルトらしからぬ単語が入ったかと思うと、蓬はポーチの中から全く同じ色と模様の呪符を取り出して霊力を込め始める。
充電ってのは、霊力をため込むことか。確かに充電だな。
呪符を持つ右手自体は青緑色の光に包まれているが、模様と文字に光が触れた途端に水色に変色していく。霊力の色によって術の効果が変わっていくのか、あるいは術の効果によって霊力の色が変化するんだろうか。
「霊力の色はそれを生み出す人、そして使う術式によって、それぞれ色が変わってくる。この青い緑色の霊力は私自身が生み出した色で、呪符の水色は術式に霊力を通した結果の色」
紫苑の視線に気づいたのか蓬が説明を始める。どうやら霊力の色は、術式を通って術に変換される際に色が変化するようだ。
「『火』の霊術なら赤、『水』の霊術なら青。霊術の色は、結果から連想される色に変化するみたい。まぁ、術式を作った人の感性に影響されるけどね」
「つまり、それが水色なのは、『冷たいもの』から連想される色が水色だからっていうことなのか」
「うん、そういうこと。……『冷気起動』」
蓬がそうつぶやくと、呪符は一瞬だけ大きく光った。
今の言葉は呪文というやつだろうか。
「はい、用意できたよ」
紫苑に手渡された呪符は触れた時点でもう冷たかった。
「込めた霊力が全部なくなるまで、術は発動しっぱなしになってるから」
「へぇ、効果が持続するタイプの霊術か」
効果が持続するものなら、霊術士が霊力を込めて霊術の発動さえすれば、自分みたいな一般人の手に渡ってもその恩恵を預かれるようだ。
紫苑はさっきの蓬みたいに呪符を服の中に入れてみる。呪符はそのまま冷蔵庫にくっつく磁石のように服の内側にピタリと張り付いた。冷気はそこから体全体に広がっていき、熱気と日差しで熱くなっていた体を冷やしていく。外にいるというのに、まるで冷房の効いた部屋にいるかのような心地よさだ。
「これは、すごいな」
ただ氷を服の中に突っ込んだだけでは、こうはいかないだろう。体全体が万遍なく冷やされているのは、まさしく不思議パワーの恩恵である。商品化に成功すれば大ヒットすること間違いなしだ。
はしゃぐこちらを見る蓬の顔が、紫苑には心なしか自慢げに見えた。