part2 蓬が探す猫
「持ってる霊装具を全部地面に置いて」
彼女は鋭い目つきで紫苑に突き付けた。
紫苑には聞き覚えのない単語だった。何のことを言ってるんだと言葉が喉の奥から出てきそうになるが、睨むような目を向けてくる彼女の異様な雰囲気がそれを許さなかった。
「早く」
彼女は紫苑を突っつくようにカードを揺らす。紫苑の視線がそれに引き寄せられてしまう。それがまるで突き付けられたナイフの鋭い切っ先のように感じる。紫苑の背筋に、真夏の太陽の下だというのにひやりとした感覚が流れた。
「れ、れいそうぐってなんだよ……」
紫苑は思わずどもってしまった。
「霊術士ならだれでも持ってるはず、だから早く捨てて」
彼女は怪訝そうに眉をひそめる。眉をひそめたいのはこっちのほうだと紫苑は心の中で吐いた。また知らない単語が出てきた。霊術士って霊能力とか占いとかそういうことを行う人のことか? 自分は間違いなくただの一般人だし、ここまで来ると彼女がそういう系のやばいやつに思えてきた。
「その、霊術士ってのが何なのか、俺にはわからない。さっき言ってた霊装具ってやつもそうだ」
紫苑はまさしく恐る恐るといった風に言葉を口に出す。あまり刺激しないようにと心がける。
「……?」
彼女は首を傾げて黙ってしまった。見ようによっては呆けてるような表情のまま、紫苑の足の先から頭のてっぺんまでをじっくりと眺めるように眼を動かした。
その後、はっとしたように眼を見開いて、その端正な顔立ちからは血の気が引き、みるみるうちに青ざめていった。心なしか突き出された凶器のようなカードを持った手も震えている。
さっきまで暑苦しくてうるさかったセミの鳴き声が、紫苑にはどこか遠くに感じた。
紫苑は顔を流れる汗の不快感がはっきりとわかるくらいには、緊張が緩んでいた。何を勘違いしてこんなことをしているのかはわからないが、霊術士や霊装具といった怪しげな単語を聞き流すことはできない。紫苑の好奇心がざわついてきた。
紫苑は深く息を吐いて、張り詰めていた気持ちを落ち着ける。彼女はそれにびくつくように反応した。
「で、霊術士って何だ? 霊装具ってやつもそうだが」
「…………霊術士っていうのは、そのまま霊術を扱う人のこと。霊装具っていうのはそういう人たちが使う道具のこと」
蓬は少し口をもごもごと動かした後、さっきとはまるで違う雰囲気で話し始めた。しょんぼりとしているように見える。表情の変化は大きくはないが、見てすぐ判断できるくらいには感情が顔に出ていた。
ここまで来ると、もう俺のターンだと紫苑は確信した。
「霊術ってのは?」
「……霊力を込めて霊装具を使ったり、呪文を唱えたりすることで、神秘の力を引き出すこと。私も理論とかは詳しく知らないけど……」
「不思議パワーってやつか……」
字面から予想できる通りといったところだろう。霊術と言ったら昔の人間が扱う東洋の不思議な力のことだ。それこそアニメだのゲームだのに出てきそうな単語に思える。類語として魔法、まあ霊術と魔法が具体的にどう違うのかはわからないが。
ただ問題なのは、そういった一般常識として実在しないオカルト的な、まさしく不思議な力のことを真面目に口に出すことであって。
紫苑にさっきとは別の種類の汗が流れる。本当にやばいやつだったのかもしれない。
「……本当に霊術ってやつが実在するのか?」
「うん」
彼女はこくりと頷き聞き取れないほど小さく何かをつぶやくと、右手に持ったカードが昼間でもわかるような淡い光を帯びた。彼女はそれを紫苑とは違う、何もない方に向かって勢いよく投げるように腕を振るう。飛び出したカードは数メートル離れた公園の中心で大きく赤く光った。その赤い光はどこか不思議な模様を映し出しそれを認識した瞬間 ごう と大きな火の球を創り出した。
「うおっ」
紫苑は反射的に顔を庇うように両腕が前に出す。火の光が周囲を照らした。直接火がこちらに届いたわけではないが、降り注ぐ太陽の光よりも確かな熱が感じられた。その熱はどんな言葉よりもはるかに説得力があった。
「ああ、燃やすってそういう……」
訪れることはなかった可能性に、紫苑の背筋は凍りそうになった。ただの脅しでよかった。
霊術なんて不思議パワーがあるなんて紫苑には信じられなかったが、ああもキレイに決定的な証拠というやつを目の前に出されたら信じざるを得ない。
「どう?」
蓬は若干得意げな表情をしている。
「ああ、よくわかったよ……」
間違いなく不思議パワーは実在する。
紫苑はどうしようもなく彼女のことが知りたくなってきていた。
「色々と聞きたいことがあるんだけどさ、とりあえず、俺の名前は紫苑春だ。ただの高校二年生」
「私は蓬早矢。見習い霊術士の高校二年生、かな」
「同学年か。そんで、蓬はなんで俺のことを霊術士だと思って、あんなことをやったんだ?」
「そ、それは猫を探してたからで」
「……霊術士ってやつらは猫を探してるやつのことを言うのか?」
「そうだけど、そうじゃなくて」
やばいやつこと見習い霊術士の蓬早矢は口元を左手で隠し、少しの間思案した後、説明を始めた。
「今、この町には猫の姿をした神様がいる」
「……は?」
――――数日前、霊術士たちの夢の中でその声は響いたらしい。
『最期の戯れを始めよう』
『死に場所を探す猫を、消えゆくわしを見つけた者にはひとつの望みを叶えてやろう』
その言葉の意味を霊術士たちは誤ることなく理解する。決してどこぞの霊術士が発したいたずらではない、真に神なる者、あるいは神に連なる存在が声の主なのだと。それから感じられる力が人間は生み出すことのできない、神性を帯びた力だったからだ。神ならば人が願う望みなど容易く叶えることができるだろう。
その声を聴いた霊術士たちはその猫の姿をした神を探すために動き出す。望みを叶える、という物語ではよくある謳い文句は人間であるなら誰だって食いつくものだ。当然、蓬早矢にも猫の手に縋りたいほど叶えたい望みがある。
霊術士として探すというならと、蓬早矢は探し物を見つけるおまじないをすることにした。これは霊術士の先生だった祖母から教わった、一番最初の霊術だった。普通の紙とペンがあれば他に道具が要らない簡単なものだ。
一度目は失敗した。二度目で失敗の原因がわかった。猫の姿をした神自身がその類いの霊術で見つからないように姿を隠しているようだ。三度目も失敗したが、四度目で部分的に成功した。祖母から教えてもらったとっておきが功を奏した。
猫の姿をした神は、逆町というところに隠れているということがわかった。
きっとそれはまだ、他の霊術士には知られていないはずだと蓬早矢は考えた。
だから誰よりも早く、猫の姿をした神を見つけて願いを叶えてもらおう。
蓬早矢はそう思い、この逆町に来て猫の姿をした神を探している。
――――ということらしい。
「つまり、要約すると猫の姿をした神様が日本のどこかに隠れていて、それを見つけたら何でも願いを叶えてもらえる。それを神様自身が霊術士たちにテレパシーのような形で伝えたと。だから願いを叶えるために霊術士たちは、その猫の姿をした神様を探してるってことか?」
「うん、そういうことかな」
「それで蓬は、猫の姿をした神様がこの逆町の範囲内にいるってことを突き止めて、この町で猫の神様を探していたというわけか」
「うん」
「なるほどな……猫を探してた俺が、霊術士に見えたのはそういうことか……」
「……やっぱり霊術士じゃない?」
「あいにく、全身一般人だ。俺は」
「ご、ごめんなさい」
蓬は頭を下げた。さっきとはまるで違う雰囲気に紫苑は戸惑いすら覚えた。霊装具という物らしいカードを突き付けて、燃やすなどと脅してきた時と違って、今の蓬は勘違いで危うく一般人を燃やしかけた負い目からか、申し訳なさそうに目を伏せている。素直に謝ってくるあたり良いやつかもしれない。きっと自分以外の人が見ても悪いやつだとは思わないだろう。
「俺が探してるのは猫の姿をした神様なんかじゃなくて、友人が飼ってる逃げ出した猫だ」
「そう、なんだ」
「……どうせだったらさ、俺も一緒に探してもいいか? 蓬も猫を探してるんだったら目的の猫は違うが、過程はだいたい同じだろう」
「え、でも」
蓬は一般人を巻き込むのはいけないことだと思ってそうな表情だった。でも紫苑に霊術の存在を教えてしまったのは蓬だ。他の霊術士も猫を探しているというのなら、目的が違うとはいえ同じように猫を探している紫苑が、さっきみたいなことに巻き込まれる可能性もないわけではない。幸いなことに蓬は話の分かる霊術士だったため、紫苑は燃やされずに済んだ。
しかし、なんでも願いが叶えられる、なんて謳い文句に引き寄せられる霊術士が、全員蓬のような良いやつとは限らない。最悪、競争相手を減らすために妨害する、あるいは危害を加えるような荒っぽいやつもいるだろう。そういう意味ではちゃんとした霊術士で、かつ悪いやつではない蓬のそばにいたほうが、自分も安全というわけだ。
もっとも、一番の理由は、霊術についてもっと知りたいという好奇心なわけだが。
「紫苑は、猫探しやめる気はないの?」
「ああ……一人より二人で探した方が効率がいいだろ? それに他の霊術士たちが、この町に猫の神様がいるってことに気付いて集まってくる前に、友達の猫を見つけておいたほうがいいだろ?」
蓬は左手で口元を隠して黙った。何か考え事をする時に、口元に手を当てるのは彼女の癖かもしれない。
セミの鳴き声がうっとうしく感じ始めたころ、蓬は答えが出たのか口を開いた。
「いいよ、一緒に探そう」
ふっ、と緩んだように蓬は笑った。
やったぜ。
紫苑は心の中でガッツポーズをした。
「なら、これから目的の猫が見つかるまで、よろしく蓬」
「うん、よろしくね紫苑」
紫苑が握手をしようと右手を差し出すと、蓬はそれを握り返す。夏の暑さを撥ね除ける、心地のいい冷たい手だった。