季節は巡り時は空転する
遡る事、四八年前――――
「主さまぁ~ッ! 大変です! 大変ッ!」
「どうしました? そんなにも声を荒げたりしてフィーノ」
金髪を左右に揺らしアステラの元へ駆け寄るフィーノ。その胸元には見慣れない茶褐色に薄汚れ、ボロボロになった布の塊が抱かれていた。
「それが……それがですね」
「ゆっくり、落ち着いて話なさい、フィーノ? それは……抱いているのはまさか?」
フィーノに抱かれた布の塊が、彼女の呼吸に合わせるが如く、モゾモゾと小さく動く――。
「あ……赤ちゃん、拾っちゃいました!」
息を切らし懸命に説明するフィーノ。アステラは驚くも戸惑いの表情を浮かべ、フィーノの胸元を注視する。
「ちょっとフィーノ……拾って仕舞ったって。その何処でですか?」
「主さまの土地と外界の丁度、境界の辺りにこのまま居たんですよ! この布にくるまれた状態で!」
「何て事でしょう……こんな事が。どうしましょう……でも理由は然れどここは一旦、この子を保護してあげないといけませんね」
長くスラッとした右手が赤子へと伸びる。
顔付近に寄り添う布をそっと退けると、プックリした愛らしくも健康的な顔が現れた。赤子はスヤスヤと眠り、小さくも懸命に呼吸をする。それは必死に生きて居る証拠か――。
「保護? 主さま、本当に良いのですか? アタシ達が人間を育てても?」
「フィーノ、誰がそんな事を決めましたか? 神様ですか? 廃れた法ですか? それとも? 今、救いの手を差し伸べなければ何れ私達は、きっと後悔の念に苛まれますよ?」
アステラはフィーノへ問う。
優しくも言葉の裏には、ほんの僅かな厳しさを忍ばせて――。
「……いえ、誰もそんな事は決めて無い……です。主さまが良いと言うので在ればアタシ、全力でこの子を守りますし、育てますよ! だって命は……」
「そうですよ、フィーノ。命は儚い……。これはきっと、忘れ去られた私達への使命かもしれません」
「使命……ですか?」
「えぇ、そうです。この子が何れは人間の世界に交わる時がきっと来るでしょう。その時までは、私達がこの子の親代わりとしての責務を果たしましょう」
赤子の頬を何度も何度も擦る長い指。何時しかアステラの顔には笑みが浮かぶ。そんな彼女をフィーノは、不思議そうな表情を浮かべ見つめる。
「ねぇ、主さま、主さまぁ~? 赤ちゃんの名前はどうしますか?」
少しの沈黙がふたりの間に訪れた。
「――そうですね。……ヴォルゲイルと言うのはどうでしょうか?」
「――何か……強そう……ですね」
その名前にフィーノは苦笑した。
■■■
時は少し進み、四三年前――――
「ちょっと! ヴォルゲイルゥゥ~ちゃんと身体を拭きなさぁ~いッ! 毎回、毎回、いい加減にしなさぁぁぁいッ!!」
「ヤダよぉ~だ! 悔しかったらココまでおいでぇ~ッだぁッ!」
全裸で浴室から廊下へと逃げる様に走るヴォルゲイル。それをまた、全裸で慌てて追うフィーノ……。
まるで姉弟の様なふたり。
幼い見た目、小柄なフィーノの身体からして、誰から見てもこのふたりが姉弟では無いと、疑う者は誰ひとりとして居ないだろう。
強いて言えば顔が似て居ない、髪色の違い位だがそれは、些細な事に過ぎない。
「あらあら……ヴォルゲイル、それでは風邪をひいて仕舞いますよ?」
「あっ……ママ~!」
アステラの身体の影に隠れる全裸のヴォルゲイル。
同じく全裸のままのフィーノが迫り来る。
「なぁ~んで同じママなのにアタシの言う事は一切、聞いてくれないのよぉ~ッ! ヴォルゲイルゥ~お夕飯はお野菜しか出しませんからねッ!!」
全裸のまま腰に手を当て強く言うフィーノ。その風貌からは、母親としての威厳が少々欠ける。
「フィーノ、貴女もせめてもう少しは、母親としての接し方が――」
「でもお言葉ですが主さまッ! 育児は、時間は、ヴォルゲイルは待って等、くれないのですよ! 形振り構わず……こうでもしないと何も物事が進みませんッ! それに主さま、ヴォルゲイルにちょっと……いえ、凄く甘過ぎですッ!」
「――うっ。それは……そのぉ。だってぇ……この笑顔を見たら私、怒るに……怒れなぁ――」
アステラは、モジモジしながら口元が緩み、歯切れの悪い言葉がポツリ、ポツリと漏れる。
アステラの影に隠れるヴォルゲイルは、フィーノを嘲笑うかの様にニヤニヤと笑う。
「はぁ……主さまは優し過ぎます! 時には叱る事も愛情の内ですよッ!」
「おこりんぼフィーノォ~ッ!」
「キィィィィ! ヴォルゲイルゥ~!!」
五歳児には、そんな母の気苦労なんて分かる筈もなく、今日もフィーノの罵声が屋敷中に木霊した。
■■■
時は近付き、三二年前――――
「ヴォルゲイル、貴方も随分と大きくなりましたね。私が見上げる程にまで成長して……それに病気ひとつしないで本当に貴方は親孝行者ね。そろそろ外界に出てみますか?」
ある日の食事中、ふとアステラはそう話す。
「……えっ? 母さん、それ本当かい? 今までは敷地から一歩踏み出すだけでも凄い叱るのに……なんで急に?」
料理を頻りに口へと運んでいた手の動きがピタリと止まる。アステラの思いがけない言葉に彼はそう言うと、キョトンとした表情で彼女の目を見つめる。
「ちょっ……!? ぬ……主さま、それはッ!?」
フィーノも突然のアステラの発言に我を忘れ、慌てた口調で声を荒げた。
「えぇ、ヴォルゲイルも一六歳。そろそろ外界の事を知るべき歳だと私は思いますよ。確かに心配ですが何時までもこの地に籠りっきりも良く無いですし」
「お言葉ですが主さま。いきなり外界に……それもひとりで行かせるなんて――」
小さな身体は震え、可愛らしい瞳は愛してやまない息子へと向けられる。
「母さん……俺……」
「大丈夫ですよ、ふたり共。既にお願いはして在りますから。ヴォルゲイル……月に一度、我が家に来る行商の方は覚えていますよね?」
「あ……うん。あの山見たいな大きな身体に眼帯をした……強そうなオッチャンでしょ? 珍しいモノを何時も持って来てくれる――」
「そうです。あの御方には私の方からお話をして在ります。少しは外界の事を知り、それから貴方自身の将来を考えなさい。何時までも母と子、こんな秘境の地で一生を終えるのは勿体無いですよ。ヴォルゲイルには輝かしい将来が在ります」
「主さまぁ~アタシィ……」
急にポロポロと大粒の涙をこぼすフィーノ。そんな彼女の側に歩み寄り、ヴォルゲイルは後ろから優しくフィーノを包み込む。
「大丈夫だよ……母さん。それにまた戻って来るからさ。色々学んで来て、それで沢山、外界の事を教えてあげるからさ。俺、色々知りたいよ。外界の事、他の人間の事、それに母さん達が知らない事だってさ……」
「ヴォルゲイルゥ~」
「もうフィーノったら。出発はまだまだ先ですよ」
■■■
更に時は進み、二二年前――――
「嘘でしょ? ヴォルゲイル……その身体は……右腕はどうしたと言うのですかッ? 一体、何が在ったのですか? 話なさいッ!」
顔面蒼白――。
久しぶりの息子の帰還に歓喜する間も無く、変わり果てたヴォルゲイルの容姿を見るやアステラは取り乱す。
「ん……まぁ……ちょいと下手こいたらこの様だよ。でも腕一本、持って行かれたけど命は在るんだからさぁ……」
「嘘よ……嘘。あぁ……私がいけないんだわ。私が私がヴォルゲイルを外界に行かせたばかりに……。ごめんなさい、ごめんなさい……ヴォルゲイル……駄目な母親でごめんなさい。こんな事ならば一〇年前に行かせなければ――」
「ヴォルゲイル……なんで……なんでこんな酷い目に……アタシ……」
悲観的にも慌てふためく母親を前に当のヴォルゲイルは、あっけらかんとし話を続ける。
「まぁまぁ、そう悲観的にならないでよ、ふたり共。今はこうして俺は元気だしさぁ。でもあの時は正直、死んだと思ったけどね! もう少し左側をやられたら確実に死んでたと思うよ……」
「なっ……ちょっと見せなさい! その右肩を!」
アステラは乱暴にも彼の服を剥ぎ取り、露になった上半身を見て息を飲んだ。
「「――――ッッ!!」」
アステラとフィーノはその腕を見た瞬間、絶句した。
一〇センチ程腕を残し、その先は断ち切られた様に無かった。
ただ、普通では無い事は明白だった。
腕の先端は、刃物で切断されたり、千切られたり、腐敗し崩れ落ちたりした様な傷跡では無い。
残った腕の先端付近は薄紫色をしており、断面はツルリとした平面をし、傷跡と呼べるモノは一切、無かった。
「ヴォルゲイル……貴方まさか……」
「そうだよ、母さん。これは【夜廻り】に喰われた。ちょっと慢心が過ぎたかな? それにオッチャンも殺られたよ……」
「そんな……あれ程、夜は気を付けてと言ったのに……なんで貴方達はそんな事を――。ウウッ……ウッ……」
アステラは、涙をこぼしヴォルゲイルの身体にしがみ着き、すすり泣く――。
「仕方が無かったんだよ。子供達を守る為には必要な犠牲だよ。ちゃんと建物の中には居たんだ……俺達は。でも突然、建物は崩れだし、気が付いたら夜廻りに囲まれてた。俺もオッチャンも無我夢中で子供達を守った。たった二人の……親とはぐれ、路頭に迷った幼いふたつの命――。俺達、ふたりは朝日が早く昇る事を願いながら……守りながら戦ったんだ。でも朝日が昇る少し前、疲労が限界に来たオッチャンは隙を突かれたらそこからは、畳み込まれる様に襲われ、気が付いたら姿は消えていた。その後に俺も右腕を喰われた。不思議と痛みは無かったよ」
ふたりは静かにヴォルゲイルの話に耳を傾けていた。時折、ふたりのすすり泣く声がヴォルゲイルの話し声に交わる。
■■■
ヴォルゲイルが右腕を失い、戻ってから二週間が経った頃――。
「ヴォルゲイルこの義腕を着けてみて頂戴」
アステラは彼に銀色の義腕を差し出した。
彫刻、装飾は一切施されて無く、色が違えど見た目は人間の腕その物――。
「ん……これ、母さんが作ったのか?」
「そうですよ。久しぶりの技巧……しっかりと機能するか心配ですが……どうでしょう?」
途切れた右腕の断面に義腕を重ねる。
すると義腕から吸い付く様に腕に密着した。恐る恐る添えた左手を離しても尚、義腕は重力に任せて落下する事は無かった。
「えっ? 落ち……ない?」
「えぇ、この義腕には私の魔力が宿って居ます。それと微弱ながらも貴方の魔力と生命力を糧として吸着し、各部が駆動します。問題が無ければ生身の頃と大差無い動きが可能な筈です」
カチャカチャ――カチャカチャ――
半信半疑、ヴォルゲイルは右腕に意識を集中させ、右腕が在った時をイメージした。
二の腕、肘、手首、手のひら、指へと、ひとつずつ可動させる様に――そして、生身の時と同様にして容易に可能をさせた。
「凄いですね。流石は私達の息子ですね。自画自賛も甚だしいですが直ぐ様、使いこなして仕舞うなんて――」
「いや……母さんの技術が凄いんだよ。神経が生身じゃ無いのに……でも空気の暖かみ、肌と何ら変わらない感覚があるよ」
銀色に輝く右腕を前方へ突き出し、眺め見る。
その間も指は忙しなく動く。
「ありがとう母さん。大切にするよ。もう無茶はしないから――」
「そうね。約束ですよ。破ったらこの地から出られなくなる呪いでも掛けて仕舞いますよ」
「はははっ。それは勘弁だよ……」
■■■
そして現在――――
ヴォルゲイルがアステラとフィーノの元を訪れてから、ひとつの季節が越えて行った。
あの後、彼が守ろうとした港町は愚か、彼、ヴォルゲイルの安否すら彼女達は知らない。
彼が訪れたのは初夏で在った――。
そして今は秋――。
彼女達の庭園、農園は実りの秋を迎え、色鮮やかに賑わいを見せる。
新たな生命が色付き、収穫の時を待つ――。
依然として、彼女達の敷地の外は、荒廃した大地が広がるのみ。
この敷地へは、ヴォルゲイルが訪れて以来、彼女達の元には誰ひとりとして訪ねて来る者は居なかった。
そして季節は巡り今日もふたり、仲睦まじく過ごす日々を迎える――。
「主さま~先に農園に行きますよぉ~」
「はい。私も直ぐに行きますからね」
そうアステラにフィーノは告げるや小さい歩幅で玄関へと向かう。
金色のドアノブに手を掛け捻ると、扉を外へと押し出して開けた。
キィィィィ――――
甲高い金属の蝶番が音を奏でる。
開いた扉の先から大きな影がフィーノに重なった。
相変わらずの曇天がフィーノの目の前に広がったかの様にも思えた。
それは、みっつの人影だった。
その内のひとつは、とても大きな見慣れた人影だった。
一瞬、ハッとしたフィーノだったが直ぐに彼女の口元は緩むと満面の笑みへと変わり、一言口にした。
「……おかえりなさい」
その口調は少しだけ震えて居る様にも聞こえた。
カチャカチャ――カチャ――――
聞き覚えの在る、馴染み深い軋む金属音――。
「あぁ……ただいま、母さん……」
大きな人影は、優しいゆっくりとした口調で、幸せそうな暖かい声色で在った。
季節は巡り、時には過去を振り返り、時には未来を見据え、それで居て刻々として時は進む。
決して止まる事の無い時間は、悠久の時を紡ぎ、今日も穏やかに過ぎ去って行く――。
「おかえりなさい。愛しの我がヴォルゲイル」
フィーノの母親らしい、慈愛に満ち溢れた笑顔が彼等を優しく包み込む――。
ここまで読んで頂き、ありがとうございました。
元々は短編でしたがこの様な形で投稿をさせて頂きました。