懐かしき来訪者
「よう、フィーノ嬢、ご主人様は居るかい?」
庭先でひとりの男が農作業に行こうとして居たフィーノに話し掛ける。
「あっ! こんにちは、ヴォルゲイルさん! 何時ぶりですかね? 元気そうで何よりです!」
「はっはっはっ! フィーノ嬢も相変わらず元気そうだな! それに今日も可愛いな! それと馬は何時もの宿舎で休ませて貰ってるよ」
フィーノのは嬉しそうに頬を赤らめ微笑むと、メイド服のフワリとしたスカートを靡かせ、小走りで男へと詰め寄った。
男はフィーノが見上げる程に大きく、背丈は優に二〇〇センチは越えそうな高さ。筋骨隆々を絵に描いた様な体躯が小柄なフィーノの前に立派な山の様にして聳え立つ。
その男は使い古した様な大小様々な傷が刻まれた鎧を身に纏って居た。
ただし本来在るべき右腕は、左手に握られて居た――。
「主さまならお家の中に居ますよ。折角だからご案内しますね。……あっ!? 右腕、壊しちゃいましたか?」
「まぁな、ちょいと調子が悪くてね……。すまないね、フィーノ嬢。勝手知ったる他人の家だがズケズケと入るのは流石になぁ……」
「別に良いと思いますよ。ヴォルゲイルさんとは長いお付き合いじゃないですか! 寧ろアタシが幼いヴォルゲイルさんのオシメを替えて居たんですから! それに此所は貴方にとっては実家なんですから」
「ちょっ……何十年前の話だよ、フィーノ嬢。小恥ずかしい事はやめてくれよ……なぁ?」
照れ隠しをするが如く、無精髭を携えた顎を左手の甲で擦りながらヴォルゲイルは苦笑する。
屈強な体躯の持ち主ならざる、それは幼い少年の様にフィーノの瞳には映って居たのだろう。
「四八年前ですよ? 忘れたとは言わせません。アタシだってヴォルゲイルさんの育ての親のひとりなんですからね? 久しぶりにママって言っても良いですよ?」
クスクスと笑いながらフィーノは、からかう様に言うと屋敷に手招きし歩き出す。
屈強だった筈の身体は、何時しか萎縮した様に背中を丸め小さくトボトボとフィーノの後ろを着け歩く。
キィィィ――
玄関の扉が軋む音を奏でる先には、黒のロングドレスと純白のストールを纏ったアステラがニッコリと微笑み、妖艶な唇が開く。
「お帰りなさい。ヴォルゲイル……久しぶりですね」
「あぁ、ただいま……母さん――」
「あれ? 主さま、書斎に居た筈じゃぁ……もしかして、ヴォルゲイルさんが来る事が……」
スタスタとフィーノはアステラの傍らへと小走りに近寄る。
「はい、何となく予感はして居ました。三年振りかしら? 皆さん、元気にして居ますか? ヴォルゲイル」
ゆっくりとした歩みでアステラは、優しい表情を浮かべ、ヴォルゲイルへと近付く。
「あぁ……元気だが今の状況はあまり、良いとは言え無いな……」
「そうですか……それは残念――」
そう言うとヴォルゲイルは、左手に握られた鈍い銀色の右腕をアステラに差し出す。
「……壊れて仕舞いましたか。一日だけ時間を頂戴。明日の朝までには直すから、それまでは……良かったら今日は、泊まっていきなさい。久しぶりの家族水入らず――」
「図々しいかもしれないが最初からそのつもりで来たよ……母さん。でも明日の早い時間には此所を出ないといけない――」
「そう……でも短くとも嬉しいわ。フィーノ、義手の修繕、手伝って貰えるかしら?」
アステラは大切そうに右腕を抱えると、フィーノへそう告げた。
「わかりました! でもその前に、久しぶりだから三人でお茶をしてからにしましょうよ、主さま?」
「そうね。積もる話も在りそうですしね。ヴォルゲイル……?」
その瞬間、ヴォルゲイルの表情が険しくなった。
■■■
「――そう、ゲイニックは独りで魔物を倒せる様になりましたか。人の成長は瞬きの如く、早いものですね」
「ふぇ~! あの赤ちゃんがもう一八歳かぁ。アタシ達も歳を取るワケですね? 主さま?」
ティーカップから小さな桜色の唇が離れるとフィーノは、驚いた様な表情を浮かべそう言った。
「だがまだ完全に独り立ちさせるには、些か心配なんだ。息子は、ゲイニックは優し過ぎる。それが何時か仇にならなきゃ良いんだがね」
アステラでもフィーノでも無く彼の悲しげな瞳は、虚空を見つめる様にぼんやりとした光を宿す。
「そう。でもようやくヴォルゲイルもヒトの親としての気持ちが分かって来たみたいですね。貴方は私達ふたりに何時も心配ばかり掛けて来ましたからね?」
「そう……だな、母さん。この右腕の時なんか……普段から声を荒げる事なんか無い、温厚な母さんから相当に叱られたからな――今となってその気持ち、痛い程に分かるよ」
腕無い右肩を擦るヴォルゲイルの口元が緩み微笑んだ。
「あの時はアタシだってもぉ~何て言うか、そのぉ……生きた心地がしなかったんですからねッ!」
「そう言えばそうだったな。あれ程までに慌てたフィーノ嬢を見たのもあれっきりだったな……はははっ」
「もぉ~笑い事じゃないんですからね!」
顔を赤らめ頬を膨らますフィーノ。どちらが年上が分からない、そんなやり取りをアステラは、優しく見守る様にふたりを見つめる。
「……それでヴォルゲイル、右腕の修繕とその理由をそろそろ話して貰えませんか?」
「一週間前、【大海蛇竜】が三匹、港町を襲って来た。内、二匹は幼体だったから早々に討伐が出来たが残りの一匹に手こずって仕舞って……ご覧の有り様だ――。普段は、遠海で漁をする船が襲われる事は、年に数回は在ったが今回は違う。わざわざ、人の多い港町に現れたんだからな――」
ヴォルゲイルはそう言うとテーブルの角に置かれた、銀色の右腕に視線を移す。
「そうでしたか。やはり、【禍災の大浪】から逃れた海洋生物が、今も我が物顔なのは、相変わらずなのですね。それにしても港町を襲う等、気に掛かりますね」
「あぁ……悔しいが仕方ない。その行動が自然の摂理と言うのならば……。だがこの約二〇〇年と言う長い時間と多くの人達の努力で何とか、元の人が住める様な町になって来たと言うのに……悩みは尽きないモンだよ」
『クッ』と奥歯を噛み締める様に険しい表情のヴォルゲイル。フィーノは席を立ち、スタスタと向かいに座る彼の傍らへと近寄った。
「大丈夫です。何時もヴォルゲイルさんには、アタシ達、それに多くの人達が居るじゃないですか? みんなで力を合わせれば、乗り越えられない事は無いですよ! 主さまだってそう仰いますよ!」
ヴォルゲイルの左手を小さな手のひらが重なり握る。ニッコリと微笑むフィーノに対し、ヴォルゲイルは『フゥー』と一息吐くとフィーノに負けじと笑顔で応えた。
「ありがとう、フィーノ嬢。ちょっと悲観的になって仕舞ったな。だが残る一匹、海から出ている身体だけで優に五〇メートルは在るんだが……どうするよ、フィーノ嬢?」
「ご……五〇メートルゥ? ふ……普通は、大きくても一〇メートル位だった筈……幾ら何でもデカ過ぎじゃ?」
「天敵。それが居なかったこの二〇〇年の結果でしょうね。大海蛇竜の天敵、捕食者、【天空の覇者】で在った飛竜種の絶滅。そして、近海の覇者となった大海蛇竜。必然的に食糧が足りなくなり、人の街を襲う様になった……と、言った所だと推測は出来ますが……」
訝しげなアステラ――。
「母さんの言う通りだと思う。通常の個体ならば然程、苦戦はしないのだが今回ばかりは流石に……。一昨日、町を襲って来たが次は何時来る事やら……」
「今直ぐにでも……と、言いたいのも山々ですが私はこの土地を離れる訳にもいきませんし……申し訳ないですね。あまり力になれなくて」
「それは重々承知して居るよ……母さん。一応、町には腕っぷしの良いヤツ等を待機させている。勿論、住民は皆、安全な場所に避難済みだ」
ヴォルゲイルがそう告げると、少し安堵の表情を浮かべるアステラ。
「事は急を要しますね。では早速、作業に取り掛かります。ヴォルゲイルはゆっくりお休みなさい」
「いや、俺に出来る事が在れば手伝う――」
「いやいや、此所まで少なくとも半日は走り通してきたでしょ? 今、休まないと帰りが大変ですよ?」
フィーノが嗜める様にそう告げた。
「そうですよ。疲労が残ったまま戻っても良い結果は出せません。待機して居る方々が心配なのも分かります。ですが今、貴方がやるべき事は休養です。人の前に立つ者として、周囲に心配させては士気も落ちて仕舞いますよ?」
「はははっ……流石だよ母さん。参ったな。相変わらず母さんには勝てないな。じゃぁお言葉に甘えさせて貰うとするよ!」
「はい。素直な所は相変わらずですね。ヴォルゲイル……」
ヴォルゲイルは、部屋の角に置かれたソファーへと仰向けになる。
何年振りかの景色を目の前に暫くは、ぼんやりと眺めて居たものの流石にここ数日の疲労と、半日もの馬上での疲労が限界に達したのか。
果ては、懐かしの我が家にて安堵したせいか、何時しかヴォルゲイルの意識は遠く夢の世界に誘われた。
「ふふっ。歳を取っても寝顔も相変わらずですね? 主さま!」
「そうですね……フィーノ。愛しの我が子に神の御加護があらんことを――」
ふたりはそう言うと、ヴォルゲイルの義腕をフィーノは大切そうに抱えると部屋を後にした。
■■■
「んっ……久々に良く寝たな。今は何時だ?」
深い眠りから覚めたヴォルゲイルは、身体を起こすと周囲を見渡した。
何時しか部屋の照明は暖かい光を放ち、全ての窓はカーテンで覆われて居た。
「……夜か? ふたりは――」
床に足を着き、徐に部屋を出る。
ヴォルゲイルは、迷いの無い足取りで何処かへと目指し歩く。
コンコン――
とある部屋の扉をヴォルゲイルは叩く。
「はぁ~い」
すると中からフィーノの茶目っ気の在る返事が返って来る。
小さくも走る足音が扉に迫る。
カチャッ――――
「おはようございます! ――って今はもう夜でしたね。良く眠れましたか?」
「あぁ……久しぶりに良く寝たよ。ありがとう」
「それなら良かったです。此方の作業も一段落しましたし、お夕飯にしましょうね」
フィーノは、笑顔でそう言うと、部屋の奥で作業をするアステラにも夕飯にする事を告げた。
「あら? もうそんな時間ですか……。集中するとつい、時間を忘れて仕舞いますね」
照れ臭そうなアステラの声にヴォルゲイルは、「相変わらずだな」と小さく呟いた。
「お夕飯は粗方、準備して在りますから直ぐに食べられますよ。久しぶりのお袋の味、堪能して下さいね!」
「勿論だとも。どんな高級な料理よりも、どんなに腕の良い料理人よりも、フィーノ嬢の飯が俺にとっては最高の飯だよ!」
「あははっ! そうですか! そう言って貰えると育ての親としての冥利に尽きますね! あっ……でもそれだと奥さんに怒られちゃいますよ!」
両手を腰に当てフィーノは、警告するが如くヴォルゲイルの発言を嗜めた。
「はははっ……そうだな。そうだよな。アイツの料理も最高だよ。でも今はフィーノの飯が一番だよ」
「んもぉ~ヴォルゲイルさんたら……」
フィーノは、照れ隠しをする様にヴォルゲイルの左手を掴むと足早に食卓へと走り出した。
引いた手には、僅かな力が籠る。
久々に繋いだお互いの手と手――。
大きくゴツゴツした傷だらけの手のひら。
小さく色白な繊細な幼い手のひら。
何れだけ……ふたりの手のひらは、互いに繋ぎ合ったか――。
懐かしき記憶をフィーノとヴォルゲイルは、互いに思いを馳せながらも歩く。
■■■
「ご馳走様でした。やっぱり最高だよ、フィーノ嬢の飯は! 懐かしの野菜スープ……何回食べても絶品だよ」
「ありがとうございます! 久しぶりだから豪勢にしようかと思いましたがこう言う時だからこそ、食べ馴れたお料理の方が良いですよね?」
「そうだな。変に食べ慣れないモノよりは、思い出の在る料理の方が何よりも有り難いよ」
腹が満たされ、気持ちも満たされたヴォルゲイルは、懐かしみながらも顔に笑みが浮かぶ。
「お野菜が嫌で嫌で仕方が無かった頃のヴォルゲイルが懐かしいですね。あの頃は、色々と手を妬きましたね。それが今では、こんなにも立派な身体に成長し、所帯を持ち、人々の最前に立つだなんて本当、時が経つのは、人の成長は早いですね」
「はははっ! 今日はやけに昔を振り返るな母さん。時間は待ってくれやしないんだから俺が老ける事だって自然の摂理、必然だろ?」
「それもそうですが……ですが久しぶりの再会ですもの懐かしむ事だってして仕舞いますよ」
ほんのりと頬を赤く染め、恥ずかしそうな表情を浮かべるアステラ。
「ねぇヴォルゲイルさん、今回の件が一段落したらみんなを連れて来て下さいよ! 久しぶりにゲイニックくんにもフローラさんにも会いたいですし!」
「あぁ、承知した。無事に終わったら久しぶりに孫の顔を見せてやるよ!」
「んなぁっ! 育ての親ですがアタシ、おばあちゃんはダメですッ! お姉ちゃんでお願いしますよ! ヴォルゲイルさんッ!」
「私はおばあちゃんでも一向に構わないわよ? だって本当の事ですからね。だから諦めなさいフィーノおばあちゃん?」
「きぃ~ッ! 主さまヒドイッッッ!」
「あっははっ! 何処に齢、三〇〇歳を越えるお姉ちゃんが居るんだよ? なぁフィーノおばあちゃん?」
「ぬぁぁぁぁぁッ! ヴォルゲイルさんまでぇ~こんなにも愛くるしい容姿ッ! いや寧ろお嬢ちゃんでしょ? 何処から誰が見てもぉ!」
顔から火が出る程に真っ赤に染め上げたフィーノは、五月蝿くも茶化すふたりに対して罵声の如く、大声で張り上げた。
そんなフィーノをふたりは、幸せそうな笑顔を浮かべ小さく笑う。
夜も深まり屋敷の外からは、毎夜の事ながら何かが歩き、彷徨う足音が響く。
■■■
朝日も顔を出して間もない時――。
アステラとフィーノが大切に愛でる様に育てる作物には、朝露が湿る。
「じゃぁそろそろ行くよ。色々と世話になった。ありがとう母さん達。それじゃぁまた来るからそれまでは元気で――」
「えぇヴォルゲイル、貴方こそ無理な事はしないで下さいね。困った時、私が渡した魔導の巻物を使いなさい。決して、ひとりで全てをやり遂げ様と無茶は絶対にしないで下さいね? 今の私達が貴方達にしてあげられる事はこれ位ですが――」
「あぁ……分かったよ」
「そうですよ! 主さまの言い付けを絶対に守って下さいよッ! ヴォルゲイルさんは昔っから無茶ばかりするんですからねッ!」
「分かってるよ。フィーノ嬢……ふたりにこれ以上は迷惑も心配も掛けられないからな……」
少し照れ臭そうに右手人差し指が鼻の頭を掻く。
義腕が動く度にカチャカチャと静かに音を立てる。
「では、皆さんによろしくね。ヴォルゲイル。遊びに来る事を楽しみにしています。頑張って下さいね」
「頑張って! でも本当に無茶だけはしないで下さいよぉ~! また早く来て下さいねッ!」
ふたりの母親に見送られ、ヴォルゲイルは愛馬の手綱を握り締め、早々とふたりの視界から消えて行った――。
「大丈夫でしょうか? 主さま……アタシにはヴォルゲイルさん、無茶しそうで心配で気が気で無いです」
「そうですね。でも私達が出来る事は、彼をヴォルゲイルを信じて祈る事のみ――。無事を祈り再び、食卓を皆で囲める事を信じて――」
アステラはフィーノにそう告げるや身を返し、屋敷の奥へと消えて行った。
フィーノの視線の先には荒廃した大地が広がるのみ。己が育て愛を育んだ自慢の息子の残影を探す様に一点だけを今も尚、見つめて続けて――。