ようこそ終末世界
今から約二〇〇年前、世界中に押し寄せた、魔力を纏いし邪悪なる浪が全ての生き物達に殺意の牙を剥いた。
後に【禍災の大浪】と呼ばれるそれは、禍々しき魔力を宿した瘴気にも似た、尋常ならざる規模の大浪が全てを呑み込み、浪が去った後には生ける者達の形をした灰だけが残ったのだった。
何故、その様な現象が発生したのかは、二〇〇年経った今でも明確な答え等、分かりはしなかった。自然の摂理か――果ては何者かが意図的に引き起こした現象か――。
幸運にも大浪の驚異を免れた者達も存在したが、それでも被害に在った者達と比べたら極端に少なく、世界の総人口の僅か一握り程度が生き延びただけで在った。
無論、命在るモノ全て……大地に根を張り咲き誇る植物とて無事では済まず、殆んどが世界から姿を消した。文明の利器もあらかた失われたこの世界。
ある日を境に生き物成らざるモノ達が現れ、運良く生き延びた者達へと更なる試練と追い討ちを掛けたので在った。
そんな終末の世界でまた、悠々自適に生きる者達も少なからず居た――。
果たしてその者達はこの先、何を求め、何を目の当たりにするのか……。
これは生き延びた者たちの日常の物語で在る。
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「主さまぁ~? 主さまは、何処へぇ~?」
愛らしい明るい声色の少女の声が木霊する。少し薄暗い廊下には、様々な絵画が等間隔に飾られており、その絵画は何れも色鮮やかに華やかな風景が描かれていた。
様々な場所や季節、筆のタッチ、癖からしてそれらは、同一の作者が描いた事が伺い知れる。
そんな鮮やかな絵画と相反する様に窓の外は、どんよりとした曇天が広がり、日の光は愚か一見すると日の無い夕刻と見間違う程に暗かった。
「もぉ~主さまは、また勝手に屋敷を出て仕舞ったのでしょうか? 外は危険だと言うのにもぉっ……」
少女は困惑した様な表情で両頬をプックリと膨らませ、不機嫌そうにもそう呟いた。
その少女、身体はとても小柄で見る人によっては、年は一〇歳位に見えて仕舞いそうな位に小柄で在った。
「主さま~主さま~! アタシの愛する主さまは何処へぇ~?」
しつこいまでも少女は同じく言葉を繰り返し続ける。それはまるで、単調な動きしか備えられて居ない、からくり人形の様で在った。
「全くもぉ~自由気ままな性格も困りモンですね! 今日はこれからお野菜の収穫をするお約束だったのに――」
少女はふと、窓の外を覗き込む様にして近付いた。外は相変わらずの曇天。しかし、少女の視線の先には様々な植物達が個性を強調するかの様に色鮮やか咲き誇っていた。
曇天と相反する鮮やかなる大地。心無しか、不機嫌で在った少女の口元が緩む。それは、美しい植物を目にし、癒されたからか……。
否、少女の視線の遥か先には、ひとつの細い人影の様なモノがゆっくりと、しゃがんでは立ち上がり、立ち上がっては座り込み……と規則正しく不可思議な動きをしていた。
「――あっ!?」
少女は小さく声をあげると慌て、来た廊下を小走りで戻りだす。肩に掛かる位の金髪を上下に揺らし走る少女。時折、窓の外に視線が移る。それは先程の人影が消えて居ない事を確認する様に――。
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「んもぉ~主さまぁ……先に行くなら行くと言って下さいよぉ! アタシ、必死で屋敷中を隈無く、叫びながら探さして仕舞ったのですよ!」
「……ごめんなさいね、フィーノ。ついつい、やらなきゃと思ったら……気が付いたら此処に」
「全く……主さまのその無自覚、無意識な行動は謹んで下さいと散々、言ってるじゃないですかっ!」
長い、腰に掛かる程に長い黒髪を靡かせ、スレンダーな女性は申し訳なさそうに口を開く。するとフィーノは、腰に両手を当て説教の如く、声を張り上げて女性に物申す。
「あははははっ。本当にごめんなさいね。次は気を付けます」
「もう……それ何百年言ってると思っているんですか?」
「に……二〇〇年?」
女性は苦笑いを浮かべながらにそう答えた。
彼女達の周囲には様々な野菜らしい植物が生い茂る。真っ赤に実る球体。縦長に伸びる緑色の実。三日月の様に反り返る紫色の実……と様々な種類が色鮮やかに実りを告げていた。
「あっ……今日は結構、実ってますね。主さま」
「そうね、フィーノ。此処最近、天気は思わしく無かったけど何れも順調に育っているわね」
世界は禍災の大浪に見舞われ、生きとし生きる者、それは植物とて土壌とて同じ様に命を奪われ消えて行った。
だが彼女達の目の前、強いては周囲からはその様な事が在った等、微塵にも感じられ無かった。
「やっぱり主さまの加護のお陰ですかね?」
「ん~そうかしら? 私はただ、あの時も無意識に屋敷を守ろうとしただけなのよねぇ」
「いえいえ、そのお陰でアタシは今も生き、こうして主さまにお仕えが出来ているんですよっ!」
フィーノは目を輝かせながら女性を一心に見つめ、やや興奮した口調で言った。
「でもねぇ……自分達だけが救われた事は些か、罪悪感が残るものよねぇ」
「しかし……あの規模を全て防ぎ切る何て事は、いくら主さまの腕が凄くても……」
「まぁ……そうよねぇ。確かに我が家だけで精一杯、あの後は大変だったわよねぇ」
女性は赤く実った球体を優しく摘み取りながら、ゆったりとした口調でそう言った。その瞳は少し悲しげなモノで在った。
世界中を襲った未曾有の禍災の大浪。
女性の不可思議な加護によって生き延びた、貴重で尊い、ふたつの命――。