民意に汚染された街 2
「デューイ、君も言葉を選ぶようになったんだな。ニコラス議員の潔白を証明するなんて上手い言い方をしてくれたものだ」
「まぁな、実際その通りかも知れないしな」
「ありがとう。あとは、僕達が調査を怠らなければ大丈夫さ」
アーロン達立ち合いのもと、調査が開始された。
過去の選挙の日付け、有権者の数、手書きの票の実物に至るまで不正が無いか調査をする。
結果、アーロン達の手元にある資料と比較し、不自然な点は見られないとの結論に至った。
満場一致だった票についても、用紙の筆跡や生体認証などあらゆる方面から分析したが、不審点は見られなかった。
「と、いう訳で不正疑惑は役所でも見つかりませんでしたってよ。アーロン。どうする? 」
「そうだね、今回はこれで引き上げかな」
宿に着いたアーロン達は、今日の調査結果を作成し終え、荷物をまとめた。明日にはこの街を出発し、中央でニコラス議員本人に挨拶する予定だからだ。
「それにしても、ニコラス議員は市民から熱烈に支持されているんだね」
「まぁな、俺たちの調査結果以外にも色々と功績を残しているみたいだしな。だって、見ただろアーロン? あんなにも市民に愛されているんだぜ」
「ああ、ニコラス議員のことになると皆んな饒舌になって、褒め始めたね。あの勢いは、むしろちょっと怖いと思ってしまったよ」
「そりゃ、饒舌にもなるさ。ニコラス様のことだからな」
「ははっ。”様”なんて改まった言い方なんかして」
「なんだ、ニコラス様のことを馬鹿にしているのか?」
「いや、馬鹿にはしていないさ。立派だと思うよ。ちょっと議会で見た時は肥満オヤジだと思っていたが、見直したくらいだ」
すると突然、横にいたデューイがアーロンの胸ぐらを掴みかかってきた。
「お前今、ニコラス様のことを悪く言ったな?」
信じられないくらい低い声でデューイが恫喝する。
「デ、デューイ? どうしたんだ!?」
何が起こったか状況がつかめないアーロン。
ただ、目の前にいるデューイの目は厳しく、自分が何かデューイの気分を害する発言をしたことだけは察した。
「デューイ? 落ち着け、何が……」
「俺は、ニコラス様の悪口をいったのか?と聞いている」
なだめるアーロンを気に留める様子もなく、さらに威圧的な態度をとるデューイ。アーロンは恐る恐る返事をした。
「多少皮肉を込めて言ってしまったが……なにかお前の癪に触るようなことを言ったか?」
「やっぱりか。ああ、言ったさ。畏れ多くも肥満オヤジなどとな!」
「そんなこと……お前だって中央で言ってたじゃないか。この街に来た時なんか、オッサン呼びだっただろ。何が気に食わないんだ」
「ま、まさか俺がそんなことを! オッサン? あのニコラス様のことを? ああ、なんてことだ、ニコラス様の悪口を言っていたなんて!」
そういうと今度はアーロンを掴んでいた手を離し、宙を見上げながら早口で何かを呟き始めた。
「俺はなんてことをしたんだ。あの偉大なニコラス様を裏切るなんて。なんて愚かなんだ、いくら……」
「まて、デューイ。どうしたんだ。今度はなんだ?」
デューイは焦点の合わないうつろな目で、独り言を繰り返している。その顔は顔面蒼白で、絶望感に満ちていた。
そして、しばらく呟いた後、「俺はなんて浅はかなんだ。こんな俺に価値はない」などと言いだし、あろうことか壁に頭を打ち付け始めたのである。
「デューイ! 馬鹿やめろ! 何やってる! 」
さすがにこれは異常事態である。アーロンは奇行に走り出したデューイを必死に止めようと、羽交い絞めにした。
「やめろ! デューイ! 」
しかし、相手は軍人だ。すぐに跳ね飛ばされてしまった。その上、さらにデューイの反感を買ったらしく、ありもしない発言を始めた。
「そうか、お前のせいか。お前のせいで俺はニコラス様に無礼を働いたのか」
「俺のせいも何も、君が一人で混乱しているだけじゃないか」
「五月蠅い、お前のせいで! 」
「今日一日で何があったんだ! ニコラス議員に何故そこまで執着を?! もし本当に僕の発言が君を傷つけたなら謝ろう。だがなぜ」
「黙れ! ニコラス様は絶対だ! 」
「まて……! そもそもニコラス"様"ってなんだ。そういやお前、昼間も様って言ってたよな。どうしたんだデューイ」
「黙れ黙れ黙れ!」
「黙れはお前だ! 頭を冷やせ!」
アーロンは思わず、デューイの左頬に向けてストレートに拳を叩きつけた。さすがによろけたデューイ。
「水でも飲んで、落ち着け!」
そう言うと、アーロンは手元にあった水筒をデューイの口に突っ込んだ。
デューイは水を防ぐことが出来なかったらしい。そのまま口に突っ込まれた水を苦しそうに飲み込んだのだった。
◇◇◇
しばらく水を飲むと、なんとか落ち着いたらしい。デューイの顔色が戻ってきた。
「いいストレートだったぜ……」
苦し紛れだが、デューイはそう呟き腫れた左頬をさすっている。いつも通りのデューイに戻り、アーロンは少し安心したように頬を緩めた。
「やっと正気に戻ったね。ちゃんと聞かせてくれ。君は何が癪に触ったんだ? ニコラス様と言って激怒していたが、ニコラス議員を皮肉ったのがいけなかったのか? 」
「まて、俺はそんなことで怒りを?」
「そうだ、悪口を言ったと喚き、奇行に走っていた。よほど影響を受けたとはいえ、そこまでしなくてもいいじゃないか」
「影響? 俺はあのオッサンにこれっぽっちも影響なんてされていない」
「しかし、さっきまで”ニコラス様”の悪口を言った自分に、絶望していたじゃないか。よほど感銘を受けたんだろう?」
「そんな訳ない。俺があんなオッサンを擁護するわけがない」
「おかしいな。さっきまでの君の言動が一致していないじゃないか」
どうやら、デューイとアーロンの認識には齟齬があるらしい。
そして、2人が話し合う中で、不思議なことが発覚した。
なんと、デューイはアーロンに対して怒った記憶はあるものの、何に怒っていたかは記憶が曖昧らしい。
「そもそも、俺が何故ニコラスのオッサンを絶賛していたかって話だな。特になんとも思っていなかったのに、勝手に言動に現れた。いや、あの時はそれが正しいと思い込んでていた節がある」
「ニコラス議員が偉大だと勝手に思っていたんだね。ちなみに、記憶が曖昧なのはいつから?」
「日中、役所に投票記録を確認しに行った辺りからだな」
「あの時か。そういえばあの時もニコラス様呼びをしていたね。フォローしてくれたと思っていたんだが、既にあの辺りから君の様子がおかしかったんだね」
「ああ、こう頭に靄がかかる感じだな」
「で、気づいたらニコラス議員を褒めていたと」
「そういうことになるな」
「でも何故君だけそんなことに?」
そこで、ふとアーロンはデューイの今までの行動を振り返ってみた。すると、ずっと共に行動をしていた2人だが……一つだけ違う点があったのを思い出した。
「ふぅん。なるほどね、そういうことか。……なんだか僕は嫌な予感がしてきたよ」
「という割には、すっげぇ嬉しそうな顔してるぞアーロン」
アーロンは直ぐに目星がついたらしい。
そもそも、不思議だったのだ。ニコラス議員を絶賛する割には、市民の生活が困窮している。さらには、街の外と内でのニコラス議員の評価に矛盾が生じている。そういった謎が複数存在しているにも関わらず、誰も指摘してこない環境。
久々の遂行しがいのある任務に直面し、アーロンは思わず満遍の笑みを浮かべた。
「証拠を集めよう」