14.3_退職
沢渡が置いていったタブレットでたまった書類をチェックしていると、画面に突然血相を変えたリアムが現れた。
「レイを止めて、ミナト!」
「唐突にどうしたんだ、リアム」
リアムはとても慌てた様子で、レイがボストンへ帰りたがっていると話す。
『ミナトだって、このまま離れたくないでしょ?』
画面の向こうで藍野に期待した表情をしているリアムに藍野は、
『レイが帰ると決めたのなら、俺には止められないよ……』
と、藍野は残念そうに答えた。
引き止めるも何も、レイがそうしたいならすればいいと思っていた。
それでもこんな風に誰かからではなく、先に相談してくれればもっと素直に送り出してやれたと思う。
(俺、レイの気持ちがわからなくなったよ……)
昨日までのレイは普段と変わりなかった。
シアと共に藍野を見舞い、三人で話し、カフェテリアからの夕飯を食べた。
家族みたいだとあんなに楽しそうにしていたのに。
『絶対ダメだよ! お願い! レイを止め……』
藍野は無言でぷっつりとタブレットのネットワークを切ったら、スマホが鳴って枕の下に入れた。
メッセージも着信も鳴りっぱなしなるので、とうとうスマホを電源ごと切ったらようやく鳴りやみ、はあ、とため息をついた。
(もう、辞めようか……)
ばふんと布団をひっかぶり、手足を縮めてサイズの合わないベットで小さくなる。
紅谷も助けられず、レイも帰る事を決めた。
シアだって養子先が決まれば自分は用済みだ。
自分を必要としてくれる人はもういない。
(この案件がクローズしたら、辞めよう)
もうほとんどする事はなく、書類仕事が残っている程度だ。
それほど時間もかからず辞められるだろう。
布団をはねのけてがばりと起き上がると、傷口が引き攣る。
痛みに顔をしかめつつ、制服に着替えると、42階の自分のデスクに向かう。
午前中の時間帯のせいか、幸い2課を始め、見知った者たちは現場なのだろう。
フロアにはぽつりぽつりと座っている者がいるくらい。
デスクのPCで藍野は日付だけを入れない退職届を作成して、部長室に向かった。
※ ※ ※
藍野は3度ノックして、ドアを開けた。
今日の黒崎は珍しく窓際に立って外を眺めていた。
「黒崎部長、今、お時間少しよろしいですか?」
「構わんが、突然どうした?」
呼び出し以外は大抵アポを入れる藍野にしては珍しいと黒崎は思いながら、席についた。
「本案件クローズ後、私は退職します」
言うと藍野は内ポケットから退職届の入った封筒を取り出して、黒崎のデスクに置いた。
黒崎は手に取り、封筒から退職届を取り出して広げると、日付が入っていなかった。
藍野がこの場で日付を決めるつもりなのだということを察し、黒崎は退職届を藍野の前にぱさりと置いて、デスクから藍野を見上げる。
「シアやレイを放り出して、お前は逃げるのか?」
藍野は怯みもせず、じっと黒崎を見返した。
「シアはじきに引き取り先が決まりますし、レイは研究所に戻ります。私のやれる事はもうありません」
「お前は辞めてどうするつもりだ? 紅谷の元にでも駆けつけるのか?」
「わかりません……何も決めてはいないので」
そっと目を伏せて首を振る藍野に、黒崎はひとつため息をつき、話す。
「詩織様はシャーロット様を訪問されたあの日、どうしたらHRFの役員になれるかシャーロット様に尋ねたそうだ」
ああ、確か自分達を排して、詩織とシャーロットの二人だけで話したあの日の事かと思い出す。
「それと私の退職に何の関係があるのですか?」
「いつかお前が困った時、高坂の娘ではなく、グループの高坂詩織として助ける力を持ちたい、それが自分の愛し方だ、詩織様はそうシャーロット様に言ったそうだ」
「そんな事……。私が望んだことでありませんよ。知っていれば止めました」
無表情のまま、藍野は答える。
「私が聞きたいのはそんな言葉ではない。これがお前の『答え』なのか、と聞いているんだ!!」
強い口調で黒崎が言うと、ゆっくりと立ち上がり、退職届を指差して問う。
「詩織様はお前の為にグループで力を持ちたいと進路を変えた。紅谷は私達を敵に回しても家族を守ると中国へ渡った。お前はレイもシアも放り出して、何を選択する? お前は二人にどう答えるんだ、言ってみろ!!」
黒崎は声を荒げて藍野につかみかかり、睨み付けると、藍野は表情を歪めて、無言で顔を背けた。
「言えないだろう、お前は逃げ出すのだから。もういい。後はこちらで引き受ける。どこへなりとも好きにしろ!」
黒崎はつかんだ襟を突き放し、藍野は少しよろめいて、悄然としたまま部長室を出た。




