14.1_負傷
杜山や紫藤によって社内のクリニックに藍野が担ぎこまれて早5日。
出血は多かったが、幸いにして応急手当も早かったため、それほどひどい事にはならずに済んだ。
ベットの上だが、マットレスごと起こせば会話もできるし、食事も自力で取れていて回復も順調との事だったが。
「痛いですー綾音先生ー。痛み止め下さいよー。あとベッドちっちゃくてツラいです」
藍野はぴょっこりとベット柵から飛び出た足を左右に振った。
まるでおはようと言ってるようなひょっこり具合だ。
「ベットはこれしかないのよ。自宅療養まで我慢しなさい。しかし、もう泣き言とは情けないわね。シアはちゃんと我慢したわよ」
能條はため息をつき、布団とガーゼをひっぺがして傷口をチェックし、カルテの薬剤投与状況をチェックする。
「傷口は順調ね。痛み止めは2時間後よ」
能條は渚澤に痛み止めの指示を出しながら、カートから薬剤を取り出してピンセットでつまんだ脱脂綿で薬を塗り付けて新しいガーゼに交換し、元通りに病衣を着せられて布団をかけられた。
「痛がる暇があるなら、シアの相手でもしなさい。その方が気もまぎれるでしょ」
能條はシアを抱えて藍野のベットに乗せた。
『痛い? ミナト痛いの?』
拙いながらも習いたての英単語を並べて、シアは藍野の頭を撫でた。
渚澤にされた“痛いの痛いの飛んでいけ―”の真似事らしく、撫でると痛くなくなると本気で思っているらしい。
「うっ。俺に優しいのはシアだけだよ。ありがとなぁ~~」
藍野の頭を撫でる小さな手を握り返して、お返しにシアを撫でてやっていると、能條の影からにゅっと沢渡は顔を出し、藍野のデスクから取ってきたタブレットをベット用のテーブルに置いた。
「俺も優しいですよ、藍野さん。報告書は俺が作成して、後始末は紫藤達が全部したんですから。後でサイン入れてくださいよ」
藍野がタブレットを手に取り、沢渡はいくつか書類の名称を言う。
タップして開き、スワイプでめくっていくつかを確認する。
寝込んでしまっている間に結構な数の書類の山が出来上がっていた。
多分沢渡が依頼して調整してくれたのだろう。
最終作成者には沢渡を始め、杜山や柴田、紫藤の名前が並んでいた。
「あー。沢渡が天使に見えるよ。愛してる」
藍野のリップサービスに沢渡は嫌そうな顔で返す。
「それ、男から言われたって全然嬉しくないですよ。礼なら紫藤や杜山にも言ってください。あいつらものすごく心配してましたよ」
特に紫藤は8割泣きだったらしい。
らしいといえばらしいが、紫藤だって強襲強行のライセンスを希望していたはず。
藍野の手を離れるのはもう少し先になりそうだ。
「あー、了解。復帰したら全員まとめて飯でも酒でもなんでも奢ってやるよ」
ザルの沢渡に大食らいの氷室、味と質と雰囲気にこだわる柴田が入れば、お支払いは5桁どころか6桁コースかもしれないと藍野はちょっぴり震えた。
※ ※ ※
沢渡と能條を見送り、ベットの上でシアの遊び相手をしていると、開け放した扉をノックして黒崎がやってきた。
「よう。藍野。腹に穴を開けた割には元気そうだな」
「おかげさまで。それなりに痛いですよ」
黒崎を見るとシアはぴょんとベットから飛び降りて、小さく藍野に手を振って、自分の部屋に戻る。
ドアが閉まる間際まで、藍野も手を振り返してやる。
「ちょうどいい機会だ。今回の警察対応は、ほかの連中に任せろよ」
黒崎はそう言いながら、近くにあった丸椅子を引き寄せて腰かける。
「そうですね。これじゃあどうにもなりませんし、余計な疑いをかけられるだけですからね」
藍野は、たははと苦笑いし、病衣をめくってガーゼを当てられた自分の右脇腹を覗き見る。
9ミリパラベラム一発が貫通。
奇跡的に骨も傷つけず、適切な応急処置のおかげでシアよりもずっと軽傷で済んだ。
だが、いくら弁護士同席とはいえ、これでは信用しろは無理がある。
「これに懲りたら二度と無茶はするな。次にレイを泣かせたら容赦はせんぞ」
クリニックに担ぎ込まれた藍野を見て、一番ショックを受けたのはレイだった。
護衛に怪我は想定内の事だし、そもそも藍野が勝手に紅谷に会って撃たれたのだから、別にレイのせいではないと黒崎が言っても、自分のせいでこうなったのだと随分自分を責めて、泣きながら目が覚めるまではとずっと付き添ってくれていたらしい。
目が覚めてからも退勤するとまっすぐ顔を出しに来る。
おかげでチームから「警護が簡単になるから、ずっと寝ててください」と言われる始末だ。
「おやおや、お義兄様。いつの間にレイとそんな関係になったのですか?」と、ニヤニヤと藍野が軽口を叩けば、
「私もこんな馬鹿な男が義弟などとは遠慮したいが、それが本人の希望なのだから、仕方あるまい」
と憮然とした様子で黒崎は返し、ほんの一瞬だけ、二人の間に大学時代のような気安い空気が漂った。
その空気感のままで、藍野は真摯に尋ねる。
「黒崎先輩……。何とかして紅谷を戻す方法はありませんか?」
黒崎は途端に厳しい表情に変えた。
「お前はまだそんな寝ぼけた事を言っているのか! お前が撃たれたんだぞ?」
呆れるよりも怒りを多分に含んだ黒崎の声音で和らいだ空気は吹っ飛んだ。
だが、藍野も釣られるように大きな声で反論する。
「紅谷が撃ちたくて撃った訳ではありません。仕方なかったんです。そこに酌量の余地はないのですか!」
「ない。そもそも紅谷はそれほど追い詰められる前に相談していればこんな事にはならなかった筈だ。今回の事態は紅谷の招いた事で、アイツが責任を取るべき事だ」
違うか? と問われれば、藍野は否定はできなかった。
「それでも……俺は紅谷を家族ごと救いたいんです!!」
藍野は縋るような目で黒崎を見上げたが、黒崎は冷たく答えた。
「勝手にしろ。だがな、たとえ紅谷が戻ってきても、俺がトップのうちは紅谷の居場所はない。俺はお前を撃った紅谷を絶対に許さん。救いたければお前が俺を追い落とせ!」
黒崎は立ち上がると藍野の右肩を引き寄せて、耳元で囁いた。
――そうなれば、日本支部の人事はお前の好きにできるぞ。
黒崎はそのまま振り向きもせず、出ていくと、足元でキラリと何か光るものに気がついた。
近づいて拾い上げると、それは黒崎がクリスマスプレゼントにと贈ったレイのピアスだった。
今の話を聞かれてしまったかもしれないとひとつため息をつき、ピアスをハンカチに挟み込んでポケットにしまうと一旦自席へ戻り、予定を少し調整してからレイのいる宿泊棟に向かった。




