11.2_面会
藍野が見つけた男の子は手術を終え、3日後にヘリで横浜ビルに移された。
藍野の予測通り跳弾した弾丸で初速も落ち、たまたま丈夫なクローゼットの扉で更に速度が落ちていたのに加え、動脈を傷つけなかったことが幸いし、出血は多かったものの奇跡的に命を取り留めることができた。
と、言っても重傷なことには変わりはないし、手術をしたばかり。
渚澤や能條が交代で泊まり込み、看病をしていた。
そして4日目、ようやく能條から話をする許可をもらい、様子を見に行きがてら紅谷の話を聞きに行こうと、藍野は隣の紫藤に声をかけた。
「悪い、紫藤。あの子の通訳頼む」
頼まれた紫藤はきょとんとしている。
「先輩。僕、広東語ですよ? 国内なら北京語じゃないですか?」
スマホでも使った方が簡単で確実ですよ、と紫藤にも言われたが、藍野は却下した。
「それって日本語における東京弁と津軽弁程度の違いでしょ。文法ごと違う訳じゃあるまいし」
「先輩だって津軽弁わかんないでしょ。僕だって北京語ペラペラって訳じゃないんです」
紫藤は日本の方言に例える藍野に目眩を覚える。
「しょっぱなから機械翻訳より、多少なりとも聞き覚えのある言葉の方がいいだろって意味だよ。いいから私服に着替えてクリニックに来い!」
藍野は席を立ち、紫藤を促す。
今日も冷蔵庫にレイの作ったサラダだかマリネだかが鎮座していたが、さすがにまだ固形物は早いかと諦め、カフェテリアからプリンとヨーグルトを多めに買って、クリニックに向かった。
※ ※ ※
男の子の面会前に渚澤にプリンを預け、まず能條に会い、病状と諸注意を藍野は受けた。
藍野は診察室に入り、丸椅子に座る。
「まずケガの説明ね。出血は酷かったけど、あんたの見立て通り、弾丸の威力がだいぶ落ちてたのね。あんな小さな体でも貫通しなかったみたい」
能條はボールペンで指しながら、ケガした部分を説明する。
「弾は2発で一発はお腹……ここと、腕は貫通してるわ。こっちね。取り出した弾はあんたに渡しとくわ」
能條は小さなガラス瓶に入った弾丸を藍野に渡すと、透明な瓶越しに観察する。
「9ミリのパラ(ベラム)か。これだけじゃあな……」
藍野は悩まし気に小瓶を透かした。
日本はともかく、9ミリパラベラム弾は銃を売ってる国なら簡単に手に入る、ごく一般的な弾丸だ。
これ自体が紅谷や犯人につながるようなことはないだろう。
能條はレントゲン用のモニターに腹部のレントゲンを表示して説明をする。
「ケガは大体1か月から2か月ってとこかしら。骨折もしてないし、大きな血管も神経も傷つかなかったから。ほんとに奇跡よ。神様っているのかもね」
それでも内蔵の一部を傷つけたのだから、もうしばらくは安静が必要だと能條は説明した。
「それで、あの子はどうするの? 日本だと届出が必要だけど」
モニターからカルテやレントゲンを消すと、能條は藍野に向き直った。
「あの子の存在は今のところ、HRFしか知りません。少し様子を見させてください。部長の許可はもらいました」
実際、松井刑事が来るより、沢渡と救急車が早く、藍野がそのまま救急車に同乗して座間キャンプに向かった。
クローゼットには男の子の血もあったろうが、証言の時、藍野は聞かれなかったから、松井がとうにかしてくれたのだろう。
「OK、方針決まったら教えなさいよ。今からあの子と話すんでしょう? 30分だけよ。時間厳守ね」
「はい。わかってます。もうすぐ年末なのに、引き受けてくれてありがとうございます、綾音先生」
藍野はぺこりとおじきして、椅子から立ち上がる。
「謝意はいずれ形で示してちょうだい。ほーら行った、行った!」
藍野はまたもやしっしっと能條に追いだされた。
※ ※ ※
藍野が能條との話を終えた頃、紫藤も私服に着替えてクリニックにやってきた。
二人は連れ立って、ノックをして病室に入る。
病室では渚澤が男の子の相手をしつつ、上半身を起こして、一緒に差し入れたプリンを食べていた。
左上腕はケガに巻かれた包帯が痛々しく、右腕には点滴がつながれて、こちらも包帯で固定されていた。
傍らにはスマホが転がっており、渚澤と男の子はこれで意思疎通を図っているようだった。
「じゃあ私、席外しますね。終わったら声かけてください!」
渚澤はひらひらと男の子に手を振って、ドアを閉めた。
渚澤が離れた途端に男の子は不安そうな表情をし、藍野達を見上げる。
藍野は手近にあった丸椅子を引き寄せて座ると、目線を下げてにっこりと笑い、話してやる。
『こんにちは。俺はミナト、こっちはハルト。君の名前、教えてくれるかな?』
紫藤は始め広東語で言ったようだが、やはり通じなかったらしく、北京語で言い直した。
聞きなれた北京語に安堵したのか、男の子には少しだけ表情に明るさが差した。
『なまえ、ごじゅうはちばん……』
幼い声で男の子は答える。
「58番って。名前が番号って……」
どういうことかと、紫藤は理解できないまま翻訳する。
「そうか。あのね、ここは病院。君は怪我してたから連れて来たんだ。自分のおうちは言えるかな?」
あの惨状だ。
何があったか覚えてるかなど、かわいそうでとても藍野には聞けなかった。
『ずっとあそこにいた。いつもみんないた。みんなどこ?』
男の子は不安気な表情のまま聞くが、正直に答えてやれない藍野はごまかして返す。
『そっか。わかった。みんなを探そうな。どこか痛いところや困ってることはない?』
『痛……くない……』
「痛くないって……そんな訳ないのに」
唇を引き結んで、男の子は無表情で答えてるのに、紫藤の方が余程泣きそうな顔で翻訳する。
「痛いって言ったら怒られでもしたのかな。そっか。我慢できてえらいぞ」
何気なく藍野は手を上げて頭を撫でようとしたが、手を上げた藍野の姿に男の子はびくついて怯え、小さく震える。
その姿に愕然として、藍野は手を引っ込め、心底怒りを覚えた。
こんな風に名前も付けず、気に食わなければ手を上げられ、痛いということさえ口にできなかった環境を思うと、この子が不憫でならなかった。
「こんな小さい子に、何てことするんですか!!」
涙目だった紫藤も同じように憤慨していた。
「ああ、そうだな。だけど怒りはもう少しだけ引っ込めてくれ。この子が怯える」
藍野に言われて、紫藤は笑うが大分ひくついていた。
「あのね、君に聞きたいことがあるんだ。この男の人を見たことあるかな?」
藍野はスマホで紅谷の映像や写真をいくつか見せると、男の子はこくんと首を縦に振った。
『みた……。すぐいなくなった』
「先輩! この子紅谷さんを見たことあるって、すぐいなくなったって!」
紫藤は藍野に振り返り、勢い込んで言った。
「画像検索の結果とリストを合わせて追えば、大分絞れるかも。ありがとう」
やっぱり頭を撫でようとついつい手を出しそうになり、もぞもぞしてしまう。
「えっと……謝謝!」
男の子はようやくふんわりと笑った。




