10.5_捜索
紅谷のファイルはゴンドの調査と博士襲撃の犯人を追っていた黒崎には有益と判断され、犯人追跡と名称を変え、藍野はそのついでに紅谷の行方を捜す許可を得て、正式に調査許可が下り、予算も使えるようになった。
水谷がゴンドの方を当たる間、藍野は紅谷のファイルにあったリストを元に、近場から順番に当たっている。
(さて、次はここか……)
腰に手を当てて、ジーンズにダウン姿の藍野は目の前の建物を見上げる。
横浜市中区本牧、ふ頭にも近い、5階建てで藍野よりも年上そうな古めの雑居ビル。
人気がないのか、ゴンドが2フロア借りているだけで、他は空室のようだった。
藍野は一人の若い男に連れられて階段を上がり、空室の2階へ上がる。
「いやー、この古さでエレベーターもないでしょ? なかなか借り手がつかなくて。借りてくれるなら、2月までフリーレントもお付けしますので、ぜひお願いしますよ。南本牧インターも近いから、運送業には1階、超お勧めですよ!」
にこにこと営業スマイルを浮かべ、若い男は空室を埋めようと必死に営業してくる。
運送屋で車の置ける賃貸を探している、空室を見せて欲しいと言ったのだが、借りないのが少々心苦しいくらいの売り込み方だ。
「良さそうなところですね。3階と4階は何をなさってる会社さんですか?」
藍野は窓から外を眺め、それらしく見えるよう適当に振る舞いつつ、探りを入れる。
「ええと、3階は確か……4階は防犯グッズのネットショップの事務所、3階はグッズの倉庫にしていると聞いてますよ」
「防犯グッズですか。近頃物騒ですからね。路面に事務所はやっぱり危ないかな……」
テロリストだろうと暴徒だろうと身一つで臆せず立ち向かう男は、精一杯の気弱なフリで心配そうに窓から一階を見下ろして見せる。
「いえいえ。ネットショップの親会社が警備会社とかで、人の出入りも頻繁にありますよ。安全面もバッチリです!」
あはは、と呑気に笑って物件を勧め、藍野も愛想笑いで応える。
「これ他の階のカギです。お預けしますんで、別の階もゆっくり見てってください。複数階契約なら家賃とか礼金、頑張らせてもらいますよ!」
若い男は藍野に他のフロアの鍵をまとめて渡し、「それじゃあ、ごゆっくり」と立ち去ろうとすると、入れ替わりに杜山がやってきた。
若い男はぺこりと杜山に頭を下げ、気にする様子もなく、ビルを出ていった。
2階の窓から男が出て行ったのを確認すると、二人はポケットから無線のイヤホンマイクを取り出して身に着け、3階に向かった。
「じゃあ、ゆっくり見せていただきますか!」
「もぅ……。1課の僕がなんでこんなコソ泥みたいなこと……」
杜山は不満そうに周囲に視線をめぐらし、カメラやセンサー類がない事を確認して、ごそごそとボディバッグからピッキング道具を取り出した。
「部長命令でしょ。博士襲撃犯の捜索。俺、4階見てくるから、3階ヨロシク~~」
杜山にひらひらと手を振って藍野は更に上の4階に上がった。
※ ※ ※
杜山と別れて、藍野は4階のフロア入口に来た。
古いビルで、幸いドアも古いタイプ。
4課なら難しくはないのだろうなと思いながら、一応左右と天井にカメラらしきものはないことを確認してから、いそいそと水谷経由で借りた道具を取り出して、鍵穴に突っ込んだ。
(ええと、これを差して、コイツで押さえて……、差し込んで開ける!)
いささか乱暴にかちゃかちゃと音を言わせたかと思うと、かちゃんと鍵の開く音がした。
「お! 開いた!!」
特訓の成果を思わず口に出し、慌てて口を閉じた。
(いかんいかん、紅谷捜索、紅谷捜索っと)
そっとドアを開けて忍びこむと、途端にうっすら鉄臭い匂いがして、鼻を刺激する。
(何これ。血の匂い?)
藍野は顔をしかめながら、部屋をざっと眺めた。
事務用の机や椅子、パソコンのモニターに複合機など、どこにでもある至って普通の事務所。
どこからこの匂いはするのか、匂いを辿ると壁に当たった。
(壁? な訳ないな。2階だってもっと広いフロアだぞ)
パーテーションで仕切ってあるにしても、見渡した限りドアが見当たらない。
コンコンと壁をノックしてみると、やはり壁ではなく、空洞音がする。
壁際にはロッカーや書類棚、本棚などが整然と並べられており、ごく一部しか壁が見えない。
「藍野先輩、あっちは本当に倉庫みたいで、特に変わったものはありませんでしたよ。この部屋なんか血のにおいしません?」
杜山も匂いに気がついたのか、顔をしかめた。
「了解。この向こう側にも部屋があるっぽいんだけど……今、入口探してる」
杜山も加わりあちこち壁を探って視線を下に下ろすと、隙間から漏れ出したのか、小さな血だまりが目に入った。
ぎょっとした藍野は杜山を押しとどめながら、踏まないよう、慌てて足をひっこめた。
「先輩……これ……」
杜山も驚いて、足をひっこめる。
藍野の脳裏には紅谷の資料にあった『間に合うなら助けてやって欲しい』の一文が浮かんだ。
(こんな住宅街の真ん中で? まさか!)
藍野には歓迎すべきでない展開が頭に浮かんだが、どちらにしても怪我人がいることは確か。
二人は入口を丹念に探し、ロッカーの裏側に引き戸の入口があるのを発見した。
藍野が引き戸を開けると、吐き気がするほどのむっとした濃い血の匂いがした。
身をかがめて戸口をくぐると、目を覆わんばかりの凄惨な状況が広がっていて、棒立ちになった。
「先輩、立ち止まらない……」
同じく部屋に入った杜山も絶句した。
上は20歳過ぎ、下は中学生くらいのさまざまな体格の男女が5人ほど、夥しい血を流して折り重なり倒れている。
はっとして藍野は血を踏まないよう近寄り、何人かの首筋に手を当てた。
「ダメか……」
杜山も別の者の脈を診たが、首を振った。
遺体は冷え切っており、すべて銃で撃たれた傷があった。
胸に頭に、まるで乱射事件でもあったような有様だ。
藍野は改めて室内に視線をめぐらせた。
まるで入院施設のように6台のベットが並び、クローゼットが置かれ、小さなキッチンに家庭用の冷蔵庫があった。
あんな風に引き戸をふさいでいたなら、彼らは閉じ込められ、ろくな扱いを受けていない事は想像に容易い。
「これ……紫藤連れてこなくて正解ですね。こんなひどい状況なんて……」
強襲強行ライセンス用に見せられた戦場映像並みのおぞましい状況に、杜山も眉をひそめた。
「一人足りないな。元々5人なのかな?」
藍野はベットの数と遺体の数が合わないと言うと、杜山はベットをざっと確認し「ベッドは使われた形跡がありますね。どこかに連れ出されたんでしょうか?」と答えた。
「とにかく……これは松井さん呼ばないとだな」
藍野はHRF御用刑事の名をあげた。
警視庁捜査一課松井孝弘警部補、HRF日本支部の銃の所持やピッキングに不法侵入、そういった事を目こぼしして、代わりにこう言った事件や警察の内部情報に協力をしてくれる人物である。
50代で小太り、白髪交じりの短髪に、一見すると温厚そうだが眼光鋭い、いかにも捜査畑の刑事ですという風貌だ。
いつも年季の入ったスーツ姿と、すり減り気味の革靴で、藍野はそれなりに、杜山はそれほどでもない付き合いがある。
松井刑事の大本はどこかの管理官だか理事官とつながり、その先にHRFの本社がつながるらしいが、詳細は藍野達も知らない。
世の中には知らない方がいい事もある。
藍野は無線で沢渡を呼んだ。
「沢渡、警視庁の松井さんに捜査一課案件だって伝えて、銃で撃たれて5人亡くなってる」
「了解です。松井さんに伝えときます」
沢渡が了承を伝え、藍野達もほっと一息つき、本題の紅谷につながりそうな証拠捜しを始める。
不意にかたり、とごく小さな物音がして、二人は顔を見合わせた。
「まずいですね。松井さん、今呼んだばかりなのに」
ちらりと腕時計を見て、杜山は言った。
ここから本庁では30分はかかる。
こんな所でゴンドともみ合いになれば、松井だって庇い立ては難しい。
二人は部屋の入口からそっとフロアの入口を窺う。
「戻ってくるとは考えにくいけど、入ってきたら落とせ」
暗に殺すなと杜山に命じ、外へ見に行かせた。
「了解」
するりと杜山は入口を抜け出て様子を見に行った。
一方藍野は振り返り、部屋の確認を急ぐ。
(ひどい事するよ。まったく)
藍野はクローゼットの前に立つ。
5人分の割に小さく、あまり衣服も入らないようなサイズが2つ。
木製だが丈夫そうな扉が跳弾でもしたのか、何か所か穴が開いている。
藍野は扉に手をかけて開けると、ハンガーだけがかけられており、洋服は小山になって押し込まれていた。
(昔、こういうところに猫を隠して怒られたっけ)
子供時代を思い出して、藍野は苦笑する。
藍野の家は母親が喫茶店を営んでおり、ペットを飼う事を母親は許さなかった。
それならこっそり飼おうとクローゼットに猫を入れたが、母親にはすぐにバレて大目玉を食らった。
(男性用に女性用。大人向けが多いけど、子供用?)
クローゼットには被害者達のサイズの服が乱雑に置いてあったが、どう考えてもサイズの合わない子供服があった。
藍野は不審に思い、小山の服を少しかき分けると、ずっしりと血を含んだ服が現れる。
ぎょっとした藍野が更にかき分けると、小さな男の子が蹲っていた。
藍野は首筋の脈をとると、かすかに脈打っており、わずかながらに温かい。
「よく頑張ったな、もう少しだけ頑張れよ、絶対助けてやるからな!!」
藍野は男の子を抱えて外へ出し、横たえて状況を見る。
腕と腹部に銃創による出血でだいぶ体温が低いようだ。
傷にはクローゼット内のシャツを当てて縛ると、藍野は自分の着ていたダウンを脱ぎ、男の子にかけてやる。
「先輩、外誰もいませんですよ、ってその子……」
「クローゼットの中にいた。扉があったおかげで弾速が落ちてたから助かるかもしれない。沢渡!!」
大声でまた沢渡を呼び、再び沢渡の耳は危機に陥りそうになった。
「綾音先生、引き留めて!」
「えっ、藍野さんか杜山さん、ケガでもしたんですか?」
「俺達じゃない。銃で撃たれた3歳か4歳くらいの男の子。頼むよ」
子どもと聞いて沢渡は一瞬考え、慌てて制止する。
「ちょーーっと待った! 藍野さん、そんな小さな子供、ウチのクリニックじゃ小児用資材がないから、連れてきても治療できませんよ。少し時間ください」
手術となれば酸素用のチューブだって点滴用の針だって、子供は体も小さいし、血管も細いから小さかったり、細いものが必要なはず。
クリニックには大人用しかないと以前酔っ払った能條が話していた。
「そんな……一応急処置はしたけど、早く治療しないと……」
「いいから、そこにステイ!!」
沢渡はぶっつりと無線を切り、必死で考える。
今から購入ではとても間に合わない。
子供用資材もあって、銃創に口をつぐんでくれそうな病院など、沢渡には心当たりが……1つだけあった。
沢渡は別の課員に能條と渚澤に連絡をつけて押さえさせ、自身は米軍座間キャンプにいる友人にスマホから電話をかけた。
『ハイ、クリス。頼みがある。聞いてくれたら、お前の欲しがっていた“ドラゴンハンティングワールド”の激レア武器素材“星のランタン”、やるぞ。あと幻の日本酒“紫龍”の川田屋も1杯つけてやる』
『ワオ! パープルドラゴン、マジで!! OK、ソーイ。頼みって何?』
クリスは沢渡をハンドルネームで呼び、あっさりと了承した。
『座間キャンプの医療施設一式貸して、送迎付き、3名で帰りは4名』
『施設だけでいいの? 医者は?』
『横浜にいる。迎えに来て、帰りも送ってよ。あ、帰りは怪我人含めてだから医療用ヘリ貸して!』
『了解、10分で迎えに行く。用意しとけよ!』
『サンキュー、クリス!』
沢渡は電話を切ると、無線で藍野に伝えた。
「藍野さん、救急車呼んで座間キャンプに行ってください。座間なら居住者用の小児用資材もあります。綾音先生達連れて、こっちも座間に向かいます」
「サンキュー沢渡! お前ってやっぱ一流アシスタントだわ!!」
ぱっと明るい声音で返事をされ、今度は藍野からぶっつりと無線を切られた。
(あの人って本当、こういうとこうまいんだよなぁ。ずるいわ)
沢渡はくすりと笑う。
人使いは荒いくせに、こんなタイミングでほめるから、ついまた助けてやりたくなるのだ。
沢渡は席を立ち、隣の課員に座間キャンプに行く事を伝え、足取りも軽く能條達を迎えに行きながら思う。
――やっぱりこの仕事、やってて良かったと。




