10.3_パスワード2
『くっそ。またパスワード蹴られた。どいつもこいつもパスワード聞きやがって。いい加減俺だって覚えろっつーの!』
ぶつくさと文句を言いながら、叩きつけるようにパスワードを入力したものの、パスワードを受け付けられないと拒否されて、またパスワードを考える羽目になった。
HRFのシステムは直近5つのパスワードを記録しているので、再設定するにはその5つと全く違うパスワードを設定しないといけないのだが、考えるのが毎度大変なのだ。
藍野は適当に考えて設定し、課題をこなし、次には忘れるの悪循環に陥っていた。
一度ハマれば2か月は変えずに済むのだが、藍野は2か月も持ったことがない。
『パスワードって本人確認の合言葉みたいなもんだから、まだまだ無くならないぞ。数は減るかもしれんが』
紅谷は別の課題をこなしながら、藍野の相手をしてやる。
紅谷にとって警護員のプログラミングはそれほど難しくもなく、課題も既に終わってしまっていた。
『なぁ、紅谷って、パスワードどうやって決めてる? さすがにネタ切れしそう』
『お前、それを俺に聞くの? 教えたら推測されて破られるだろ?』
『ふーん。推測できるんだぁ。じゃあ誕生日とか、生年月日とかか?』
『あぁ、それ一番やっちゃダメなやつ。お前、キャッシュカードの暗証番号って生年月日かそれに近いヤツだな?』
それ、変えた方がいいぞと紅谷は言った。
『う……。どうしてバレたの?』
『直前の会話で自分が答え言ったろ。まぁ、多くの人がやりがちな事だ』
財布ごと落とすか盗まれて免許や保険証で誕生日を知られ、キャッシュカードで引き出される。
またはクレジットカードが使われる。
有名でメジャーなやり口だ。
『怖っ。紅谷って、調査の方が向いてね?』
『お前が迂闊なだけだ。まあでもコツくらいなら教えてやる。とりあえず作りたいパスワードをテキストで打て』
言われた通り藍野はメモ帳を開き、ぽちぽちとパスワードを打った。
『できたよー』
『それ4桁数字交じりなら、二けた前に持って来い』
ふんふんと頷き、コピーして二けたを一番前にペーストして、はた、と気が付いた。
『……って、だから何でわかるのさ!』
『普通の人はお前と同じことを発想するんだよ。ウチのパスワードの設定要件は?』
『えーと、英大文字、小文字、数字と記号のうち最低2つを使って8文字以上』
『多くの人は数字を混ぜろと言われると、自分や家族の誕生日や電話番号を入れたがるな。それで4桁』
見事に普通の人代表の藍野は紅谷に先を読まれていた。
悔しいので、名前部分のアルファベットはこっそりと別の単語に変えた。
『アルファベット部分のaを@に変えろ。これで通るだろ?』
『おおっ! 通った!! って何でアルファベットまでわかる訳?』
『お前の事だ。名前か苗字と生年月日、使ってたんだろ? システムに拒否されたのはそのせいだ。ウチのシステムのパスワードは登録された名前を受け付けない仕組みだからな』
Ainoで通らなければ、@inoにすれば通るだろうという紅谷なりの配慮だったが、藍野はしてやったりという表情を見せて、自信満々で答えた。
『ふっふーん! 今回は違うもんね。これは紅谷にもわっかんないだろうなぁ!』
藍野は自信ありげにニヤついて見せた。
『ふーん。aがヒットしたならチキンは除外で、トマトかガーリックか? 最近気に入ってあればっかり食ってるもんな、お前』
藍野はぐっと言葉に詰まった表情で無言になった。
どうやら図星だったようだ。
『当たりかよ! お前もうちょっと頭使え。4課のパスワード調査なら研修事例にもなれないぞ』
紅谷は呆れた声を上げ、もう少し効果的なパスワードの作り方を教えてやった。
※ ※ ※
そんな会話をしていたことをノートめくりながら思い出し、はっと気が付いた。
「チキンのトマト煮、案外当たりじゃない?」
藍野はぱっと立ち上がり、早足で4課フロアへ舞い戻った。
「水谷、パスワードわかったかも! 1つ目入れて」
藍野は紅谷のPCを開き、早速水谷に1つ目を入れさせた。
「パスワード、結局何ですか?」
1つ目を入力し、水谷は席を立ち、藍野が代わりに座るとパキパキと指を鳴らしながら、水谷に答える。
「トマト煮だよ。多分な」
藍野はくすっと笑い、水谷の顔が歪んだ。
「藍野さん……。恨まれる覚悟は出来てるんですよね?」
水谷もパキパキと指を鳴らして、いつでも殴れる体制を取った。
「もし、一発で通ったら俺的には凹むけどな!!」
ははっと笑い、パスワードを入力した。
「08h@mc@o@p12、っと」
一見、トマト煮とは無関係なパスワードだ。
水谷は少々考え、わかった事は後ろの数字が紅谷の誕生月くらい。
多分もう一つは藍野の誕生月だろうと推測できた。
「へぇ、藍野さんって8月生まれなんですね」
言った途端、藍野は嫌そうな顔をした。
「どうしてそう調査員は予想したがるのかね。じゃ、いくよ」
どうせなら1回くらいは外して紅谷の思惑を超えたいと、妙なライバル意識をもってリターンキーを押した。
パスワードは通り、フォルダが展開されていく。
「やった、藍野さん。一発で通りましたよ!」
「くっそぅ! やっぱコレもお見通しって言いたいのかよ! 紅谷め!!」
水谷はぱっと顔を輝かせて指を鳴らし、藍野はちっちゃなプライドを粉々にされ、頭を抱えて悶絶した。
「ところで藍野さんと紅谷さんの誕生月はわかったんですが、何て入れたんですか?」
「ガルバンゾの一字ずらし、aはアットマーク」
納得できない様子で藍野は口をとがらせた。
「ガルバンゾって、ひよこ豆の事ですか? トマト煮に入ってるって言ってましたよね」
水谷はガルバンゾを脳内で変換する。
galbanzoのaを@にして、ほかの文字は一文字ずつ後ろにずらしたのだ。
なるほど、そうすればパスワードらしくなり、トマト煮がキーワードだった訳だ。
料理は詳しくない水谷はひよこ豆を検索してみると、英語とはスペルが違うことに気がついた。
「あれ? ひよこ豆って英語じゃ“chickpeas”ですね。ガルバンゾは何語ですか?」
「ガルバンゾはスペイン語。日本ではこっちの呼び方の方がメジャーなんだよ。研修時代も英語読みで会話してたから紅谷も絶対気づいてないと思ったんだけど……」
あのメニューの紅谷の好みはチキンでもトマトでもガーリックでもなく豆の方。
わざわざ豆ばかりを狙って掬い取っていた。
だからひよこ豆とは思ったが、会話ではガルバンゾなんて一言も話さなかったのに。
藍野には紅谷が嬉々としてこれを設定したに違いないと簡単に想像できた。
紅谷の思惑通りなのを悔しがる藍野だった。
「また、紅谷に負けた……」
藍野はがっくりと肩を落とし、ごちんと音を立ててデスクに頭を乗せる。
「あの人に知力で勝つ気だったんですか? 無謀ですよ、藍野さん」
そんなの小さな子供が藍野さんを殴りに行くようなもんですと言い、藍野は知力では紅谷に一生勝てないだろうと、水谷は同情心のたっぷりとこもった目線を送った。




