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10.2_パスワード1

 水谷は藍野から預かった紅谷の使用していたPCをチェックしている。

 通常なら次の使用者のために、そのまま初期化して再セットアップするのだが、藍野からはチェック依頼があったので、パスワードを解除してチェックしてみると、プロテクトをかけられたデータを発見した。

 開いてみると紅谷から藍野へのメッセージがついていた。

 時刻は午前10時を少し過ぎたところ。

 一旦社内に戻ったところだろうと、水谷は内線で藍野のデスクを呼び出した。


「藍野さん、ちょっと4課まで来てもらっていいですか?」

「いいけど……一体どうした?」

「この前返却された紅谷課長のPC調べてたら、プロテクトのかかったデータを見つけたんです。パスワードが2段階にかかっていて、1つは俺の知っているパスワードで開けたんですが、2つ目は藍野さんが知ってるってメッセージだったんです。とりあえず現物見てもらえますか?」


 水谷はフロアに来た藍野をPC前に案内し、1つ目のパスワードを入れた。

 すると次のパスワードを要求してきた。


「紅谷の使うパスワードなんて知らないよ。大体パスワードって、俺が知ってちゃまずいだろうに……」


 ぶつぶつと零す藍野を無視して、水谷は言った。


「それ、パスワードのヒント、クリックしてください」


 藍野は言われた通り、パスワードのヒントをクリックし、読み上げた。


「なになに。『2つ目のパスワードは藍野が知っている。あいつに聞け。ヒントは研修時代。ただし、ツールを使った場合と3回間違えた場合データは自動消去する』って……」


「これ絶対失敗できないヤツ!!」と藍野は叫んだ。

 おかげで4課フロア中の視線を集め、二人は首をすくめた。


「そうなんです。ツール禁止なんでデータのコピー取ってリトライもできません。だからこれのパスワード教えてください、藍野さん」


 水谷はとても期待を込めた目で藍野を見上げる。


「と、言われてもなぁ。研修時代って……もーちょいヒント残せよ、紅谷……」


 藍野は思いっ切り脱力して、机に突っ伏した。

 範囲が広すぎて、藍野には何がヒントかさっぱりわからない。


「俺、調査員研修しか受けてないんですよね。紅谷さんは両方受けたようですが」


 体力皆無で付き合ってる彼女と一緒のランニングすら多分こなせないだろう、頭脳労働タイプの水谷は感心したように話す。


「ああ。アイツって警護員志望だったから。俺と時期は違うけど、警護員インターンも受けてたよ」

「インターンって確か、直接リクルートしてきた学生対象のやつですよね。すごいな、紅谷さん」

「水谷も警護員やってみる? 2課で鍛えてやろうか?」

「俺は調査員だけでお腹いっぱいです。藍野さんこそ調査員やってみます? 今の藍野さんならもう少し勉強が必要でしょうが」


 お互いに顔を見合わせて「無理無理!」「ありえない……」と否定し、馬鹿馬鹿しい会話をやめて、本題に戻る。


「研修時代かぁ、俺、IT研修(プログラミング)に苦労した記憶しかないんだよ、紅谷に頼りっきりでさ」


 うんうん唸って何をやったか思いだそうとするが、いかんせん苦手だった事を思い出すくらいで、肝心な事が思い出せない。

 あの頃は初歩的なネットワーク知識でさえいちいちつまづいて、立ち上がれないかと思っていた。


「その頃の紅谷さんとの思い出とか、課題とか、何かないですか?」


 研修より、警護員の4分の1にも満たないほんの少しの基礎トレの方がよっぽどつらかった水谷は、藍野に思い出すきっかけになるような話題をふる。


「思い出ねぇ……。研修所のチキンのトマト煮込みはひよこ豆入りでうまかった、とか?」


 思い出と言われて、つい食事の時を思う。

 鶏肉とひよこ豆がニンニクの効いた少し辛いトマトソースで煮てあり、よくショートパスタにかけて食べていた事をほわんと思い出す。

 警護員研修はハードメニューが多かったので、疲れた体にトマトの酸味が沁みわたり、ニンニクの効果で何となく疲れが取れたような気になるのだ。

 少しばかりにおいは気になったが。


「あれ初めて食った時さ、紅谷と二人でうっかり日本語でうまいと言っちゃって、翌日の基礎トレにペナルティ追加された……」


 ちょっとだけ調子に乗った藍野はトマト煮と紅谷との思い出を水谷に語ったら、水谷は殺気を込めて藍野を見つめた。


「じょ、冗談だって。そんな睨むなよ水谷!」


 腕組みをし表情が険しくなる水谷に藍野は身を縮めた。


「冗談言ってる場合じゃないんですよ、藍野さん。トマト煮でデータ飛ばしたら、俺、一生恨みますよ!」


 水谷は腕を組んだ仁王立ちで、椅子に座る藍野を上から睨みつける。


「た、確か研修の時の日記残してたから、確認する」


 これ以上、水谷に冗談はまずいと藍野は一旦退散することにした。


 ※ ※ ※


 自席に戻った藍野はごそごそとデスクの引き出しから、ノートの何冊かを取り出す。

 今でこそメモ書きも報告書もPCやタブレット入力だが、インターンや研修時代はノートに手書きで記録を残していた。

 それくらい昔はITが苦手な典型的文系人間だったが、紅谷とパートナーを組んでから変わった。

 紅谷とは同い年で同室、時期は違ったが同じインターン経験者と言うこともあり、すぐに打ち解けた。

 藍野が苦手なプログラミングやネットワークは紅谷が得意で、紅谷が苦手な銃や近接格闘は藍野が得意と、ちょうどお互いの欠点を埋め合うような組み合わせで、二人で研修を乗り切った。


(研修時代か……懐かしいな)


 ノートを開いてページをめくると所々、寝ながら書いたのか、日本語がおかしかったり、やたらと長い横棒があったりしたが、読めないほどではない。

 IT研修の日を拾い読みするが、肝心な事を書いておらず、できない事や理解不能な事に愚痴ばかりを書き連ねていて苦笑いが漏れる。

 くだんのトマト煮もしっかりと書いてあって、当時の藍野は余程気に入っていたようだ。


(あの頃は紅谷がパートナーで楽しかったな)


 藍野は目を細めてページを追う。

 口ではきついと言いつつも、今思えば楽しかった。

 これが思い出補正というやつかもしれないなと藍野は思う。

 ノートを読み返しながら、初めの頃はパスワード一つにさえ苦心していたことを思い出していた。

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