9.4_たすけて
※流血表現あり
※人身売買表現あり
その小さな男の子の一番始めの記憶は白い壁と、年齢もバラバラな年頃の兄妹達。
兄妹達とみんな一緒に食事も食べて、絵本もおもちゃもあって、誰かの誕生日にはみんなで歌ったりした。
ある日、読んでいた絵本で、男の子は子供にはみんな親がいる事を知った。
誕生日の子供にも、ねずみにも、カワウソにも親がいた。
自分の親は先生なのかと聞くと「先生は先生だ、親ではない」と言った。
男の子は両親はどこにいるのかと尋ねると「お前達はみんな売っていたから買ったんだ。お前達に親はいない」と言った。
男の子は真実を知ってもそうなのか、としか思わなかった。
自分はまるで野菜のように店で売られていたんだと知っても、何の感慨も生まれなかった。
それ以上に兄妹達で過ごす時間が楽しかったので、親がいない不満はすぐに消え去った。
でも、時々嫌な時間がやってきた。
それは先生と見知らぬ大人達がやってくる日だ。
その大人達が来ると自分や兄妹達と話したり遊んだりしたあと、一人か二人をどこかへ連れ出す。その後、決して兄妹達が戻ることはなかった。
仲良しの兄妹がいなくなるのはとても寂しい事だった。
「栄養状態もいいし、アレルギーもありません。とても健康で新鮮な臓器です。よい提供児になりますよ」
「愛玩用ならあちらの女の子はいかがです? 初潮前のおとなしくて見目も良い子です。非常に従順ですから調教は簡単ですよ」
そして自分の時、先生はこう言った。
「人工サヴァン化の素体には、この子などどうです? 5歳にしては知能テストの結果も良く、好奇心旺盛な子ですよ」
先生から渡された一枚の紙を男は一見し「ふむ。悪くない結果で素養はありそうだ。これとさっきの子を買おう」と言った。
「ありがとうございます。では、別室に58番と26番の売買契約書の用意を致しましょう」
そうして男の子と少し年かさの男の子を連れて、男は別の場所へ連れていった。
※ ※ ※
始めは兄妹達と離されて寂しくて泣いたけれど、すぐに慣れた。
白い壁の部屋を出た男の子にとって、目にするものすべてが物珍しく刺激にあふれていたから。
初めての乗り物。初めての場所。初めて会う人。
何もかもが楽しくて、面白くて、優しかった。
すぐにここを気に入った。
ある日、いつものように本を読んでいたら、少し年かさの男の子、26番が男の子に言った。
「いいか58番、よく聞けよ。今から何があっても絶対ここから出ちゃだめだ。声も出しちゃダメ。お前は必ず、生き残れよ!!」
できるよな、と真剣な顔で言われれば、男の子は頷くしかなかった。
そうして26番は男の子をクローゼットの奥に追いやり、ありったけの服を男の子に被せて閉じ込めた。
扉の隙間から見えたのは一人の大人。
真っ黒な何かを持っていて、いくつか音がしたかと思えば、みんな動かなくなった。
男の子は約束どおり出なかったし、声も出さなかった。
たとえ腕と腹に銃弾を受けて、血を流していても。
(ここからでちゃ、だめ)
(おなかすいた、いっちゃだめ)
(ないちゃ、だめ)
(こわい、いっちゃだめ)
(おこらせちゃ、だめ)
(くるしい、いっちゃだめ)
(そとがみたい、いっちゃだめ)
(いたい、いっちゃだめ)
(おみずほしい、いっちゃだめ)
(みんなとおはなし、いっちゃだめ)
(さむい、いっちゃだめ)
(きもちわるい、いっちゃだめ)
ぶんぶんと首を横にふる。
男の子には言ってはしてはいけない、やってはいけない、禁止事項ばかり。
これなら言ってもいいだろうか。
乾いた唇から、拙い北京語がぽろりとこぼれた。
『たす、けて……』
声はかすれたがちゃんと出た。
もう少し力をこめて言ってみる。
『だれか、たすけて』
つぶやきは暗闇に飲まれて消え、部屋はしんと静まり返ったままだった。
こてん、と男の子はクローゼットの壁に頭をもたせかけた。
もう体に力も入らず、目を開けていられそうもない。
男の子はゆっくりと目を閉じ、意識も薄れていった。




