8.7_再会2
レイの護衛は藍野に任せ、黒崎は目先の事に集中することにした。
が、黒崎もかなりくたびれていた。
内偵以降、状況はめまぐるしく変化した。
紅谷が社を裏切り、博士を結果的に死なせた事、博士が死んだ事で成果も所在不明となったこと、せっかく得られそうなレイの信頼を失いそうな事を考えている事……。
自分か嫌いになりそうなことばかりで、さすがの黒崎も前向きに、とはなれなかった。
(少し疲れた、な……)
ジェームズも状況は変わりつつあると言ってくれたが、本当に変わるのか怪しいものだと思う。
まだまだ考える事も解決しなくてはならない事も山積みだ。
こんな時、碧月がいてくれたらと思ってしまう自分を叱咤する。
(弱気になるのは、疲れたせいだな)
出張から帰ってきたら大事な話があると、恋人の星羅に呼ばれていたから、彼女の所に行こうかと考えたが、何だか車を運転する気力もなかった。
(どうせ結婚の話だろう。)
黒崎は星羅の事が好きで付き合っていた訳でもないし、星羅も婚約間近の相手がいながら、他の男をつまみ食いしたかっただけと知っていた。
お互いの利害が一致したから黒崎も利用しただけ。
別れるならちょうどいい時期だろうと、彼女の部屋へ向かうことにし、タクシーを拾うために1階のエントランスから外に出た。
暮れかけた雲が多めのくもり空が自分の心模様に思え、馬鹿げた想像に苦笑した。
腕時計を見れば時刻は夕方の5時過ぎ、駅に向かって歩き出した黒崎を背後から呼び止める声がした。
「怜司」
聞き覚えのある、懐かしい声に黒崎は顔を振り向けた。
目の前にはショートカットに細身のすんなりしたグレーのパンツスーツ姿の女性が1人。
水瀬優希、黒崎のかつての恋人だった女性だ。
「水瀬? お前捜査三課だろ、なんでここに?」
黒崎は不思議そうに水瀬を見た。
警視庁捜査三課は窃盗やスリなど盗みの事件を主に担当する。
警護員の傷害事件であれば、捜査1課が担当のはずだ。
「今、1課は大きな事件を抱えているから、3課が手伝ってる。あなたの所の担当なのよ、私。それより怜司は元気そう……ではないわね。大丈夫?」
知らなかったの? と言って、水瀬は目の前の黒崎を改めて見た。
今日の黒崎は自信家で余裕のある姿はなく、目の下にはクマができ、心なしか顔色も良くない。
水瀬は両手を伸ばして、黒崎の頬に手を当てると、ひやりとした体温とちくちくとしたひげの感触が伝わってきた。
冷たいのは、きっと外気だけではなく、血の気も失せているのだろう。
よくない状況に、水瀬は少し表情を曇らせた。
「見ての通りだ。悪いが一人にしてくれ」
黒崎は水瀬の手を避けるように離れた。
「どうして、って聞いてもいい?」
離された手をひっこめ、水瀬は尋ねた。
「今は本当に最低の気分で、君を傷つけたくない。だから目の前から消えてくれ。頼むよ」
つい、と黒崎は視線を逸らした。
なぜ水瀬だけはいつもこんなタイミングなのかと黒崎は思う。
母親が倒れた時も、祖父母の家で殺されそうになっていた時も、碧月が亡くなった時も。
いつもいつも苦しい時に彼女が現れる。
今だってそうだ。
苦しくて辛くて、目の前で姿を見れば、縋りたくなってしまう。
だが、そんな事をすれば碌な結果にならないだろうことも知っている。
「あなたにそんな顔させる仕事なんて、辞めればいいじゃない! どうしてそんなにまでして続けるのよ」
黒崎の姿に、堪らない気分で水瀬は言う。
黒崎の家を出たあの時のように、苦しいなら逃げてもいい、辞めれば済むのにと水瀬は思う。
辞めてくれれば、自分達も昔に戻れるとも思って。
「さあな、どうしてだろうな。お前だって明日早いんだろ? 早く帰れよ、刑事さん」
これ以上一緒に居たら、自分を抑える自信がない。
黒崎は明確に回答せず、さっさと離れるに限ると、そのまま駅に向かって歩き出す。
「ねぇ、待って! 私、明日は非番よ。あなたを慰めるくらいできるのよ!」
水瀬は小走りで黒崎の背中を追う。
刑事だけに体力はあるから、黒崎がペースを上げても余裕で追いかけて、その手を捕まえる。
瞬間、黒崎の身体にずくりとしたものが背中を駆け上がり、ああ、これは本格的にまずいと黒崎は思った。
「本当にやめてくれ。お前の男に刺されるのはゴメンだ」
黒崎は振り返り、言外に含まれた意味にとても嫌そうな顔をして、水瀬の手を振りほどき、また離れた。
彼女は男の性分というものを知ってて、こうしてるかも知れない。
星羅の部屋に行かない理由を考え始めた自分に嫌気がさす。
「いないわよ、そんな男性。どうして私がそんな状態の怜司をほおっておけると思うのよ!」
水瀬は回り込んで両腕をつかみ、黒崎を見上げる。
水瀬は泣きそうな顔をしていた。
泣きたいのはこっちだ、と黒崎は思う。
潤んだ瞳は蠱惑的でとても理性では抗えそうもない。
黒崎はポケットからスマホを出して、『今日は行けない』と星羅にメッセージを送った。
「出張帰りで部屋に何もない。外でいいか?」
水瀬はふっと表情と手をゆるめ、こくんと頷き、黒崎の左腕にそっと絡めると、二人はタクシーを拾って夜の街へ消えていった。
 




