8.1_呼出
すいません、代理出産を否定する場面あります。
ストーリー上そのまま表現します。
飛行機は羽田を定刻どおり飛び立ち、シカゴを経由してメリーランド州ボルチモア、ワシントン国際空港へ黒崎は降り立った。
夜も遅い時間だ。黒崎はタクシー乗り場から乗り込んだ。
『どこまで?』
タクシーの運転手は無愛想に目的地を尋ねる。
『ダウンタウンのレゾンマリーナまで』
車内のタバコの匂いに内心で顔をしかめつつ黒崎が答えると、車は目的地へ走り出した。
レイが行方不明になったと報告を受けた時から、こうなることを黒崎は覚悟していた。
博士を死なせ、一時的にレイを見失い、部下の紅谷がスパイ容疑のまま行方不明という失態。
とうとう状況報告と方針案の会議と言う名の本社呼び出しが黒崎に下った。
翌日、黒崎は手配していたレンタカーを受け取り、その足でHRF本社に向かい、地下駐車場へ止める。
日本支部のビルとはさほど変わらない高さのビルのはずだが、サイズがまるで違い、駐車スペースもゆったりと取られている。
もうインターンシップや研修で何度も来ているが、今日ほど気の重い日はなかった。
一つため息をついて受付に向かい、ゲストパスを受け取って、直通エレベーターを使い、呼び出されている社長室に向かった。
社長室前でネクタイを締め直し、ノックを3回してドアを開けると、広々とした部屋に落ち着いた紺色の絨毯が敷き詰められ、片隅に置かれたコーヒーサーバーから漏れ出るコーヒーの香りが黒崎を出迎えた。
部屋の壁には9画面程の液晶モニターが掛けられ、モノクロやカラーで表示された監視カメラの映像やどこかの国のマーケット情報が入れ替わりで表示されていた。
そのうちの一枚には本社で監視中のレイの姿もある。
部屋の真ん中には応接セットがあるが、日本のようにソファではなく、会議セットのような無骨なものでもない、アンティークな雰囲気のオーク材で、凝った透かし彫りや細工が施してあるダイニングセットのように高さのある椅子とテーブルが設えられていた。
ダイニングセットではないとわかるのは、ノートPCやタブレット用の画面出力コネクタが各種備えられており、近くにある大型モニターに出力できるようになっていた。
窓際には同じような色合いで重厚なアンティークのデスクにデスクライトが置かれ、不似合いな液晶モニターが2台並び、壮年の男性が黒崎と同じ黒のスーツ姿で作業をしていた。
黒崎は真っ直ぐデスク前に歩み寄り、ビジネスバッグを足元に下ろして敬礼した。
『黒崎、参りました』
壮年の男性、このHRF社の現社長、ジェームズ・アレン・スタンリーが返礼し、にこやかに言った。
『やあレイジ、よく来たね。そこに座りなさい。今日は長丁場だからね。コーヒーはどうかな?』
ジェームズは応接セットを指し示しながら、コーヒーを取りに椅子から立った。
『頂きます』
ジェームズは、日本よりサイズの大きな紙コップにコーヒーサーバーからコーヒーを2杯分いれて、自分の分にはポットに入ったミルクを注ぎ、ブラックを黒崎の前に置いた。
『見ての通り、まだおじいさまとアレクが来てないんだ。もう少し待ってくれ。ミルクと砂糖は?』
ジェームズは音もさせずコーヒーの入った紙コップを、黒崎の前に置いた。
『ブラックで』
固い表情のままバックからノートPCを取り出し、モニター用の接続コネクタにつなぎこむ黒崎にジェームズは労うような声音で言った。
『お父上の事は聞いたよ。残念だったね。心からのお悔やみを』
ジェームズは紙コップを手に持ち、立ったまま自分のデスクに寄りかかる。
『いえ、母が父と別れてからずっと会っておりませんし、肉親が亡くなったという実感がないというのが正直なところです』
『そうか。君が動揺していないなら、我々は安心かな』
黒崎はコーヒーに一口手を付けると、『レイはこちらでどんな様子でしたか?』とジェームズに尋ねた。
『彼女は食事を持ち込んで、日がな一日、母親の墓からほぼ動かないこともあれば、研究所の友人とおしゃべりしたりとごく普通の生活だね』
ジェームズは困ったような笑顔で、目線をモニターに向けた。
黒崎も同じようにモニターを見ると、今日のレイは足を抱えてじっとうずくまり、ただ墓石を見つめていた。
口元は読めないが動いているので、何やら母親か父親と話でもしているのだろうか。
ジェームズの言う通り、何か食べたのか足元には蓋つきの紙コップと何かの紙屑が置いてある。
『食事はとっているようで安心しました』
日本にいたときは誰かしらがそばにいて、寝ることも食事することも、仕向けないと食べなかったし、眠らなかった。
こちらに来て食べ慣れたものを食べ、眠っているようならそう心配することもあるまい。
後はレイの気持ち次第だ。黒崎はほっと安堵の息を吐いた。
『彼女が心配?』
しきりにレイを気に掛ける様子の黒崎にジェームズは尋ねる。
『心配……なんでしょうか。存在は知っていてもまともに話した事はないし、それに……』
途切れ途切れに言葉を探して語る姿が、ジェームズには彼自身が戸惑って、感情を持て余している様子に見えた。
『それに?』
『私はあの人が堪らなく嫌でした。正直今は死んでほっとしてるんです』
黒崎自身、博士が死んだと聞かされた時もっと悲しいものかと身構えていたが、ほっとした。
それが一番初めに覚えた感情だった。
『生まれ方は彼女が選べるものじゃない。彼女のせいではないと頭ではわかっているつもりですが、とても妹だと歓迎する気分にはなれないのです。ね、ひどい息子でしょう?』
自嘲して自分を笑う黒崎に、なんと声をかけようかとジェームズは迷う。
『レイジ……』
二人の静寂を破るようにドアが勢いよく開けられ、大きな声が社長室に響いた。
『レイジ! お前ヘマやらかしたって? 大丈夫か!!』
飛び込んだ声の主はアレックス・エリス・スタンリーだ。
その勢いのままアレックスは黒崎をハグする。
『大丈夫。心配かけて悪かった、アレク』
黒崎はアレクの相変わらずの強引さに少し表情を緩めた。
アレクはシャーリーの兄でHRF副社長、年は黒崎より4つ下の31歳。
現在は社長である父親を手伝いながら、社長業の修行中だ。
スタンリー家らしく、大学卒業後は入社と同時に2年程、軍へ放り込まれたのち、警護員も調査員も経験した。
大学生の時、警護についた碧月や黒崎と気が合ったらしく、アレクと呼ばせ、交代となってからもプライベートでは時々連絡を取り合う仲となっていた。
『アレックス、おじい様はどうした? 一緒じゃなかったのか?』
ジェームズは我が息子の騒がしさに頭を抱え、一体いつになったら落ち着きを覚えるのかと不安を覚えた。
『1階に置いてきた。そのうち来る。レイジ、今日は夕飯奢ってやるから、死ぬほど飲め。飲んで忘れろ。な?』
黒崎はアレクなりの励まし方にクスリと笑い、『元気そうで安心した』と返したところへ大きな音がした。
噂のおじい様、ロバート会長が孫と同様に大きな音をさせてドアを開けたところだった。
『アレックス・エリス・スタンリー! お前はワシの警護じゃないのか! もう少し幹部の自覚と責任を持たんか!!』
空気をビリビリとさせるほどの大声が社長室に響き渡る。
声の主はこの会社の創業者で現会長のロバート・サミュエル・スタンリーだ。
ジェームズは更に頭を抱える事態になった。
二人の護衛は慣れているのか、入口をさっさと閉めると立哨に入った。
『おじい様! 自社の1階ですよ。誰もおじい様を狙ったりしませんって!』
あまりの馬鹿馬鹿しさをアレックスは鼻で笑い、肩をすくめる。
大体この会社でロバートに盾突く命知らずはいない。
孫だろうと下手に襲えば、あっという間に返り討ちにされるのだ。
物理的にも社会的にも。
『ここでは会長と呼ばんか、アレックス!!』
ロバートに怒鳴られたアレックスは、ひやっと首をすくめ、黒崎の後ろへ隠れた。
『お久しぶりです、ロバート会長。お元気そうで何よりでございます』
黒崎は開けた視界の先のロバートに挨拶をした。
『フン! 鼻垂れ小僧め。全部聞いたぞ。たっぷりいたぶってやるから覚悟しておけ』
ロバートにとっては黒崎の年でも小僧の部類に入るらしい。
バキバキと指を鳴らして、実に楽しそうに言い放った。
『これで揃ったね。じゃあ始めようか』
ジェームズの声に反応して黒崎はPCの前に座り、二人もその向かいに座ったのを見てから、議長で進行役のジェームズは短辺にある椅子を引いて座った。
すべての参加者の表情はそれまでの打ち解けた様子から一変し、一様に真剣な表情に変わった。