7.1_hometown
紫藤や藍野達の目を盗み、レイはタクシーを使って、羽田空港まで来た。
彼らもさすがにもうここまでは、すぐに追っては来られないだろうし、追われてもさっさと出国ゲートを抜ければ戻される事はない。
タクシーを降りると、11月も末の海風がひどく寒く感じ、身を縮めた。
それでも深呼吸をし、潮風の混じる冷たい空気を胸いっぱいに吸い、ほっと息を吐いた。
レイの生まれ育ったボストンも海沿いで、慣れ親しんだ潮風のにおいはほんの少しだけ、頑なだった心を解きほぐした。
向こうはこれ以上に寒くなっているだろう。
レイは適当な店舗で少し厚手のコートを購入し、チェックインの手続きをし、出国ゲートへ向かった。
※ ※ ※
ボストンにあるローガン国際空港を出ると、夜の23時を回っていた。
寒さと共に、レイは早速、複数の不躾な視線を感じた。
視線を向ければ、彼らであろうことが簡単に想像できるスーツ姿の男たちだ。
今までだって護衛されていたのだから、そんな視線はずっとあったはずなのに、アメリカでは何だか嫌なものに感じると共に、彼らはとても自分達に気を使って護衛していてくれていたことを痛切に感じた。
(きっと黒崎さんね。私が自殺するとでも思ってるのかしら)
この体は父と母からもらったものだ。そんなこと絶対にしないのに。
黒崎の心配を鼻で笑い、タクシーを拾って懐かしい我が家へ向かった。
家は多少埃っぽかったが、父親が亡くなって以降、久しぶりの家のにおいに落ち着いて、泥のように眠った。
※ ※ ※
翌朝、レイはすっきりと目を覚ました。
一人きりの目覚めだったが、父親が研究室に泊まり込む事はしょっちゅうあった。
今日もそんな気分で、まるで今までの事が嘘のように思えた。
クローゼットから適当に着替えを出し、途中のコンビニで朝食代わりのマフィンとコーヒーを買い、いつものように母親の眠る墓地に向かう。
『ただいま、母さん。父さんを連れてきたわ。後で一緒にするわね』
レイはコトリとガラス製の骨壺を墓石の上に置いた。
産みの母には感謝しているが、結局母親とは思えず、親しい知人や友人の間柄となった。
レイにとって母と思えたのは、血肉の元を分け与えてくれた、会ったことすらないこの人だけだ。
自分がこの人の一部が引き継いで生まれた事がとても誇らしい事だった。
亡くなった姉も、そして父も。
レイにとって家族と呼べるのはこの人達だけだ。
レイは座り込み、膝を抱えてぽつりぽつりと話し始めた。
『私、これからどうしようか。わかっていたのに、こんなに早く父さんとお別れなんて思ってなかったよ』
レイはまるで娘がキッチンで母親に相談するように、話した。
買ってきた甘いマフィンをかじり、コーヒーで流し込む。
そういえばちゃんとマフィンは甘くて、コーヒーは苦い。
こんな風に食事に味を感じるなんて、どのくらいぶりだったかと思い、レイはゆっくりと噛み締めるように味わった。
味わううちにポロポロと涙もこぼれてきた。
『あれ? なんで私泣いてるのかしら』
涙なんて父親が亡くなった時、とっくに枯れ果ててしまったと思ったが、まだ出るらしい。
ひとくち齧っては泣き、飲み込んでは泣き、とうとう手を止め、大声で泣いた。
誰かの前で取り繕う自分でなく、すっぴんそのままの自分で安心して泣きたかったのだと、ようやく思い至った。
※ ※ ※
ひとしきり泣いて涙がひいた頃、リアムから着信があった。
『あのね、レイ。ボク、話があるんだ……』
今日のリアムは妙に改まったような、思いつめたような深刻な声だった。
『リアム。どうしたの?』
『ボク、レイに謝らないといけない事があるんだ』
『一体、何を謝るの?』
『博士はね、レイや成果を守るために、レイの作ったあのプログラムに機能追加したいって相談されて、ボクが機能追加したんだ』
『あのプログラムって……。父さんが私に頼んだ緊急用のモニタープログラムの事?』
確かにレイは父に頼まれて1本プログラムを作った。
心電図を常時モニターしていて、異常があった時や、体内に入れた除細動器が動いた時、レイや博士、リアムにメッセージで通知をする。
あの日も父の心臓が止まった事を知らせるメッセージを受け取っていた。
だからレイは家へ戻りたいと藍野に頼んだのだ。
願いは叶わなかったが。
『うん。モニター通知の他に、博士から頼まれたもう一つの機能はね……』
レイは黙ってリアムの言葉を待った。
『……博士の心臓を止める機能』
言われたレイは、ひゅっと息がつまった。
それはデータをコピーすると見せかけて、ファイル名だけのダミーをコピーし、ファイルを開くと見せかけてパスワードを入れると除細動器が作動し、心臓を止める仕組みだったとリアムは言った。
『ゴメンね、レイ。追加機能の事、知ればレイはプログラムごと止めるから、絶対話しちゃいけないと博士に口止めされていたんだよ。本当にゴメン』
そう聞かされれば、リアムを怒れなかった。
父の言う通り、知ればプログラムを消してしまっただろうと思う。
それよりも……。
『じゃあ……父さんは自分でパスワードを入れたの?』
自殺であれば、藍野達の責任ではない。
彼らの責任ではないことが、レイへの福音に思えた。
これで藍野を憎まなくてもいいと、レイはとてもほっとした。
『うん。その時一緒に手紙と成果を預かったんだ。送るよ』
リアムは言うと、1本のテキストファイルがメッセージに添付して送付された。
レイは一つ息を吸って吐くと、添付されたファイルを開いて読み始めた。




