6.10_逃避2
紫藤の報告を受けてから、1時間と少しが過ぎた頃、報告を受けた黒崎がやってきた。
「黒崎部長、申し訳ありません。レイさんを見失いました」
「謝罪はいい。対応はどうなっている?」
藍野は手短に経緯を報告し、対応状況を説明する。
「今、4課に監視カメラ、5課に出国情報を追わせてます。部長、その……」
言いかけてちらりと2階を見る藍野に、黒崎は、
「部屋の確認か。見てこよう」
とそのまま玄関へ向かう。
「お願いします」
閉まりかける玄関のドアの先にある黒崎の背中を、藍野は不安そうに見送った。
※ ※ ※
黒崎は玄関を抜けるとまず、ダイニングに向かった。
最後にレイと会ったのがダイニングだった。
遺骨を渡した時はぼんやりとして、食事もろくに取らず、こんな風に逃げ出す気力なんてまるでなかった様子だったのに。
黒崎は小さくため息をついた。
(理由はどうあれ、HRFから逃げ出したいと行動する元気は出てきたという事か。結構な事だが、親子共々手間がかかることばかりしてくれる……)
ダイニングにおいてあるはずの家の鍵はなく、普段の買い物に使っているエコバックは消えていた。
確かに紫藤の報告通り、近所の買い物で、いかにもすぐ帰ってきそうな感じだ。
次に2階のレイの部屋に行った。
研究者らしく2枚のモニターとPCが数台に資料や本が詰まった本棚に大きな机。
男性の部屋だと言われれば、そうなのかと納得してしまいそうな無骨なインテリアだが、小さな花瓶に3本のガーベラが生けられているのが、この部屋の主は女性であることを指し示していた。
2つの写真立てがデスクに置かれていて、黒崎は一つを手に取る。
中には小さなレイに似た少女を抱き上げた博士が、見知らぬ女性と共に桜をバックにした写真が一枚。
この女性と少女は報告書にあった博士の再婚相手とその間に生まれた娘。遺伝子上はレイの姉に当たる。
あの父親はレイにそんな事まで教えたのか、と黒崎は強い憤りを感じつつ、もう一つの写真立てを見る。
そちらも同じような構図で、少女より少し大きなレイが博士に抱かれて笑って写っていた。
(置くとすればここか……)
だが遺骨はない。おそらくレイが持ち出したのだろう。
渡航するならと、パスポートを探してデスク回りの引き出しを開けても、いつもの通勤に使っていたカバンにも入っていなかった。
(目的地はボストンか。決まりだな)
黒崎はそう結論付けて、部屋を出た。
※ ※ ※
「どうでしたか?」
藍野は不安そうな表情で、黒崎に結果を尋ねた。
「いつも買い物に使っていたバックと遺骨、多分パスポートもない。バックにパスポートがあればアメリカに帰ったのかもしれない。5課の出国情報を待って、私から本社に連絡を入れておく」
「ウチの腕時計やスマホってありましたか?」
ぐるりと思い返してみても腕時計やスマホの類はなかった。
「いや、なかった。スマホは充電ケーブルだけだったな。何故だ?」
「いえ、さっきからGPS表示が自宅のままなんで……アメリカから国際通話?」
藍野が見知らぬ番号で首をかしげたが、黒崎と藍野は顔を見合わせ、その電話をオンフックにして取った。
『誰だ』
少し低めの声で身構えるように藍野が問うと、返答が来た。
『突然ごめんねミナト。ボクはリアム。レイや博士のアシスタントをしているんだ』
着信はリアムと名乗る若い男だった。
話し声は紫藤よりも若く感じ、随分とフランクな口調のせいかほんの少し幼く感じられた。
『レイは研究所の自宅に向かったよ。チケットはボクが手配した。今日の14時35分発、シアトル経由ボストン行、ちょっとでいいからレイを一人にしてあげて。それを伝えたかっただけ。それじゃ』
リアムと名乗る若い男は一方的に電話を切ろうとするのを藍野は制止する。
『ちょっと待て。何故俺の名とこの番号を知っている?』
『もちろんレイに聞いたんだよ。ボク、アシスタントって言ったでしょう?』
さも当然のように、リアムは答えた。
『レイのGPSをいじったのはお前か?』
逃げる事は許さないと言わんばかりに、更に一段低い声で、藍野は問いただす。
『そうだよ。ボクがやったんだ。じゃないとレイが一人になれないからね。さっき元に戻したよ。君たちのGPSは近所のショッピングモールにあるみたい。じゃあね』
何の悪気もない様子で事情を話すと、リアムから電話を切られた。
「こら待て、勝手に切るな!」
切れた電話に文句を言い、折り返しをかけたが、リアムは応答しなかった。
「これ、どう思います?」
藍野はポケットにスマホをしまいながら、黒崎に意見を求める。
「5課の結果待ちだな。これだけでは何とも言えない。だが、GPSは再チェックが必要だな」
腕組みし思案顔で黒崎は答えると、藍野も同意して5課に進捗を聞こうかと、沢渡の番号を呼び出そうとしたとき、タイミングよく紫藤が報告を持って現れた。
「先輩、5課から連絡です。レイさんの名前、14時35分、羽田発シアトル行の搭乗者名簿にありました」
2人はやはり、と顔を見合わせた。
藍野は腕時計を見た。
現在時刻は14時35分を超えて40分になっていた。
「紫藤、離陸情報は?」
「定刻通り離陸、確認済みです」
黒崎は一つ頷いて「私から本社に連絡して、シアトルから監視させよう。後は頼む」と言って黒崎は社に戻った。
「お願いします」
藍野は黒崎の背中へ返事をし、ボストンへ向かったレイの事を考えつつ、通常の警備体制に戻した。




