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6.9_逃避1

 レイは黒崎から分骨されたガラス瓶を何時間もぼんやりと眺めていたが、突然スイッチが入ったように、スマホを手繰り寄せ、リアムに電話を掛けた。


『リアム、今すぐボストン行きを予約して!』

『ボストンって……ミナト達に言ったの?』

『言ってない。言ったら前みたいに、きっと止められちゃうもの!』

『でも、行き先くらいは……』


 リアムが『言った方がいいんじゃないか』と言う前に、レイは電話口で叫んだ。


『嫌よ!もうあんな思いをするのも、ここにいるのも嫌なの!!』


 ぷっつりと感情の糸が切れ、堰を切ったようにあふれ出し、声が上ずった。


『帰りたい……。もう、うちに帰りたいの。お願いよ、リアム……』


 ぽろぽろと涙をこぼし、レイはリアムに縋った。

 レイにとって、ここは自分の家ではない。

 レイの家はあの研究所の中の、父と倖せに暮らした記憶が残るボストンの家だけった。


『レイ……。今日はもう遅いから、明日の午後便でいい?』


 リアムは宥めるように優しく言った。


『……うん、それでいい。ありがとう、リアム』


 その日、レイはスマホを握りしめて眠った。

 そこにはレイが大学院を卒業してドクターとなり、父から贈られた白衣に腕を通して研究所に初出勤した日、父親の研究室で一緒に撮った白衣姿の写真がスマホに映し出されていた。


 ※ ※ ※


 リアムが約束した日は朝から雨がそぼ降り、都下にあたるレイの家もずいぶん冷え込む日だった。

 葬儀や納骨などが一通り終わって、博士の手帳のリストを完全に消化した黒崎が通常勤務に戻り、藍野達の警備体制も博士が亡くなる以前に戻りつつあった。

 藍野は所用があり、午前中は横浜の社に立ち寄る旨を紫藤に伝え、少し遅れて白鳥博士の自宅に向かっていた。

 レイは近所のショッピングモールへ買い物に出たいと紫藤を呼んだ。

 今日のレイはいつも買い物に使うバックを持ち、くるぶしまで覆うコーデュロイのロングスカートにネルシャツを合わせ、上に薄手のコートを着て、ボタンをきっちり留め、足元は足首まで覆うスニーカーを履いていて、いかにもご近所への買い物程度の軽装だった。


「ごめんなさい、紫藤さん。急に付き合わせてしまって」


 博士の亡くなる前と変わない笑顔を見せるレイに、紫藤は同じように笑って言う。


「いいえ、お元気になられたようで良かったです。参りましょうか」


 紫藤はレイの左手にいつもの腕時計があるのを確認して、レイと共に近所のショッピングモールまで歩いて行った。

 もちろん、もう一人、氷室もしっかりついてきていた、はずだった。

 氷室はリアムによってGPS表示がごまかされ、ショッピングモール内から別方向に歩かされていた。


(おっかしいな。紫藤もレイさんも見当たらない……)


 氷室は位置情報を頼りに、いるであろう近辺をうろうろと歩き回るが見つからないところに、紫藤からの無線が飛び込んできた。


「氷室さーん。一体どこほっつき歩いてるんです」

「ああ、悪い。ちょっと駐車場遠くに止めてさ。お前、今どこ?」

「2階の輸入食品売り場に近い化粧室です。早く来てくださいよ~」


 氷室は2階と聞き、驚いて再度マップを確認した。


「俺のマップだと1階だぞ!」

「僕のマップだと2階ですが……」


 氷室の頭にはまさかという思いと嫌な予感でじっとりと背中が湿った。

 

「……おい。お前がレイさん最後に確認したのはいつだ?」

「化粧室行くって15分ほど前に……まさか!」


 女性の依頼人が化粧室に行く場合、男性警護員は基本近くで待機している。

 レイはこの数か月の護衛生活で、それを知っている。

 全身の血の気が引いた氷室は焦燥に駆られて、一番近い出口から外へ出た。

 大型ショッピングモールでバスの停留所やタクシープールもあるが、ざっと見たところロングスカートをはいたレイらしき女性の姿は見当たらない。


 やられた――。氷室は盛大に舌打ちをした。


 あれほど落ち込んでいた人間が突然行動的になるなら、何か理由があって当然。

 

(まさか死ぬつもり……とか?)


 護衛の目を遠ざけるなんて、見られたくない事があるからに他ならない。

 もう少し気を付けて見るべきだったと氷室は激しく後悔した。

 だが、まだやれることはある。


「紫藤、レイさんを見失ったと部長と藍野さんに報告、俺達はもう少し探そう」と氷室は2階の紫藤の元へ向かった。


 ※ ※ ※


 紫藤と別れたレイは、途中にある化粧室へ入った。

 化粧室の個室へ腕時計を置くと、持って来たニット帽に髪の毛をまとめ、ロングスカートを脱いでジーンズ姿になった。

 コートからベストになるライナーだけを取り外して着れば、少し小柄に見える男性に見える。

 目立つコートとスカートは、少し惜しかったが共にゴミ箱に押し込んだ。

 いつものバックから折りたたみのリュックを取り出して中身を入れ替えて眼鏡をかけ、紫藤の隙を見計らい、素知らぬ顔で男性側から外へ出た。

 紫藤がレイに気づいた様子はない。十分離れてから小走りでタクシープールに向かい、タイミング良く来たタクシーに飛び乗った。


「お客さん、どちらまで?」

「羽田空港まで。急いでください」

「お急ぎですか。高速使っても?」

「いいわ。早く出してください!」


 運転手はレイに急かされるように、車を発進させる。

 途中、店舗入口にいた氷室と至近距離ですれ違った時は、車内にいたとはいえ、心臓が口から出るかと思うほど緊張したが、氷室が追ってくる様子がなかった。

 レイはタクシーが駐車場を出ると、再度振り返って誰もつけてこない事を確認すると、ほっと胸をなでおろしてニット帽を取って髪を下ろした。


 ※ ※ ※


 悲鳴のような紫藤の声で藍野に無線連絡が入ったのは、レイがショッピングモールの駐車場をタクシーで出てからすぐ後の事だった。


「先輩! 大変です!! ショッピングセンターでレイさんを見失いました。すみません!!」


 ぎょっとして藍野は車を路肩に止め、カーナビのマップアプリを起動して、レイのGPSを確認すると自宅にあった。


「くそ、GPS置いてったのか。どうして確認しなかった!!」

「ちゃんと腕時計は確認済みです。途中の確認でもボク達から離れたりしてませんでしたよ!!」


 ようやく元気になって嬉しかったのに、と紫藤は蚊の鳴くような声になっていた。


「部長に報告は?」

「先程しました。ほんとにすみません……」


 うなだれてる様子が目に浮かぶよう声音だが、現場に近く、最後まで一緒にいたのは紫藤だけだ。

 切り替えろと藍野は言って、次の指示を出した。


「紫藤、4課にはショッピングモールの監視カメラの映像探すよう依頼、5課にはレイの出国情報出たら連絡するよう手配して。反省はその後だ」

「はい……」

「復唱しろ! 紫藤!!」


 落ち込む様子の紫藤を、藍野は一喝する。


「は…はい! えーと……これより4課にショッピングモールの監視カメラ映像を捜索依頼、5課にはレイさんの出国情報当たってもらいます」


 電話口で怒鳴られたせいか、わたわたと紫藤は復唱した。


「頼むぞ、紫藤」

「はい!」


 ほんの少しだけ紫藤の声に力が戻ったことを確認し、藍野はレイの自宅へ向けて、アクセルを踏んだ。

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