6.7_帰国
博士の遺体が検死から返された11月上旬頃、ようやく水谷は日本に戻ってきた。
飛行機は夕刻に着いたため、暖かい香港と違い、ひんやりとした肌寒さを感じる時間帯だった。
身震いを一つして、到着ロビーに出た水谷を聞きなれた声が出迎えた。
「おかえり、樹。無事で良かった」
声の主は同僚で恋人の柴田だった。
柴田は珍しく社内勤務だったのか、制服のパンツスーツ姿にきっちりと髪をまとめた姿で水谷を迎えに来ていた。
元々潜入護衛任務の多い彼女は、制服より私服姿の方が多く、久しぶりの制服姿に何かあったのだろうかと訝しんだ。
「燈李、ただいま。紅谷さんは?」
二人はいつも送迎に使っている駐車場に足を向け、移動しながら紅谷の様子を柴田に聞く。
ファリンに無事接触して、連絡体制も構築できた。
紅谷もこれで安心してくれるだろうと水谷は考えていた。
だが、水谷は柴田からは思いもよらない一言を聞かされた。
「あのね、樹……。落ち着いて聞いて」
言い出しにくそうに迷う姿に、水谷は嫌な予感がした。
「紅谷さん、今、行方不明なのよ……」
柴田は水谷のいない間に起きた事を話した。
博士が亡くなった事、紅谷がどこかと内通していて、スパイ容疑がかけられている事を水谷に話した。
「な……!」
水谷は絶句した。
聞けば博士だけでなく、警護員や訪問看護師を巻き込んでの大事件だったという。
どちらも大した怪我ではないが、看護師は心理的なショックが大きく、少々厄介な事になりそうだと柴田は話した。
「博士が亡くなって、紅谷さんに容疑がかかるって、一体どうして!!」
確かに紅谷には脅されて情報を流していたらしい様子があった。
何故それが博士の死亡につながるのか、水谷には理解できなかった。
「事件のあった時刻、博士の家に使われている防犯カメラとセンサーが止められていたの。その時のログには紅谷さんのアカウントがあったって」
機材を止めて犯人を手引きして、そいつらに博士は殺されたのだとようやく水谷は知った。
そうであれば犯人は恐らく、香港で見たあのコウユウハンという男が関わっているに違いない。
遅かった。水谷は歯噛みした。
「行方不明って、追跡は?」
柴田はこくりとうなずくが、表情を曇らせた。
「4課が今必死で行方を追ってるけど、相手は紅谷さんよ。そう簡単じゃないわ。出国してないってのがわかる程度よ。それだって偽名を使っていたら意味はない」
柴田の言う通り、紅谷は調査のプロなのだ。
追跡されぬよう痕跡を消して移動するくらい、紅谷には簡単な事。
そして今回の件がどこかの国の思惑がらみなら、名前の違う偽造パスポートなど簡単に手にできる。
「樹……。あんまり無茶しないで。樹に何かあったらって思うと私……」
柴田は不安そうに水谷を見上げる。
水谷は紅谷を助けるためなら、きっと無茶をする。
自分だってさんざん心配させてきたというのに、逆の立場になると止めたくなってしまう。
いつもこんな気持ちで水谷は自分を送り出していたのかと、今更ながら柴田は水谷の気持ちを知った。
「今しなくて、いつ無茶するんだよ。俺、紅谷さんを助けたいんだ」
早速どこかで折を見てファリンに連絡しないといけないかもしれない、と水谷は考えた。
あれだけ家族を大事にしていた紅谷の事だ。
絶対に家族との連絡経路くらいは残しているはずだ。
香港に行ってファリンと繋がりを作れた事はきっと無駄じゃない。
水谷には、ほんの少し希望が見えた。




